一〇八(仮)

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ライトノベル作家川口士のブログです。「魔弾の王と戦姫」18巻、それから片桐雛太さんの魔弾画集、11月25日発売です。よろしくお願いします。

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10月16日のお話

「日が高くなるまでゆっくり寝て、それから漁に出る。戻ってきたら子供と遊んで、それから女房とシエスタして。夜になったら友達と一杯やって、ギターを弾いて、歌をうたって……ああ、これでもう一日終わりだね」

 また一日分溜めこんでしまった……。
 気を取り直して、上の台詞は、ネット上のコピペの一部を抜粋したものです。メキシコの田舎町で漁をしていた漁師に旅行者が話しかけ、ハーバード・ビジネス・スクールでMBAを取得した人間としてアドバイスしようと言い、こうすればもっと金が儲かる、億万長者になれる、引退してゆっくり過ごせると説くものです。
 ひとには、性格や能力、環境に応じた生き方があります。性格に合うこと、能力の面からも向いていることは多少の失敗にもめげずガンガン押し進められるでしょうし、環境に応じて、ということは必要なものがそろいやすいということです。逆に、性格に合わないことをやれば普段より疲れるかもしれないし、向いていないことをやれば失敗する可能性は上がり、環境に合わない生き方は、性格や能力でカバーしなければならない場面がしばしば出てくるでしょう。もちろん、やってみたら意外に向いていた、不得意だったことを得意なものにしたという例はたくさんあるので、一概には言えないのですが。

 さて、イソップから「アリとキリギリス」です。原話は「アリとセミ」なのですが、どうもセミのいない地域へ話が伝わったときにキリギリスに変わったようですね。ここではキリギリスで通します。
 アリが懸命に頑張って食糧をためているころ、キリギリスは遊び呆けていました。食糧はそのへんにいくらでも転がっていたからです。
 ですが、冬になって食糧が見当たらなくなり、キリギリスはアリに助けを求めました。しかし、アリには拒絶されました。

 原話では、アリがセミに「夏唄ったなら冬は踊ったらどうだい」と辛辣な言葉を投げかける場面などもあるそうです。それに対してセミが「歌うべき歌は歌い尽くした。私の亡骸を食べて生き延びればいい」と答えるバージョンもあるとか。また最近のだと、アリがお説教をしたあとキリギリスを巣の中に迎えいれるバージョンもあるようです。
 必要なものをしっかり溜めておく地道な生き方こそ尊ぶべし、というよりは、遊び呆けていてはいつか後悔するという脅しめいた教訓が、このお話の伝えたいことであるようにいわれています。ですが、セミは秋には死にます。キリギリスもやっぱり秋には死にます。冬まで生き延びたとしても、セミの食べるものは樹液ですし、キリギリスは肉食性なので、本当に他に食べるものがなくなったらアリでさえも標的にするでしょう(普段は小さいものは狙わないらしい)。生き方は性格や能力、環境に応じるのです。
 とはいえ、教訓から見れば、遊び呆けて身代を失い破滅した人間が山ほどいるのは事実であり、それを反面教師とするのも正しい。
 であれば、蓄えがなくなるという状況を、なるべく作らないようにするしかない。生き方に合わせて。餌場を複数持って季節ごとに拠点を移す、その場をしのぐことができる人脈をつくっておく、代価として餌がもらえるぐらいまで自分の歌の質を高める、というあたりか。
 キリギリスは、生き方を超えて遊びすぎたということになるのでしょうか。



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by tsukasa-kawa | 2017-10-16 10:53 | 日常雑記