12月28日のお話
2017年 12月 28日
今年もあと三日とちょっとですよ。お店は三日前までからがらりと変わって年末年始を彩る数々の商品の宣伝に大忙しという感じです。かくいう僕も、今年は冬コミに参加するので、その宣伝をツイッターでやっていまして、ついでにここでも宣伝しておきますね。
3日目東7ホールあ49a ウリボックス
こちら「折れた聖剣と帝冠の剣姫 異聞」のプレビュー本です。
いくつかの掌篇小説がついたイラスト集ですね。
一迅社さんでシリーズ刊行していた「折れた聖剣と帝冠の剣姫」の外伝としての位置づけになるもので、本編4巻で登場した某国の使者二人組を主人公に据えた物語になります。それゆえ「異聞」なんですね。この二人組の為人や日常の断片、いずれお出しする予定の長編の一片などをちりばめた構成になっております。
また、こちらには美弥月いつかさんの描き下ろしクリアファイルがついてきます。
それから、こちらは僕は参加していないのですが「シルビア神の怒り」と題したアイギス本になります。某所より引用した内容によると「第二兵舎で塩漬けにされたシルヴィアが王子たちに激怒したり、ナナリーに負けじとカノンが天才ちゃんの猛特訓を受ける話とか、ラピス様の脳内妄想劇場垂れ流しだったり、加えてもりたんの愉快だったりエッチだったりな挿絵とか美弥月いつかのこだわりすぎなシルヴィア挿絵満載」とのことです。特典ペーパー付き。こちらもぜひ。
その他の詳細はこちらから。
さて、今日はあらすじなんぞ不要といっていい有名な昔話「ごんぎつね」ですよ。狐のごんが首にからまったウナギと格闘している挿絵や、兵十がごんを撃ったあとに「ごん、おまえだったのか」とつぶやくシーンを覚えている方は少なくないだろうと思われます。
まあ念のためにあらすじを書いておくとしましょう。
これは「私」が小さい時に村の茂兵というお爺さんから聞いた話だ。
昔、ごんぎつねというひとりぼっちの小狐がいて、夜でも昼でもあたりの村へ行って、芋を掘り荒らしたり、菜種に火をつけたり、いたずらばかりしていた。
ある秋のこと、ごんは川で魚をとっていた兵十の隙を突いて、彼のびく(とった魚などを入れる容器)に入っていた魚やウナギを放りだしてしまう。
十日ほど過ぎた日のこと、ごんは兵十の母が死んだことを知る。そして、兵十の母親はうなぎが食べたいと言ったに違いなく、兵十は母親にうなぎを食べさせようとしていたのだろうと思い、後味の悪い思いを抱える。
それから、ごんは毎日のように栗やまつたけを兵十の家へ持っていき、気づかれないようにそっと置いていく。
その日も、ごんは栗を持っていったが、兵十に見つかって撃たれる。そして、兵十は土間に置かれた栗を見て、ごんがそれらを持ってきてくれていたことを悟る。
ちょっとごん君、想像力が豊かすぎませんかね。
兵十の母親はうなぎが食べたいと言ったに違いないって、これ、ごん君の想像だかんな。もっと言えば、語り手である茂兵さんか、その話を聞いている「私」が盛った可能性があるかんな。芋を掘り荒らすのも当時の食糧事情を考えると即毛皮化って感じですし、菜種に火をつけるのは狐狩りへの第一歩って感じですよ。
まあ想像だと決めつけてしまうと話が進まないので、事実であるということにしましょう。
兵十の母親が亡くなり、兵十がごんと同じひとりぼっちになってから、ごんの「うなぎの償い」の日々がはじまるわけですが、これ、はたして兵十は、ごんが何のために毎日兵十に栗とまつたけばかり食わせるような日々を送らせたのか、気づいているのでしょうか。毎日栗を食べるってけっこうしんどい気がするんだけど、個人的な感想はちょっと横に置いておきましょう。
兵十が栗やまつたけに感謝しているのは間違いありません。村人に、それは神さまがくださるんだと言われて信じていますからね。気になるのは、ここでも「たった一人になったのを哀れんで」という文が入っていることです。はからずも、村人の考えがごんが以前抱いた思いと一致しているんです。やっぱり茂兵さん、盛ってませんかね。
このお話には何か教訓めいたものはなく、ひとりぼっちになってしまった二人の話を、その心が触れあった瞬間を語りたいということだったのではないかという気がします。だって、語り手か茂兵さん、だいぶごんに入れこんでいるしね。またはいたずら狐を葬り去るべく計画された狐狩りを止めるための狐の……いや、よしておきましょう。ごんは兵十のために何かをしようとした。兵十が母親のために何かをしようとしたように。そのままにしておく方がいい話も、ものによってはあるのでしょう。
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3日目東7ホールあ49a ウリボックス
こちら「折れた聖剣と帝冠の剣姫 異聞」のプレビュー本です。
いくつかの掌篇小説がついたイラスト集ですね。
一迅社さんでシリーズ刊行していた「折れた聖剣と帝冠の剣姫」の外伝としての位置づけになるもので、本編4巻で登場した某国の使者二人組を主人公に据えた物語になります。それゆえ「異聞」なんですね。この二人組の為人や日常の断片、いずれお出しする予定の長編の一片などをちりばめた構成になっております。
また、こちらには美弥月いつかさんの描き下ろしクリアファイルがついてきます。
それから、こちらは僕は参加していないのですが「シルビア神の怒り」と題したアイギス本になります。某所より引用した内容によると「第二兵舎で塩漬けにされたシルヴィアが王子たちに激怒したり、ナナリーに負けじとカノンが天才ちゃんの猛特訓を受ける話とか、ラピス様の脳内妄想劇場垂れ流しだったり、加えてもりたんの愉快だったりエッチだったりな挿絵とか美弥月いつかのこだわりすぎなシルヴィア挿絵満載」とのことです。特典ペーパー付き。こちらもぜひ。
その他の詳細はこちらから。
さて、今日はあらすじなんぞ不要といっていい有名な昔話「ごんぎつね」ですよ。狐のごんが首にからまったウナギと格闘している挿絵や、兵十がごんを撃ったあとに「ごん、おまえだったのか」とつぶやくシーンを覚えている方は少なくないだろうと思われます。
まあ念のためにあらすじを書いておくとしましょう。
これは「私」が小さい時に村の茂兵というお爺さんから聞いた話だ。
昔、ごんぎつねというひとりぼっちの小狐がいて、夜でも昼でもあたりの村へ行って、芋を掘り荒らしたり、菜種に火をつけたり、いたずらばかりしていた。
ある秋のこと、ごんは川で魚をとっていた兵十の隙を突いて、彼のびく(とった魚などを入れる容器)に入っていた魚やウナギを放りだしてしまう。
十日ほど過ぎた日のこと、ごんは兵十の母が死んだことを知る。そして、兵十の母親はうなぎが食べたいと言ったに違いなく、兵十は母親にうなぎを食べさせようとしていたのだろうと思い、後味の悪い思いを抱える。
それから、ごんは毎日のように栗やまつたけを兵十の家へ持っていき、気づかれないようにそっと置いていく。
その日も、ごんは栗を持っていったが、兵十に見つかって撃たれる。そして、兵十は土間に置かれた栗を見て、ごんがそれらを持ってきてくれていたことを悟る。
ちょっとごん君、想像力が豊かすぎませんかね。
兵十の母親はうなぎが食べたいと言ったに違いないって、これ、ごん君の想像だかんな。もっと言えば、語り手である茂兵さんか、その話を聞いている「私」が盛った可能性があるかんな。芋を掘り荒らすのも当時の食糧事情を考えると即毛皮化って感じですし、菜種に火をつけるのは狐狩りへの第一歩って感じですよ。
まあ想像だと決めつけてしまうと話が進まないので、事実であるということにしましょう。
兵十の母親が亡くなり、兵十がごんと同じひとりぼっちになってから、ごんの「うなぎの償い」の日々がはじまるわけですが、これ、はたして兵十は、ごんが何のために毎日兵十に栗とまつたけばかり食わせるような日々を送らせたのか、気づいているのでしょうか。毎日栗を食べるってけっこうしんどい気がするんだけど、個人的な感想はちょっと横に置いておきましょう。
兵十が栗やまつたけに感謝しているのは間違いありません。村人に、それは神さまがくださるんだと言われて信じていますからね。気になるのは、ここでも「たった一人になったのを哀れんで」という文が入っていることです。はからずも、村人の考えがごんが以前抱いた思いと一致しているんです。やっぱり茂兵さん、盛ってませんかね。
このお話には何か教訓めいたものはなく、ひとりぼっちになってしまった二人の話を、その心が触れあった瞬間を語りたいということだったのではないかという気がします。だって、語り手か茂兵さん、だいぶごんに入れこんでいるしね。またはいたずら狐を葬り去るべく計画された狐狩りを止めるための狐の……いや、よしておきましょう。ごんは兵十のために何かをしようとした。兵十が母親のために何かをしようとしたように。そのままにしておく方がいい話も、ものによってはあるのでしょう。
おはようございます。国語の教科書に載っていたお話というと、ごんぎつねがありますが、村のお爺さんから聞いた話という前置きの割にごんの心情が詳しく書かれていることを見ると、お爺さんか語り手のどちらかがごんにかなり入れこんでいたか、実は狐だった説まで考えられます。では本日もお仕事に。
— 川口士 (@kawaguchi_tsu) 2017年11月18日
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by tsukasa-kawa
| 2017-12-28 23:59
| 日常雑記