一〇八(仮)

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ライトノベル作家川口士のブログです。「魔弾の王と戦姫」18巻、それから片桐雛太さんの魔弾画集、絶賛発売中です。よろしくお願いします。

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2017年 12月 23日 ( 1 )

12月23日のお話

 ひさしぶりに往来で屋台のケバブを食べたんですが、これは肉(チキンかビーフ)と野菜(キャベツとトマト)と炭水化物(ピタパン)がほどよく合わさった完全食だと思うのですよ。ネックは食べたあと、しばらく息が香辛料くさくなるので、僕みたいな基本的に家で仕事をする人間じゃないと厳しいことかな。
 そんな「とりあえず今日食べたもの」で挨拶をすませたところで、お題に入りましょうか。「一本の鉛筆の向こうに」。

 まわりにある一本の鉛筆を手にとってみる。それができるまでには、多くのひとの苦労が、日常が、人生がある。
 スリランカのボダラ鉱山で働くポディマハッタヤさん。彼は黒鉛を砕いて採る仕事をしている。黒鉛は、鉛筆の芯の材料になる。
 ポディマハッタヤさんは七人家族で、彼は朝も夜もカレーを食べ、長男と次男を学校へ行かせている。
 アメリカはシエラネバダ山中で、きこりのダン=ランドレスさんは木を切り倒している。
 朝三時半に彼は起き、卵四つ、バナナ一本、牛乳二杯の朝食をすませる。
 トニー=ゴンザレスさんはトラックの運転手。切り倒されたヒノキの丸太をトラックに積みこみ、夜明けとともに製材所に向かって出発する。
 皮をむかれ、製材された木は、一年間乾かしたあとでスラットと呼ばれる板になる。スラットはコンテナに積みこまれ、船で日本へ運ばれる。
 山形県にある鉛筆工場では、スラットに溝をつけ、芯を入れ、もう一枚のスラットで挟みこみ、切り離す。こうしてできたそのままの鉛筆に色を塗り重ねて、完成品ができあがる。
 大河原美恵子さんはこの工場の塗装部門で仕上げの仕事をしている。
 一本の鉛筆を手に取ってみると、その向こうに大勢のひとの生活などが見えてくる……。

 黒鉛の採掘からかい! いっそ地球も参加させて炭素がいかにして黒鉛になるかまでも語った方がいいような気すらしてきます。気のせいですね。
 一本の鉛筆ができあがるまでにはこのような工程があり、世界中のさまざまなひとが関わっているのだ、と伝えるのはいいでしょう。そのひとたちの生活についても描写すれば、彼らにも家族があり、自分たちとは異なる形で食事をし、睡眠をとり、日々を送っていることもわかってもらえるかもしれません。
 でもポディマハッタヤとかゴンザレスのインパクトには負けるんじゃないかなー。あと、当時のスリランカじゃ朝晩カレーは日本の白米と同じ感覚ぐらいのはずとか、そもそも向こうのカレーと日本のカレーはまるで違うってのも追記しておいた方がいいような気もします。

 それにしても鉛筆って、いまどれぐらい使われてるんでしょうか。僕が鉛筆を使っていたのって中学生ぐらいまでで、それ以降はもっぱらシャープペンだったんですよね。小学校にはシャープペンを使わせず、鉛筆を使わせる風習があったけど。100円のシャープペンができたのが1980年らしいので、ちょうど僕ぐらいの世代が過渡期だったのか。もうちょっと前かな?
 鉛筆とシャープペンのどちらが便利かというと、難しいんですよね。シャープペンには、書いている途中で線が太くならないとか、手が汚れたりしないとか、いちいち削らずに芯を入れ替えればいいとか、いろいろメリットがあるのですけども、筆圧が強くても芯が折れにくいとか、鉛筆を適当にとがらせて斜めに寝かせて紙の上を走らせて黒い色をつけるとか(自分で書いててわかりにくいなあ)、六角形鉛筆に限定されますが、カッターで棒の部分に刻みを入れてサイコロ代わりにするとか、かつてのロシア人のように宇宙で使うとか……。
 時代の移り変わりとともに、主要となる筆記具は変わっていきます。かつては筆だったものが鉛筆になったように。それまで使われていたものが姿を消すということはないでしょうが、普及率が大きく下がってしまうことはどうにもならないのかもしれません。
 いつか、一台の電子端末ができるまでを書いた話が教科書に載る時代がくるかもしれませんね。



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by tsukasa-kawa | 2017-12-23 23:31 | 日常雑記