一〇八(仮)

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ライトノベル作家川口士のブログです。「魔弾の王と戦姫」18巻、それから片桐雛太さんの魔弾画集、11月25日発売です。よろしくお願いします。

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9月26日のお話・2

 ひとりならぬ魔術師が、石臼の無慈悲な挽き音によって狂気に追いやられた。   『石臼』

 自分のペースで対戦相手のフレンズの手札をゴリゴリ削る! すごーい! たのしー! 僕は1枚しか持っていなかったので、もっぱらやられる方でしたけどね。ええ、MTG(マジック・ザ・ギャザリング)の話です。僕がMTGをやっていたのは第4版から第8版ぐらいまでだったかな。神河のときはもう完全に離れてたから……。
 話を戻しましょう。「塩吹き臼」です。他に「海の底の臼」「海の水はなぜ塩辛いか」などという題名で呼ばれることもありますね。MTGの石臼とは正反対の、ものを生みだす石臼の話です。

 昔々、あるところに百姓の兄弟がいた。弟は貧しく、年越しのために兄のもとへ米を借りに行くが、けんもほろろに追い返される。
 その帰りに弟はひとりの老人に出会い、親切にすると麦饅頭をもらう。そして、弟は老人に言われた通り森に行って小人に会い、麦饅頭と石臼を取り替えてもらう。
 弟は老人に使い方を教えてもらい、家に帰って石臼を回す。石臼からは「出ろ」と念じたものが米でも金でも服でも何でも出てくる。
 弟は妻とともに幸せな新年を迎え、多くのひとを呼ぶ。その席に呼ばれた兄は、弟の石臼に気づき、こっそり盗んで海へと逃げる。
 兄はまず石臼から菓子を出して食べ、それから塩がほしくなったので塩を出す。ところが止め方を知らなかったため、あふれた塩が小舟ごと兄を沈めてしまう。
 石臼も海の底に沈み、壊れる瞬間まで塩を出し続けた。それによって海の水は塩辛くなった。

 このお話は、北欧に原型と思われる民話がありまして、そのあたりから伝わり、アレンジされて今日に至るのではないかと。麦饅頭というのは、おそらくパンのことですね。小人というのも日本昔話では珍しい部類なのですが、それなら納得もできます。
 アレンジが容易だったのは、話の筋立てがわかりやすかったためでしょうか。欲張りな人間が不思議なものを手に入れて、使い方を誤り、痛い目に遭う。これまでに語ってきた中では「花咲か爺さん」の欲張り老夫婦がよく似た例ですね。
 そう、問題は使い方なのです。このお話も、バージョンによっては欲張りな兄と欲のない弟、のような性格上の対比がなされているものがあるのですが、兄は欲をかいたために破滅したのでしょうか。もとをただせば、という言葉をつければ、その解釈も成立するでしょう。
 兄が破滅したのは、石臼の使い方を知らなかったからです。「花咲か爺さん」の欲張り老夫婦が犬に嫌われたように。もしも兄が石臼を使いこなしていれば、別の国に渡って悠々自適の生活を送ったでしょう。

 目先の欲にかられた者は、視野が狭くなり、判断力が雑になりがちです。正しい使い方を知ろうとせず、考えようともせず、自分で乗りだし、結局はただの真似だけをして見事に失敗する。このお話の場合、長期的に利益を得ようと思えば、兄は弟に頭を下げてでも石臼の正しい使い方を教えてもらい、可能ならば弟に石臼を使わせ続けるべきだったのでしょう。自分で使うよりも確実ですから。

 欲は、社会を形成した生き物にとってもはや欠くことはできないものです。欲を捨てよという神仏の教えも、死後に救われたいという欲だけは決して捨てさせません。天国を伝え、極楽を伝え、死後の安寧を伝え、子孫の繁栄を伝えます。欲を否定することはできず、コントロールすることもまた難しい。
 ならば、欲に駆られてもなお、視野を広く持とうと努め、道具ならば、どのように使えばもっともよい結果を生むのか、考え続けるしかないのでしょう。ひとつ間違えれば、環境さえも一変してしまうことがあるのですから。 


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by tsukasa-kawa | 2017-09-26 23:48 | 日常雑記