一〇八(仮)

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ライトノベル作家川口士のブログです

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2017年 10月 01日 ( 2 )

10月1日のお話

 拍手レス
>その手のお話は海外だとトム・ティット・トットなんてのもありますね。鬼とインプという種族の違いこそありますがおまえらなんで自分の名前をいちいち歌に入れるんだ自意識過剰かって思いました。
 大工と鬼六のような、名前をあてられたことで怪異が力を失う話のことですね。外国にもこういう話がいくつかあるんですよね。この手の怪物は、主人公にやられる前に同じようなことを何度かしていると思われるので、昔、どうにかして名前をさぐりあてたひとが歌などの形で残していたのかもしれません。鬼やインプの身内が歌うなどしていた場合は、信頼の証などの理由で、身内にだけは教えておいたというところでしょうか。

 さて、今日から10月です。今日の東京はけっこう暑かったのですが、日が沈むとやはり涼しくなりますね。長袖もそろそろ全部出した方がよさそうです。
 と、挨拶をすませたところで、ちょっと小話を挟みます。
「見ろ、ばあさん、この大きな蕪を……!」「ああ、他の蕪を残らず取りこんでぶくぶくにふくれあがっちまってる……。じいさん、こうなったらこいつを何としてでも引き抜いて手に入れないと」「そうだ、わしらは冬を越せなくなる! 飢え死にが待つのみ……!」「おお、つかんでみるとなんて頑丈な葉だろうね。こりゃあ予備の包丁を用意しなけりゃならないねえ!」
 というわけで、今宵はロシアの民話から「大きな蕪」です。さすがにあらすじを語る必要はないでしょう。
 気になるのは、どうしてお爺さんとお婆さんは動物まで総動員して、ただ抜くことに固執したのか。
 いや、まあ、これだけいれば抜けるだろう、さらに人手が加わったんだからもうちょっとで抜けるだろう、という気持ちになるのはわからんでもないです。戦力の逐次投入は愚策として戒められていますが、裏を返せば割とそういうことをやるひとがいたってことですからね。手伝いに来たひとたちも、とりあえず引っ張ってくれとしか言われなかったのではという気がしますし、だから動物たちでも手伝うことができたのでしょう。

 とはいえ、おじいさんとおばあさんを、逐次投入してしまう側のひとと単純に見做してしまっていいのか。一歩、考えを押し進めるなら、問題は引き抜いたあとにこそ待っているのです。畑に大きくできた穴、おじいさんとおばあさんだけでは処理しきれないだろう蕪、蕪には春蒔きと秋蒔きがありますが、どちらにせよ当分飢えることになるだろう未来。人手が必要になる案件ばかりです。もしもそこまで見越して抜くことに固執し、ひとを集めたのだったら、このおじいさんは案外策士かもしれません。



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by tsukasa-kawa | 2017-10-01 23:59 | 日常雑記

9月30日のお話・3

 天狗じゃ! 天狗の仕業じゃー!
 これを書いている時間帯はごまかしようもなく10月1日なんだけど、挨拶自体は9月に行ったものなので9月のお話として進めさせていただきますね。悪いのはすべて天狗だ(カイザギアを手にしながら)。原稿に詰まっていた僕ではない。
 で、天狗ですよ。鬼、山姥と並んで「昔話に出てくるおっかない何か」のメジャーどころなんですが、そういや全然書いてなかったなと。昼にランチ出してる居酒屋のことではありません。ファミコン時代の横スクロールシューティング? それはまた今度。
 前口上がすんだところで「天狗の隠れみの」です。天狗の出てくる昔話はまあいろいろあるんだけど、とくに有名なのはこれでしょう。

 昔々、ある男が山の上に行き、竹筒を取りだして遠くを眺めるふりをしながら「京が見える」「大阪が見える」などとはしゃいでいた。
 男の前に天狗が現れ、それは何かと男に尋ねる。男は、はるか遠くの光景が見える千里鏡だと答え、また「京が」「大阪が」と続ける。
 天狗は自分にも見せてくれるよう頼み、男は天狗の隠れみのを貸してくれたらと答え、天狗は承諾する。
 天狗は竹筒を覗いてみるが、せいぜいふもとの町しか見えない。その隙に男は隠れみので姿を消し、逃げてしまう。
 男はふもとの町で姿を消したままさんざん盗み食いをし、満足して家に帰る。隠れみのを屋根裏にしまっておくが、それを見つけた妻が、こんな汚いみのは捨ててしまおうと思い、男が出かけている間に庭先で燃やしてしまう。
 男は妻が隠れみのを燃やしたことに激怒するが、もしかしたらと思い、隠れみのの灰を身体になすりつける。すると、思った通り身体が消える。
 男は再び盗み食いなどの悪さを働くが、灰の一部が汗で流れ落ち、正体が露見してこらしめられる。

 天狗さあ、素直すぎやしませんかね。バージョンによっては、天狗を騙すアイテムは竹筒以外にさいころなどいろいろ出てくるのですが(遠くが見えると言ってだますのはだいたい同じ)、とにかく天狗は好奇心に負けてついつい隠れみのを貸してしまうのです。普段山に籠もって人間社会に触れないとかくも純朴になってしまうのでしょうか。ダブルクリックのやり方をようやく覚えたところでネット詐欺に引っかかるおじいちゃんおばあちゃんのようです。
 天狗は外法様とも呼ばれ、怪しい術の使い手であり、その点については今回の隠れみのや、説話に出てくる鼻が伸びる団扇などにも現れているのですが、ひとを惑わし、外道へ導くという点は完全にスポイルされています。遠くを見るぐらいの道具なら自分で作ればよくね?
 もっとも、これには天狗の性質もあるのでしょう。増長しているさまを「天狗になる」と言いますが、天狗というのは力があり、長く知識を蓄えてきただけに自信過剰で、ものを尋ねる、教えを請うということができないようなのです。
 でも相手があきらかに隠れみのの存在を知っている(多くのバージョンで、男は単刀直入に隠れみのを~と言っているので、隠れみのの存在はかなり知られていると思われる)のですから、警戒すべきでした。
 昔話には多く、人間が天狗や鬼、山姥をだまし、あるいは追い詰められたところを知恵を絞って切り抜ける話がありますが、つまるところ人間は普段からさまざまな面で交渉を重ね、嘘をつき、あるいは見抜く能力を磨いているため、そうした能力に特化しているということかもしれません。



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by tsukasa-kawa | 2017-10-01 12:15 | 日常雑記