一〇八(仮)

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ライトノベル作家川口士のブログです

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10月2日のお話

 馬鹿。
 愚か者。役立たず。失敗を犯した者。非常識な者。まともな判断のできない者。年齢にくらべて著しく知能の低い者。等々……。
 十人十色の解釈があるでしょう。漫画などで、とらわれの仲間を救出に行ったら「馬鹿、なんで来たんだ」と言われるような馬鹿の使い方もありますし、好意を表すときにも「馬鹿」と言うことはあります。かように馬鹿という言葉はさまざまな用法があり、そのイメージもひとによって異なるのです。
 では「馬鹿に見えない布地」が見えるのは、いったいどのような者なのでしょうか。失敗がなく、常に正しい判断をする者でしょうか。
 ですが、失敗や正しさとて、時代の移り変わりや技術の発達によって変わります。昔は有効と思われていた民間療法が、いまでは効果がないどころか有害であることがわかった、という話を聞いたことはないでしょうか。ならば、その民間療法を用いていたひとは正しくなかったということになってしまう。もちろん、現代の知識で過去を断罪する愚かな行為は慎むべきですが。

 なんか真面目な話をしてしまったような気がするので、少し脱線します。ここんとこ読んだ漫画では田中芳樹原作の伊藤勢による「天竺熱風録」が面白いですね。中国から使者としてはるばる天竺(インド)を訪れ、陰謀に巻きこまれ、後には少数の兵で多数の敵を破った王玄策の物語。漫画では、漫画ならではの背景の緻密さや地図などを使ったわかりやすさがあり、さらに登場人物ひとりひとりの表情の変化やコミカルな場面などが見事に盛りこまれていまして、読んでてまったく飽きません。単行本は2巻が最近出ましたが、お勧めですよ。
 では「裸の王様」まいりましょうか。スペインの伝承をもとにアンデルセンが描いた物語です。これも有名な話なので、いまさら説明するまでもないでしょう。

 まわりが言っているから、自分が間違っていると思いこんでしまう。見栄を張るために、見えないものを見えていると嘘をついてしまう。そういった人間の弱さを指摘した話だと、いわれています。実際にはそのひとの手にない権威や権力を、あると思いこんでいる者を「裸の王様」と揶揄することがありますが、それもこの話からきています。

 しかし、王様がただの見栄っ張りであるならば、自分には見えない服を着てパレードなどを行うものでしょうか。
 作中の描写では、パレードは割と定期的に行っていたようで、王様はパレードに慣れていたことがわかります。そして、ファッションが好きな人間というのは、自分の姿が他人にどう見えるかというのをとても気にします。自分を見てもらいたい、という気持ちの中には、相手を驚かせたい、相手の目を楽しませたいという心情もあるのです。
 口では見えていると言っても、内心では見えてないことがわかっているわけです。着心地がよくない、いい見せ方が決まらないなどと理由をつけて、パレードを見送るのではないでしょうか。何より、大臣や役人などはともかく、自分に見えないものが民衆には見えると思うのか。それとも、民衆はみな、この布地が見えるぐらいには賢いとでも仕立屋に言われて、信じてしまったのでしょうか。
 ともかくパレードを行ったとき、王様が「民衆には服が見えるはず」と、民衆は自分ほど愚かではないと考えていたのは間違いなく、このような王様であったがゆえに、この物語は笑い話ですんだのでしょう。数多ある童話の中でも、これほどの王様はなかなかいないのではないでしょうか。


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by tsukasa-kawa | 2017-10-02 23:59 | 日常雑記