一〇八(仮)

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ライトノベル作家川口士のブログです

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10月22日のお話

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>ミダス王はロバの耳にされるエピソードといいそれの原因になる精神性を獲得したエピソードといいかなり粗忽な人だったようですね。そんな人でも寛容になる事ができた、成長する事ができたというのもこの話の肝かもしれません。
 王様の耳はロバの耳からですね。さわるものが黄金になってしまうエピソードや、このロバの耳でもそうですが、ミダス王はよくも悪くも根が素直なのだと思います。欲にかられて失敗もするし、状況が理解できれば自分の非も認められると。失敗と克服を経て、王様は少しずつ成長していったのかもしれませんね。

 さて、外では台風がすさまじい勢いだったり選挙結果が出たりと慌ただしいですが、みなさまいかがお過ごしでしょうか。どうか、被害が少なくすみますように。
 今宵はグリムから「赤ずきん」です。ところで「その女の子はみんなから赤ずきんと呼ばれていました」って、銀魂の新八がメガネって呼ばれるようなアレさだと思うんだけど……。まあいっか、童話だし。あらすじはみんなご存じだと思うので割愛。マジカルプリセンスとかおとぎ銃士とかヴァンパイアとか関係ないから。関係ないからー。

 注目すべきは狼の行動です。まず、森で赤ずきんに遭遇すると、情報を引きだしつつ道草を勧め、その間におばあさんをぺろり。おばあさんの家にやってきた赤ずきんを、おばあさんに化けることで油断させてぺろり。
「赤ずきん」は狼が性的な意味で女の子をいただく話なのだよという説がありますが、だとすればババアから少女までいけるこの狼はテクニシャンというだけに留まらず、目的のためにはばあちゃんとまでやることをやれる、鋼の意志を持つオスです。脱線しました。話を戻しましょう。

 赤ずきんがおばあさんのところへ出かけるとき、お母さんが「道草をしないように」とか言いますが、的外れですよ。だって、この狼、強すぎるんだもの。そもそも至近距離だと人間を一呑みできるだけの力があり、その上、奸智に長けている。ぶっちゃけ、赤ずきんに道草させたり、おばあさんに化けたりしないでも何とかなったんじゃないの。そりゃあ最後に猟師が出てきて鉄砲でズドンとやらなきゃ勝てませんよ。もしくはジェームズ・サーバーのパロディ版赤ずきんのように、狼がおばあさんに変装していることを見抜くや拳銃でズドンとやるとか。
 お母さんが赤ずきんに与えるべきは、そんな呑気な助言ではなく、狼とやりあえる武器か、人手だったのでしょう。「三匹の子豚」の三匹目はレンガの家という堅固な城砦を持ち、「狼と七匹の子ヤギ」の母ヤギは超人的な解体術を持っていたから、狼を撃退できたのです。赤ずきんという要素を活かすなら、マスターキートンよろしく、ずきんを腕に巻いて狼の口の中に手を突っこみ、舌を指でつかんで……あれは犬だっけか。
 しかしながら、何の能力もない非力な少女だったからこそ、後の世の人々が想像をあれこれふくらませたのも事実。その点では、この子は非常に童話の主人公らしいといえるのかもしれません。



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# by tsukasa-kawa | 2017-10-22 23:18 | 日常雑記

10月21日のお話

 イカれたメンバー紹介するぜ!
 虐待する飼い主のもとから脱走したあと、なぜかブレーメンに行って音楽隊に入ろうと考えた年寄りのロバ!
犬「以上だ!」

 昨日、期日前投票をしてきました。僕らみたいな娯楽の作り手側は、受け手の懐と時間に余裕がないと厳しいお仕事なので、何とかいい方向へいってほしいところです。
 そんな世知辛い挨拶をすませたところで、それでは「ブレーメンの音楽隊」まいりましょうか。

 昔々あるところに、働きもののロバがいた。しかし、ロバは年をとって、昔のようには働けなくなった。
 飼い主はそんなロバを虐待するようになり、ロバは飼い主のもとから逃げだした。
 ロバはブレーメンに行けば音楽隊に雇ってもらえるかもと思い、旅をはじめた。道中で同じ境遇の犬、猫、鶏に出会い、みんなでブレーメンを目指すことにした。
 日が暮れたころ、ロバたちは森の中に明かりのある家を見つけて、そこで休もうとする。
 その家には泥棒たちがいて、ご馳走を食べながら金貨をわけていた。
 ロバたちはお化けを装って(ロバの上に犬が乗り、犬の上に猫が乗り、猫の上に鶏が乗るアレ)泥棒たちをおどかし、追い払う。
 ご馳走を食べていると、泥棒たちが戻ってきたので、引っ掻いたり蹴飛ばしたりして追い払う。
 泥棒は二度と戻ってこず、ロバたちはその家で仲良く暮らした。めでたしめでたし。

 ロバ界の事情には疎いのですが、脱サラしてラーメン屋をはじめるのとどっちがハードル高いんでしょうね、これ。
 ブレーメンの音楽隊には動物枠があるか、それとも音楽隊自体がそういう何かなのでしょうか。まあ、どうせブレーメンには着かないし、いいか。
 そう、この年寄りどもはブレーメンに着いていないのです。バージョンによっては楽器を扱ってすらいません。
 載っているバージョンだと、担当は
 ロバ:リュート(弦楽器。ギターのようなもの)
 犬:ティンパニ(太鼓。ドラムのようなもの)
 猫:不明(ボーカルと思われる)
 鶏:不明(声を褒めているのでボーカルと思われる)
 というところですが、何をやるのか想像がつきません。仮面ライダー響鬼だってもう少しマシなセッションだったように思えます。
 しかも彼らは、最後にはブレーメンも音楽隊も忘れているのです。食い物と住みかが手に入ったので満足したというあたりは実に畜生ですが、それならタイトル変えようよ。四匹のじいさん、とかさ。ブレーメンを巡回する私設自警団みたいなノリの話でさ。
 驚くべきは、ブレーメンに彼らの銅像があることでしょう。着いてないのに。土佐を脱けたのに高知に銅像のある龍馬のようです。
 彼らの生き様を、音楽に絡めて言うならロック以外にないと思われます。抑圧からの解放、自立した、新たな道を求める生き方、泥棒を撃退するほどの強烈な自己表現、ブレーメンも音楽も関係ない矛盾、やはりロックしかない。ヤケで言ってるように見えますか? はい、ヤケです。
 とはいえ、この結末は、行動を起こしたからこそつかみとったものであることはたしかです。どんな音楽も、まずは行動を起こすこと、触れることからはじまるといいます。そう思えば、この年寄りたちは立派な音楽隊だったのでしょう。



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# by tsukasa-kawa | 2017-10-21 21:14 | 日常雑記

10月20日のお話

 カメェェェッー!

 カメっていやな敵ですよね。ドラクエをやればガメゴンに苦しめられ、FFをやればギルガメに苦しめられ、マリオカートをやれば赤甲羅を後ろから投げつけられ。
 そんなカメも、昔話ではまた違う役割を与えられます。それではイソップから「兎と亀」いってみましょうか。もしもし亀よ、亀さんよ、って歌があるから日本の民話だと小さいころは思ってました。どうでもいいですね。

 発端は、ウサギがカメの足の遅さを馬鹿にしたところからはじまりまして。カメが怒って駆けっこで勝負を挑むわけです。
 そして、ウサギはぐんぐん先へ行くわけですが、そこで勝ったと思ってしまい、居眠りをはじめる。その間にカメはウサギを追い抜き、勝利する。

 馬鹿にされて、自分が不利な勝負を挑む。バトル漫画の原点といってよいでしょう。ええ、バトル漫画です。
 カメの地道な努力を評価する向きがありますが、そもそも相手の失点がないと勝てない勝負を挑む時点で、このカメはそうとうおかしい。本当に勝つ気があったのか疑われるところです。ウサギが居眠りしていることに気づくまで、どういう心境だったでしょうか。もう相手がゴールしているだろうと思いつつ、言いだしたことだしとでも思いながら、歩いていたのではないか。それを地道な努力というのでしょうか。
 他地域に伝わったものの中では、カメが日時とコースを指定し、事前に仲間を潜ませておくことで勝利するという、これまたバトル漫画のような流れを持つものがありますが、少なくともこのカメは勝つつもりがあり、そのために動いている。
 とはいえ、現実には相手の失点によって道が開けるということがたくさんあります。地道な者が勝つというのではなく、こういう運のいい者っているよね、というのが兎と亀なのかもしれません。



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# by tsukasa-kawa | 2017-10-20 01:35 | 日常雑記

10月18日のお話

 力で身を守ることはできますが、金で身を守ることはできません。
 もちろん金を使って力のある者を雇うなり、武器などを買うなりすれば身を守ることはできますが、結局身を守るのは力ということになります。
 ドラマなどの終盤で金持ちの悪人がやられるときの「金がほしいのか。金ならいくらでも(ズキューン)」という、まああんな結末が待つわけです。
 金を使って身を守るには、それなりの知恵が必要です。知恵も力もなければ、その金さえ守れません。
 などとぐだぐだ語ったところで、ノルウェーの昔話「北風のくれたテーブルかけ」まいりましょうか。

 少年が、パンを焼くための小麦粉を家の外の食料庫から取りだして家に運ぼうとしていた。
 そこへ北風が吹いて、小麦粉を吹き飛ばしてしまう。少年は北風を追いかけ、北風の住む氷のお城にたどり着いて訴える。
 北風は小麦粉はないと答え、代わりにどんなご馳走でも出てくるテーブルかけを少年に与える。
 少年は喜び勇んで家路を急ぐが、途中で泊まった宿でテーブルかけの秘密を主人に知られ、すりかえられてしまう。
 家に帰ってもテーブルかけはうんともすんとも言わない。少年は再び北風のもとへ行き、訴える。
 それではと、北風は今度は金貨を吐きだす羊を与える。少年は喜び勇んで(中略)やはり途中で泊まった宿で羊をすりかえられ、三度、北風のもとへ。
 北風が次に与えたのは悪人をこらしめる杖だった。少年はやはり宿に泊まり、今度は杖をすりかえようと忍びこんできた主人を、杖で打ちのめす。そうしてテーブルかけも羊も取り返した。めでたしめでたし。

 北風もずいぶん気前がいいものですが、3度目にあげたものが「悪人をこらしめる杖」とは、なかなか考えたと思われます。
 もしも少年が北風をだまして財宝をいくつもせしめようとしているのなら、渡した時点で杖が少年を打ちのめすでしょう。そうではなく、もしも少年が何者かにだまされているのなら、少年に必要なのは財宝ではなく、悪人から身を守る力です。だって財宝を守るだけの力も知恵も勇気もないんだもの、この子。知恵と勇気はそう簡単に湧いてくるものでもないので、とりあえず力を持たせるのが手っ取り早い。
 そして、これは少年が悪人にならないための抑止力にもなります。少年が首尾よく財宝を取り返したとして、杖があるうちは道を踏み外すことはない。それなら問題ないと、北風は思ったのではないか。
 いつか杖に代わる力を身につけたとき、少年は杖を必要としなくなるのでしょう。



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# by tsukasa-kawa | 2017-10-18 23:47 | 日常雑記

10月17日のお話

 家を焼いて、旅立つ。
 漫画やアニメ、映画などで、見たことがある場面ではないでしょうか。
 その多くは、目的を果たすまで帰らないという決意の証なわけですが、旅は非常に困難なものです。生まれ育った町や村にいれば、こんな目には遭わなかったのにというような数々の経験を経て、彼らは成功をつかみとります。おそらく、その影には同じように家を焼いて旅立ちながら、志半ばで倒れていった者が数多くいたでしょう。

 さて、僕の中では、貧しい生い立ちとか関係なく、不幸な話を書きたくてたまらなかったのではないかという疑惑のあるアンデルセン作「マッチ売りの少女」です。
 年の瀬に、父親に命じられ、寒い中マッチを売ろことになった少女のお話ですね。マッチを擦ったら次々に幻が現れ、最後に炎の中に祖母の霊が現れて少女の魂を天国へ連れていった、という結末で締めくくられます。死によって彼女は最後に救いを得た、ということのようです。

 のっけから詰んでいます。年の瀬で慌ただしい町。恐ろしい父親。売れやしないマッチ。売るまで帰れない状況。マッチに出てきた祖母の幻影が意味する、守ってくれる者の不在。そのマッチで家を焼いて炎の旅立ちをした方がよかったんじゃなかろうか。とはいえ、そう思い切ることはなかなかできないのもたしか。ぶっちゃけ町の外は怖いし、どうすればいいかわからないものだしね。
 ですが、本当に彼女が助かる道はなかったのか。年の瀬なら教会がにぎわっているはずで、クリスマス・キャロルよろしくクリスマスの寄付金を集めた直後であったはず。寄付金集めがイギリス限定だったとも思えないので、教会に行けば空腹はともかく、寒さをしのぐことはできたかもしれません。父親について話せば、運がよければなにがしかの力になってくれた可能性もあります。父親の人柄を知っているだろう近所の住人なら、夜の間ぐらいはかくまってくれるかもしれない。
 思い切るのは怖いものです。上に書いたことだって、それで一晩しのいでも延命しただけに過ぎず、父の怒りを買って状況が悪化する可能性もあるでしょう。
 ですが、凍えて動けなくなってしまえば、本当に幻に看取られて終わってしまう。

 少女は生きることに疲れ果てていたのでしょうか。では、マッチを擦ったら望むものの幻が出てきたのはなぜなのか。もう死ぬから幻ぐらい見せようということだったのでしょうか。食べ物やストーブの幻は、生きたいという少女の思いだったのではないでしょうか。死を選ぶのだって、怖いものです。
 もう耐えられなくなったら、いえ、耐えられなくなる前に行動しなければ、最後はこうなるよという見方もできるのではないでしょうか。死者の思いを生者が決めつけるのはよくないことでしょうが、祖母だって、孫の魂をこんなんで連れていきたくはなかったでしょう。死神かよ。



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# by tsukasa-kawa | 2017-10-17 23:49 | 日常雑記