一〇八(仮)

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ライトノベル作家川口士のブログです。「魔弾の王と戦姫」18巻、それから片桐雛太さんの魔弾画集、11月25日発売です。よろしくお願いします。

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11月14日のお話

 ひとに魚を与えれば、一日の糧となる。ひとに魚を捕ることを教えれば、一生食べていくことができる。

 中国の老子が残した言葉といわれることもありますが「老子」にはこのような記述はないそうです。また、アフリカの諺であるともいわれますが、それについては確認できていません。もっとも、魚を捕って暮らすところであれば、たいていのひとがわかっていそうな、そして当たり前のこととして語り継いでいそうな気もします。まあ有名人が言ったっていえば不思議な説得力がつくからね。

 さて、いよいよ秋も深まってきましたが、いかがお過ごしでしょうか。場所によっては紅葉もずいぶん見ごろになっているのではないかという気がします。僕は自宅からたいして離れていませんけどね! そんなことはいいんだ。

 それでは今宵はグリムより「星の銀貨」です。
 親はなく、住むところもなく、食べるものといえばもらいものの小さなパン、着るものといえばいま身につけているものだけ。そんな少女があてどもなく荒野を歩くところから物語ははじまります。
 少女はお腹をすかせた男に出会い、持っているパンを渡して歩きだします。しばらくして、寒がっている少年に出会い、自分の服を与えて歩きだします。またしばらくして、やはり寒がっている少年に出会い、自分の下着を与えます。
 少女がその場に立ちつくしていると、星が彼女のそばに降ってきます。少女の行いをよしとした神様の力によるもので、星の光は銀貨となり、少女は裕福に暮らしたのでした。

 俺たちゃ裸がユニホーム! たまにゃ夜風に凍えるけれど 善意 善意 善意ひとつが財産さ
 文字通りの裸一貫になるまで善意に対する報いがないとか、ちょっときつくないですかね。まあアダムとイブの時代から服には否定的だけどさ、神様。
 少女の行いそのものは素晴らしいと思います。ただ相手のためだけを思い、ほどこしを与える。自身も貧しい状況でそうそうできることではありません。見返りを求めないというよりも、見返りという発想自体がないのでしょう。ぶっちゃけ最初のほどこしの時点で銀貨の雨が降り注いでもいいと思うぐらいです。

 しかし。少女の思いやりとは別に、パンは食べてしまえばそれで終わりです。パンをほどこしてもらった男は、明日にはまた飢えるのでしょう。服をもらった少年は、つまり服すらなかった少年は、パンを得るために遠からず服を手放すかもしれません。下着をもらった少年も同じことです。彼らのもとに銀貨は降りません。
 少女は、そのとき自分にできる精一杯のことをしたのでしょう。ですが、明日も、明後日も生きていこうとするのならば、他の手段があったかもしれない。協力しあって動物なり魚なりを捕るような。そして、それは手元にパンがあるような余裕のあるときでなければ、難しいことでしょう。余裕がなかったらたいてい物質的な欲望の充足が優先されますからね。夢で腹がふくれるかい、同情するなら金をくれってもんですよ。
 もしも少女が男とパンをわけあい、助けあって、新たな食糧を得るための行動を起こしていたら、また別の話が展開していたでしょう。
 それを神様が賞賛するかどうかはわかりませんが、勇気や意欲を与えることは、ものを与えることに劣らないのではないでしょうか。



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by tsukasa-kawa | 2017-11-14 00:52 | 日常雑記