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ライトノベル作家川口士のブログです

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2017年 09月 22日 ( 2 )

9月22日のお話・2

 地獄! 生前に悪行を為した者の魂が送られ、その罪が許されるときまで、ありとあらゆる厳しい責め苦を受ける恐ろしい世界。生きててもしんどいのに死んだらもっとつらいなんて嫌ですねえ。

 とはいえ、これはシリアスな世界における、そこの住人のお話です。ドラゴンボールの世界に迷いこんでしまった両津勘吉が、フリーザのちょっと本気出しちゃった攻撃にも平気でいたように、別の世界のルールを持ちこんでくる相手には地獄でもちょっと荷が重いようで……。
 それでは「地獄の暴れもの」です。これも地域ごとに題名がさまざまで「地獄へいった三人」「山伏と軽業師と医者」「地獄の惣兵衛」などがありまして、それなら知っているという方もいるかもしれないですね。おおもとは江戸時代の上方落語「地獄八景亡者戯」(の後半)ですが、ざっとこんな内容です。

 とある医者が死んで、閻魔大王のもとへ送られる。自分は生前に多くの患者を救ってきたと訴えるも、あくどいやり方で儲けてきただろうと看破されて地獄へ落とされる。
 続いて、死んだ山伏と鍛冶師が同じく閻魔大王のもとへ送られ、ひとをさんざん騙してきただの、できの悪い道具を作ってきただのと言われて地獄へ送られる。
 三人は連れだって地獄に入り、鬼に追い立てられて針の山へ向かう。しかし、鍛冶師がやっとこで針の山をへし折り、さらに加工して鉄のゲタを人数分作って、三人は針の山を難なく越えてしまう。
 次は釜茹での責め苦ということで湯がぐらぐら煮立った大釜に放りこまれるが、山伏が法力で湯をぬるくしてしまう。
 怒った閻魔大王は三人を一呑みにしてしまうが、医者が胃酸で溶けない薬をつくってひとまずの安全を確保し、胃袋の中をかきまわしたあと、下剤を胃袋に流す。三人は閻魔大王の尻から脱出する。
 手に負えないと判断した閻魔大王は、三人を生き返らせる。

 なんと不甲斐ない。へぼ鍛冶師ごときに折られる針の山! えせ山伏ごときにぬるくされる大釜の湯! 鬼たちは何をしているのでしょうか、まったく。閻魔大王の胃袋も、やぶ医者ごときにもてあそばれるようでは普段の職務もまっとうできているのかどうか心配ですよ。
 しかし、責めるのは簡単ですが、本当に不甲斐ないのかというと難しいところです。いままでの亡者に対しては、この環境で苦しめることができていたわけですからね。
 こち亀にも両さんが地獄を征服する話がありましたが、本来適用されるべきルールが適用されない、あるいはルールを超越してしまうような人間が入ってきた世界は、こうなってしまうのでしょう。この医者たちは最後に生き返るわけですが(ものによっては極楽へ送られるという話もある)、知恵と技量で地獄を乗り越えた褒美を医者たちに与えたというよりも、閻魔大王を助けるための苦肉の策という感があります。消し去ることもできない以上、よそへ行ってもらう、あるいはルールの適用される世界へ放りこむしかないんですよね。
 話によっては、彼らが死んだ理由は飢饉が流行ったから、というのもあるのですが、その環境を知った上で生き返らせたのだとしたら、すさまじいバランスといえそうです。



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by tsukasa-kawa | 2017-09-22 23:49 | 日常雑記

9月22日のお話

 ファウストは、メフィストフェレスに心を売って明日を得た。マクベスは、三人の魔女の予言に乗って地獄に落ちた。キリコは素体に己の運命を占う。ここ、ウドの街で明日を買うのに必要なのは、ヂヂリウムと少々の危険。次回「取引」。
 惑星メルキアにかぎらず、ものを得るには対価が必要です。それは昔話の世界でも変わりません。いえ、むしろよりシビアであるといえるでしょう。そして、対価が妥当なものであるかどうかは、そのひと次第でしかないのです。
 などと、名作をネタに使ってもっともらしい挨拶をすませたところで「鉢かづき」です。地域によっては「鉢かつぎ」「鉢かぶり姫」などといわれていまして、そちらの題名だったら聞いたことがあるという方もいるかもしれません。

 昔々、ある長者が観音様に女の子を授けてほしいと祈願した。観音様は聞き届け「娘が一定の年齢に達したら鉢をかぶせなさい」と長者の妻にお告げをくだした。
 娘が生まれて美しく成長する。娘が一定の年齢に達したとき、母親は重い病にかかっていたが、息を引き取る前にお告げに従い、娘に鉢をかぶせる。鉢はどうやっても外れず、壊れもしない(以後、彼女を鉢かづきと呼ぶ)。
 その後、長者は後妻をむかえるが、後妻は鉢かづきをいじめぬく。悲嘆にくれた鉢かづきは川に身を投げるも、鉢が浮いて身体が沈まず、京に流れ着く。
 みすぼらしい姿であてどもなく京の町をさまよう鉢かづきを見て、中将(ようするに偉いひと)が同情し、引き取る。鉢かづきは中将の屋敷で風呂焚き女として働くことになる。
 鉢かづきは一生懸命に働き、やがて中将との間に愛が芽生える。
 中将の家族は当然その恋愛に反対し、中将の兄弟の嫁を連れてきて「嫁くらべ」をしようと持ちかける。嫁くらべとは、嫁を並べて和歌を詠ませたり琴を弾かせたりして、技量を競うものである。
 嫁くらべの前夜、鉢かづきと中将は駆け落ちしようとする。そのとき、鉢かづきの鉢が外れ、美しい顔が露わになる。さらに、鉢かづきは和歌も琴も巧みにこなした。
 鉢かづきと中将は結ばれる。めでたしめでたし。

 鉢て。観音様じゃなくて、観音様の形をしたベヘリットか何かに祈ったんじゃないのこれ。いやはや神頼みなんてするもんじゃないですね。
 しかもこの鉢、風呂焚き女として働いているからにはものを見ることも食事をとることもできる仕様なのに、鉢が外れるまで誰もその美しさに気づかない=顔が見えないらしいという代物。車田正美の漫画かな? まあ容姿がわかりにくいということにしなければ、中将は鉢かづきの美貌に関係なく、その健気な働きぶりを見て惚れたということにできませんからね。働かない美人よりは働く変人ですよ。
 神頼みによって子を授かる昔話だと、これまでに語った中では「一寸法師」がありますが、彼もまた生まれながらに全長約三センチの人間であり、打ち出の小槌を手に入れるまで成長しませんでした。
 彼といい、鉢かづきといい、本来生まれるはずのなかった子が、この世に生を受けたことの対価として理不尽な人生を与えられた、ということなのか。しかし、両者とも最終的にはごく普通の人間になって、又は戻っています。
 であるならば、試練を課されたと見るべきでしょう。一寸法師は娘を守って鬼を追い払い、鉢かづきは駆け落ちをするほどの覚悟を決めました。彼女の場合、ものによっては駆け落ちをせず「嫁くらべ」に出ることを決意する瞬間に鉢が外れた、という話もあるので、愛する者と添い遂げる意志を持つ、というあたりが試練を突破する条件であるように思われます。
 ひとの運命は神が遊ぶ双六だとしても、あがりまでは一天地六の賽の目次第。理不尽さに嘆きたい日があったとしても、それに屈さず、困難をくぐり抜けようと力を尽くすこと。それを描いたのがこの物語なのでしょう。一寸法師と鉢かづきとで条件が違ったように、ひとによって突破するべき条件は異なるでしょうから、まずはそれを見極めねばならないのでしょうけれど。
 そして、お天道様が見ている、といいますが、彼らは案外、人間たちが試練を突破する瞬間を心待ちにしているのかもしれません。劇的な瞬間を狙いがちなのは、待ち続けた対価、なのでしょうか。



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by tsukasa-kawa | 2017-09-22 07:01 | 日常雑記