一〇八(仮)

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ライトノベル作家川口士のブログです

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カテゴリ:日常雑記( 635 )

10月21日のお話

 イカれたメンバー紹介するぜ!
 虐待する飼い主のもとから脱走したあと、なぜかブレーメンに行って音楽隊に入ろうと考えた年寄りのロバ!
犬「以上だ!」

 昨日、期日前投票をしてきました。僕らみたいな娯楽の作り手側は、受け手の懐と時間に余裕がないと厳しいお仕事なので、何とかいい方向へいってほしいところです。
 そんな世知辛い挨拶をすませたところで、それでは「ブレーメンの音楽隊」まいりましょうか。

 昔々あるところに、働きもののロバがいた。しかし、ロバは年をとって、昔のようには働けなくなった。
 飼い主はそんなロバを虐待するようになり、ロバは飼い主のもとから逃げだした。
 ロバはブレーメンに行けば音楽隊に雇ってもらえるかもと思い、旅をはじめた。道中で同じ境遇の犬、猫、鶏に出会い、みんなでブレーメンを目指すことにした。
 日が暮れたころ、ロバたちは森の中に明かりのある家を見つけて、そこで休もうとする。
 その家には泥棒たちがいて、ご馳走を食べながら金貨をわけていた。
 ロバたちはお化けを装って(ロバの上に犬が乗り、犬の上に猫が乗り、猫の上に鶏が乗るアレ)泥棒たちをおどかし、追い払う。
 ご馳走を食べていると、泥棒たちが戻ってきたので、引っ掻いたり蹴飛ばしたりして追い払う。
 泥棒は二度と戻ってこず、ロバたちはその家で仲良く暮らした。めでたしめでたし。

 ロバ界の事情には疎いのですが、脱サラしてラーメン屋をはじめるのとどっちがハードル高いんでしょうね、これ。
 ブレーメンの音楽隊には動物枠があるか、それとも音楽隊自体がそういう何かなのでしょうか。まあ、どうせブレーメンには着かないし、いいか。
 そう、この年寄りどもはブレーメンに着いていないのです。バージョンによっては楽器を扱ってすらいません。
 載っているバージョンだと、担当は
 ロバ:リュート(弦楽器。ギターのようなもの)
 犬:ティンパニ(太鼓。ドラムのようなもの)
 猫:不明(ボーカルと思われる)
 鶏:不明(声を褒めているのでボーカルと思われる)
 というところですが、何をやるのか想像がつきません。仮面ライダー響鬼だってもう少しマシなセッションだったように思えます。
 しかも彼らは、最後にはブレーメンも音楽隊も忘れているのです。食い物と住みかが手に入ったので満足したというあたりは実に畜生ですが、それならタイトル変えようよ。四匹のじいさん、とかさ。ブレーメンを巡回する私設自警団みたいなノリの話でさ。
 驚くべきは、ブレーメンに彼らの銅像があることでしょう。着いてないのに。土佐を脱けたのに高知に銅像のある龍馬のようです。
 彼らの生き様を、音楽に絡めて言うならロック以外にないと思われます。抑圧からの解放、自立した、新たな道を求める生き方、泥棒を撃退するほどの強烈な自己表現、ブレーメンも音楽も関係ない矛盾、やはりロックしかない。ヤケで言ってるように見えますか? はい、ヤケです。
 とはいえ、この結末は、行動を起こしたからこそつかみとったものであることはたしかです。どんな音楽も、まずは行動を起こすこと、触れることからはじまるといいます。そう思えば、この年寄りたちは立派な音楽隊だったのでしょう。



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by tsukasa-kawa | 2017-10-21 21:14 | 日常雑記

10月20日のお話

 カメェェェッー!

 カメっていやな敵ですよね。ドラクエをやればガメゴンに苦しめられ、FFをやればギルガメに苦しめられ、マリオカートをやれば赤甲羅を後ろから投げつけられ。
 そんなカメも、昔話ではまた違う役割を与えられます。それではイソップから「兎と亀」いってみましょうか。もしもし亀よ、亀さんよ、って歌があるから日本の民話だと小さいころは思ってました。どうでもいいですね。

 発端は、ウサギがカメの足の遅さを馬鹿にしたところからはじまりまして。カメが怒って駆けっこで勝負を挑むわけです。
 そして、ウサギはぐんぐん先へ行くわけですが、そこで勝ったと思ってしまい、居眠りをはじめる。その間にカメはウサギを追い抜き、勝利する。

 馬鹿にされて、自分が不利な勝負を挑む。バトル漫画の原点といってよいでしょう。ええ、バトル漫画です。
 カメの地道な努力を評価する向きがありますが、そもそも相手の失点がないと勝てない勝負を挑む時点で、このカメはそうとうおかしい。本当に勝つ気があったのか疑われるところです。ウサギが居眠りしていることに気づくまで、どういう心境だったでしょうか。もう相手がゴールしているだろうと思いつつ、言いだしたことだしとでも思いながら、歩いていたのではないか。それを地道な努力というのでしょうか。
 他地域に伝わったものの中では、カメが日時とコースを指定し、事前に仲間を潜ませておくことで勝利するという、これまたバトル漫画のような流れを持つものがありますが、少なくともこのカメは勝つつもりがあり、そのために動いている。
 とはいえ、現実には相手の失点によって道が開けるということがたくさんあります。地道な者が勝つというのではなく、こういう運のいい者っているよね、というのが兎と亀なのかもしれません。



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by tsukasa-kawa | 2017-10-20 01:35 | 日常雑記

10月18日のお話

 力で身を守ることはできますが、金で身を守ることはできません。
 もちろん金を使って力のある者を雇うなり、武器などを買うなりすれば身を守ることはできますが、結局身を守るのは力ということになります。
 ドラマなどの終盤で金持ちの悪人がやられるときの「金がほしいのか。金ならいくらでも(ズキューン)」という、まああんな結末が待つわけです。
 金を使って身を守るには、それなりの知恵が必要です。知恵も力もなければ、その金さえ守れません。
 などとぐだぐだ語ったところで、ノルウェーの昔話「北風のくれたテーブルかけ」まいりましょうか。

 少年が、パンを焼くための小麦粉を家の外の食料庫から取りだして家に運ぼうとしていた。
 そこへ北風が吹いて、小麦粉を吹き飛ばしてしまう。少年は北風を追いかけ、北風の住む氷のお城にたどり着いて訴える。
 北風は小麦粉はないと答え、代わりにどんなご馳走でも出てくるテーブルかけを少年に与える。
 少年は喜び勇んで家路を急ぐが、途中で泊まった宿でテーブルかけの秘密を主人に知られ、すりかえられてしまう。
 家に帰ってもテーブルかけはうんともすんとも言わない。少年は再び北風のもとへ行き、訴える。
 それではと、北風は今度は金貨を吐きだす羊を与える。少年は喜び勇んで(中略)やはり途中で泊まった宿で羊をすりかえられ、三度、北風のもとへ。
 北風が次に与えたのは悪人をこらしめる杖だった。少年はやはり宿に泊まり、今度は杖をすりかえようと忍びこんできた主人を、杖で打ちのめす。そうしてテーブルかけも羊も取り返した。めでたしめでたし。

 北風もずいぶん気前がいいものですが、3度目にあげたものが「悪人をこらしめる杖」とは、なかなか考えたと思われます。
 もしも少年が北風をだまして財宝をいくつもせしめようとしているのなら、渡した時点で杖が少年を打ちのめすでしょう。そうではなく、もしも少年が何者かにだまされているのなら、少年に必要なのは財宝ではなく、悪人から身を守る力です。だって財宝を守るだけの力も知恵も勇気もないんだもの、この子。知恵と勇気はそう簡単に湧いてくるものでもないので、とりあえず力を持たせるのが手っ取り早い。
 そして、これは少年が悪人にならないための抑止力にもなります。少年が首尾よく財宝を取り返したとして、杖があるうちは道を踏み外すことはない。それなら問題ないと、北風は思ったのではないか。
 いつか杖に代わる力を身につけたとき、少年は杖を必要としなくなるのでしょう。



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by tsukasa-kawa | 2017-10-18 23:47 | 日常雑記

10月17日のお話

 家を焼いて、旅立つ。
 漫画やアニメ、映画などで、見たことがある場面ではないでしょうか。
 その多くは、目的を果たすまで帰らないという決意の証なわけですが、旅は非常に困難なものです。生まれ育った町や村にいれば、こんな目には遭わなかったのにというような数々の経験を経て、彼らは成功をつかみとります。おそらく、その影には同じように家を焼いて旅立ちながら、志半ばで倒れていった者が数多くいたでしょう。

 さて、僕の中では、貧しい生い立ちとか関係なく、不幸な話を書きたくてたまらなかったのではないかという疑惑のあるアンデルセン作「マッチ売りの少女」です。
 年の瀬に、父親に命じられ、寒い中マッチを売ろことになった少女のお話ですね。マッチを擦ったら次々に幻が現れ、最後に炎の中に祖母の霊が現れて少女の魂を天国へ連れていった、という結末で締めくくられます。死によって彼女は最後に救いを得た、ということのようです。

 のっけから詰んでいます。年の瀬で慌ただしい町。恐ろしい父親。売れやしないマッチ。売るまで帰れない状況。マッチに出てきた祖母の幻影が意味する、守ってくれる者の不在。そのマッチで家を焼いて炎の旅立ちをした方がよかったんじゃなかろうか。とはいえ、そう思い切ることはなかなかできないのもたしか。ぶっちゃけ町の外は怖いし、どうすればいいかわからないものだしね。
 ですが、本当に彼女が助かる道はなかったのか。年の瀬なら教会がにぎわっているはずで、クリスマス・キャロルよろしくクリスマスの寄付金を集めた直後であったはず。寄付金集めがイギリス限定だったとも思えないので、教会に行けば空腹はともかく、寒さをしのぐことはできたかもしれません。父親について話せば、運がよければなにがしかの力になってくれた可能性もあります。父親の人柄を知っているだろう近所の住人なら、夜の間ぐらいはかくまってくれるかもしれない。
 思い切るのは怖いものです。上に書いたことだって、それで一晩しのいでも延命しただけに過ぎず、父の怒りを買って状況が悪化する可能性もあるでしょう。
 ですが、凍えて動けなくなってしまえば、本当に幻に看取られて終わってしまう。

 少女は生きることに疲れ果てていたのでしょうか。では、マッチを擦ったら望むものの幻が出てきたのはなぜなのか。もう死ぬから幻ぐらい見せようということだったのでしょうか。食べ物やストーブの幻は、生きたいという少女の思いだったのではないでしょうか。死を選ぶのだって、怖いものです。
 もう耐えられなくなったら、いえ、耐えられなくなる前に行動しなければ、最後はこうなるよという見方もできるのではないでしょうか。死者の思いを生者が決めつけるのはよくないことでしょうが、祖母だって、孫の魂をこんなんで連れていきたくはなかったでしょう。死神かよ。



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by tsukasa-kawa | 2017-10-17 23:49 | 日常雑記

10月16日のお話

「日が高くなるまでゆっくり寝て、それから漁に出る。戻ってきたら子供と遊んで、それから女房とシエスタして。夜になったら友達と一杯やって、ギターを弾いて、歌をうたって……ああ、これでもう一日終わりだね」

 また一日分溜めこんでしまった……。
 気を取り直して、上の台詞は、ネット上のコピペの一部を抜粋したものです。メキシコの田舎町で漁をしていた漁師に旅行者が話しかけ、ハーバード・ビジネス・スクールでMBAを取得した人間としてアドバイスしようと言い、こうすればもっと金が儲かる、億万長者になれる、引退してゆっくり過ごせると説くものです。
 ひとには、性格や能力、環境に応じた生き方があります。性格に合うこと、能力の面からも向いていることは多少の失敗にもめげずガンガン押し進められるでしょうし、環境に応じて、ということは必要なものがそろいやすいということです。逆に、性格に合わないことをやれば普段より疲れるかもしれないし、向いていないことをやれば失敗する可能性は上がり、環境に合わない生き方は、性格や能力でカバーしなければならない場面がしばしば出てくるでしょう。もちろん、やってみたら意外に向いていた、不得意だったことを得意なものにしたという例はたくさんあるので、一概には言えないのですが。

 さて、イソップから「アリとキリギリス」です。原話は「アリとセミ」なのですが、どうもセミのいない地域へ話が伝わったときにキリギリスに変わったようですね。ここではキリギリスで通します。
 アリが懸命に頑張って食糧をためているころ、キリギリスは遊び呆けていました。食糧はそのへんにいくらでも転がっていたからです。
 ですが、冬になって食糧が見当たらなくなり、キリギリスはアリに助けを求めました。しかし、アリには拒絶されました。

 原話では、アリがセミに「夏唄ったなら冬は踊ったらどうだい」と辛辣な言葉を投げかける場面などもあるそうです。それに対してセミが「歌うべき歌は歌い尽くした。私の亡骸を食べて生き延びればいい」と答えるバージョンもあるとか。また最近のだと、アリがお説教をしたあとキリギリスを巣の中に迎えいれるバージョンもあるようです。
 必要なものをしっかり溜めておく地道な生き方こそ尊ぶべし、というよりは、遊び呆けていてはいつか後悔するという脅しめいた教訓が、このお話の伝えたいことであるようにいわれています。ですが、セミは秋には死にます。キリギリスもやっぱり秋には死にます。冬まで生き延びたとしても、セミの食べるものは樹液ですし、キリギリスは肉食性なので、本当に他に食べるものがなくなったらアリでさえも標的にするでしょう(普段は小さいものは狙わないらしい)。生き方は性格や能力、環境に応じるのです。
 とはいえ、教訓から見れば、遊び呆けて身代を失い破滅した人間が山ほどいるのは事実であり、それを反面教師とするのも正しい。
 であれば、蓄えがなくなるという状況を、なるべく作らないようにするしかない。生き方に合わせて。餌場を複数持って季節ごとに拠点を移す、その場をしのぐことができる人脈をつくっておく、代価として餌がもらえるぐらいまで自分の歌の質を高める、というあたりか。
 キリギリスは、生き方を超えて遊びすぎたということになるのでしょうか。



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by tsukasa-kawa | 2017-10-16 10:53 | 日常雑記

10月14日のお話

 トントン
「誰だー?」
「かあちゃんだよ」
「ほんとにかあちゃんか? じゃあ次の問題に答えてみろー。子ブタの住むレンガの家に入る方法は?」
「そりゃあ煙突から」
「おまえ狼じゃねえか!」

 西洋では、狼というのはよほど凶悪で、獰猛な存在のようです。これまで語ってきたものだと「三匹の子豚」や「狼と羊飼い」などがありますが、三匹の子豚においては、狼は力強さを示して藁の家や木の家を破壊し、レンガの家に対しても狡猾さを発揮して、あと少しというところまでいきました。狼と羊飼いにおいても、少年の叫びを聞いて、大人が数人がかりで駆けつけてくるほど警戒されています。語っていないものだと「赤ずきん」あたりが有名でしょうか。こちらもずる賢いですね。
 それでは「狼と七匹の子ヤギ」いってみましょうか。やはりずる賢い狼の出てくる物語です。

 母ヤギが町に出かけ、七匹の子ヤギが留守番をする。
 そこへ狼が母ヤギのふりをしてドアを叩く。子ヤギたちは「そんな声は母さんじゃない」と言って追い返す。
 狼はチョークを食べて声をよくして再挑戦。しかし、ドアの覗き穴から見えた脚に「この脚は母さんじゃない」と言って追い返す。
 狼はパン屋で小麦粉を調達して脚に塗り、再挑戦。今度はだますことができて、狼は侵入するや子ヤギをかたっぱしから丸呑みにする。七番目のヤギだけは隠れることができて助かる。
 狼が去ったあと、母ヤギが帰ってきて、七番目から事情を聞く。外に出て狼をさがすと、川辺で昼寝をしているところを発見する。
 母ヤギは七番目にハサミと針と糸を持ってこさせ、狼の腹を割く。丸呑みにされていた子供たちは六匹とも無事に出てくる。
 母ヤギは子供たちに石ころを持ってこさせ、狼の腹に詰めこんだ上で針と糸で腹を縫う。
 目覚めた狼は腹の重さに苦しみながら水を飲もうとして落ちてしまい、おぼれ死ぬ。めでたしめでたし。

「丸呑みだから無事」という、洋の東西を問わない理不尽なルールはひとまず横に置くとして、麻酔なしで切開とかブラックジャックも真っ青ですよ、母ヤギ。患者は目覚めませんからね。このテクニック、狼が母ヤギの留守を狙ったのもうなずけます。このヤギ一家に父親が出てこないのは、たぶんこの恐ろしいテクニックの餌食になったのでしょう。
 腹に石を詰めこまれておぼれ死に、というのは、まあ救出劇がなければ六匹の子ヤギが消化されて狼の血肉となっていたわけですし、母ヤギの技術を考えると、ぬるい方だと思っていいのでしょう。生皮を綺麗に剥いで表側を肉に縫いつけるとかしそうじゃん、この母ヤギ。
 それにしても、狼は詰めが甘かった。いや、母ヤギを甘く見ていたのでしょうか。目的を果たしたからには、相手が確実に追ってこられないエリアまで逃げるべきでした。遠足は家に着くまでが遠足であり、途中で足を止めては、まだミッションクリアではないのです。
 まあ、母ヤギの技術と復讐心を考えると、狼が逃げきったら逃げきったで、生き残った子供を連れて母ヤギがさすらいの旅を続ける子連れ狼ならぬ子連れヤギの物語がはじまるかもしれませんが……。



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by tsukasa-kawa | 2017-10-14 23:41 | 日常雑記

10月12日のお話

 話は聞かせてもらったぞ! 人類は滅亡する!

 小さなものから大きなものまで世の中にはさまざまな嘘がありますが、僕の知る中でいちばんスケールのでかい嘘はこのあたりでしょうか。なにせ人類ですからね。期限を区切ってはいないので、いつか人類が滅亡したときは本当のことになるのでしょうけれど。
 僕自身もこれまでに嘘をついたことは何度もありますが、嘘だとわかっても笑いごとですむ類の嘘は、まあ楽しいんですよね。たとえば、ある言葉の発音や意味を、わざと違うものを教えるとか。そのゲームには存在しないイベントをでっちあげるとか。15ターンで倒してもエスターク仲間になんねえじゃねえか!(Ⅴの話です)

 だまされた話をひとつしたところで、イソップから「狼と羊飼い」です。狼少年て言葉があるぐらい有名な話ですね。羊飼いの少年が「狼が来たぞー」と叫んで大人を呼んでからかい続けていたら、本当に狼が来た時に誰も駆けつけてくれず、羊をことごとく食われてしまったという話です。
 嘘をつき続けると、本当のことを言っても信じてもらえない。そういうことを伝える話といわれています。たしかに、現代でも通じるテーマではあります。信用をなくすまで嘘をつくのはよくないでしょう。
 しかし、嘘をつかないで生きられる人間が、どれだけいるでしょうか。人間がどのようにして生まれてくるのかを、子供に詳しく説明する大人はいません。ブサイクな人間にブサイクとストレートに言えるひとは多くないでしょう。病院嫌いの家族を気遣って、健康診断だとごまかして病院に連れていったという話は何度か聞いたことがあります。誰かをからかったり、見栄を張ったり、あるいは誰かと話を合わせるためだったり、誰かをかばうためだったり、何か理由があって嘘をついたことはありませんか。
 人間が嘘を必要とするのも、また事実です。

 嘘はひとつの武器であって、重要なのは使い方ということでしょう。誤った使い方をした場合は、戒められるべきなのです。その点で、このお話の大人たちは羊飼いの嘘に気づいていながら戒めることもなく、羊飼いの仕事を他のことに代えるでもなく、ほったらかしにしています。
 羊を存分に食べて味を占めた狼は、また何度か姿を見せるようになるでしょう。いつか狩り場を変えるまで。それまで、大人たちは狼を警戒しなければなりません。自分たちの身や他の家畜を守るために。
 それはついては駄目な嘘なのだと、誰も教えなかったことこそが、このお話の悲劇なのでしょう。



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by tsukasa-kawa | 2017-10-12 21:38 | 日常雑記

10月11日のお話

 わしはまわりの連中とは違う。こんなんじゃない本当の自分が、よその土地でならきっと見つかる。
 わしは、こんな年季の入った肥だめみたいな町で一生を終える男じゃないんじゃー!
 そう叫んでまたひとり、一発逆転を狙って町へ行った男がおってのう……。1年で連絡がつかなくなってしもうた。

 そんな昭和昔話をしたところで、アンデルセンで有名な「みにくいアヒルの子」です。
 アヒルの子供たちの中に、なぜか一羽だけみにくい子が混じっていて、他の子からはいじめられ、母親からも見捨てられて家族を飛びだし、他の群れにも入れてもらえず、旅の末に自分が白鳥であることに気づく……というお話ですね。貴種流離譚の鳥版といったところでしょうか。まあ白鳥って成鳥になるまでだいたい1年ぐらいらしいので(飛べるようになるのは生まれてから3ヵ月ぐらい)、約1年の旅路だったわけですが。

 気になるのは、本当にいじめが原因で家族のもとを飛びだしたのかということです。
 もちろん個体差はあるでしょうが、白鳥ってどちらかというと気性が荒いんですよね。仲間だと思えば人間にも懐くのですが、そうでなければけっこう攻撃的という。
 この子がはじめて家族に違和感を覚えたのは、目の前の親鳥を親と認識できたかどうかでしょう。アヒルは刷り込みで親を認識するのですが、この子にはそれがないわけで。外見の問題ではなく、のっけから浮いていたのではないでしょうか。
 いじめがなかったとは言いません。この子が浮いていることを自覚したように、まわりの子もおかしいと思ったでしょうから。ですが、この子は自分から暴れて、その末に飛びだしたのではないでしょうか。

 家族のもとを飛びだしたあと、この子は自分の居場所を求めて他の群れをあたります。次々と追いだされるわけですが「おまえ、どう見てもアヒルじゃないよ」とは言われないのですね。正確には、言われた描写がない。
 白鳥とまではわからなくとも、アヒルでないことには気づくでしょう。あるていど成長したら羽の形とか違ってくるし。白鳥は飛べますからね、アヒルと違って。
 その指摘があれば、この子の旅はルーツを探す旅となり、まさに貴種流離譚となったわけですが、そうはなっていません。
 あきらかな外見の違いを、他の群れは「みにくい」だけでかたづけて排斥したのでしょうか。
 指摘はしたが、この子が聞こうとしなかったのではないでしょうか。

 白鳥の群れに指摘され、水面に映る自分の身体を見て、この子は自分が白鳥であることを受け入れます。
「飛べるアヒル」だとは思わないわけです。
 この子はやはり、もっと以前から「自分はアヒルではない」と思っていたのではないか。だからこそ、白鳥の指摘をすんなり受け入れたのでは。
 それまでは、アヒルでないとすれば何なのかがわからず、アヒル以下の何かかもしれないという恐れを捨てきれなかったため、自分は「みにくいアヒル」だと思うようにしていたのではないか。
 みにくいアヒルの子というのは、他称ではなく、自称だったのかもしれません。



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by tsukasa-kawa | 2017-10-11 10:21 | 日常雑記

10月9日のお話

 ぐあっ! 美しい!
 美はパワー。超常的な美しさは、見る者を圧倒し、悪党を殲滅し、なんだかんだ世の中を平和にするそうですよ。
 仕事柄、休日はほとんど関係ないのですが、三連休もそうでした。いまだにずれの調整もできていませんが、これ以上空けないようにはしたい……。あと、読者の方は来月に出る本をお待ちくださると嬉しいです。
 さて「白雪姫」。有名なのはグリム版。映像ならディズニー版でしょうか。白雪とは、雪のように白い肌からきているわけですが、彼女はすばらしい美貌の持ち主だとされているのに、髪や瞳や唇などではなく肌の白さが名前になるというのはすごいものです。どれだけ美肌だったんだ。
 さておき、まずはあらすじを見ていきましょうか。

 ある国に、白雪姫という美しい王女がいた。
 その国の王妃は魔法の鏡を隠し持っており、毎日、鏡に向かって「世界でもっとも美しいのは誰か」と問いかけては「王妃様です」という答えを聞いて満足していた。
 ところがある日、いつもの質問に対して鏡が「白雪姫です」と答えた。王妃は嫉妬に狂い、白雪姫を殺そうと考える。
 王妃は猟師に白雪姫の殺害を命じる。しかし、猟師は白雪姫を森に連れていったところで殺すことをためらい、置き去りにする。王妃には仕留めた動物の肝臓を、白雪姫の肝臓だと言ってさしだす。
 王妃が安心したのも束の間、鏡はいつもの質問に「白雪姫です」と答える。王妃は再び白雪姫の殺害をくわだてる。
 一方そのころ、白雪姫は森の奥の洞窟で暮らす七人の小人のところに住みこんで、家事をがんばっていた。
 王妃は腰紐売りに化けたり、櫛売りに化けたりして白雪姫の殺害をたびたび試みるが失敗、林檎売りに化けて毒林檎をかじらせ、ようやく成功する。
 白雪姫が死んだと思って悲しむ小人たちのところに、王子が現れる。王子は白雪姫に一目惚れし、死体でもかまわないからと小人たちから引き取る。
 白雪姫の入った棺を担いでいた家来がけつまずき、その拍子に白雪姫は毒林檎を吐きだしてよみがえる。
 王子と白雪姫の披露宴の席で、王妃は焼けた鉄靴を履かされて、死ぬまで踊らされる。

 バージョンによっては、白雪姫は喉に詰まっていた毒林檎のかけらを吐きだしてよみがえる、とかなっていて、じゃあこの子って毒は関係なくて窒息死だったの? とか思うところはあるのですが、ゲーム的に毒で戦闘不能とかそんな感じで捉えればよさそうです。
 それから王子、どうも他国の人間のようなんですが(自分の国に連れ帰って妻とした、というバージョンがある)、白雪姫や王妃にしたことを考えると、王妃の国を征服しておそらくは最高権力者である王妃を処刑し、その後継者を妻にして併合したとかそんなオチなんじゃないだろうか。それだと、死体でもかまわないからと引き取った理由にはなるんですよね。死んでいることを隠して(せめて結婚式が終わるまで)妻にして、形式上でも国をものにするという……。

 それにしても、なぜ王妃はここまで白雪姫を殺害することに固執したのでしょうか。もちろん、彼女を殺害すれば自分が「もっとも美しい存在」に返り咲けるからなのですが。
 では、美しさとはなんでしょうか。身体の一部に限定して「美しい髪」「美しい瞳」などと言うことがあります。また、善良であることを「美しい心」と言うこともあります。信念を貫く毅然とした態度や、長い年月をかけて技術と経験を染みこませた、傷だらけの職人の手に美を感じることもあるでしょう。
 万人が認める美とは、あるのでしょうか。魔法の鏡ならば、それを知っているのでしょうか。

 王妃は、白雪姫より美しくなかったのでしょうか。たとえば髪、あるいは瞳、唇など、すべての点で、美しくなかったのでしょうか。おそらく、そんなことはなかったでしょう。
 ですが、王妃は魔法の鏡の言葉を疑いませんでした。魔法の鏡は嘘を言わないからです。より正確には、鏡は嘘を言わないと、王妃は信じているからです。そう信じることによって、自分の美しさに自信を持つことができていたからです。その意味で、王妃の美しさは鏡によって支えられたものでした。

 どんなものであれ、ある日突然違うことを言えば、まずは故障を疑うのではないでしょうか。
 しかし「白雪姫がもっとも美しい」と鏡が言った時、王妃は鏡がおかしくなったとは思いませんでした。
 ひとつには、王妃も内心では、白雪姫の美しさを認めていたからだと思われます。
 もうひとつは、王妃は自分を美しいと思えなくなってしまったからでしょう。自分の中に基準があれば「そんなことはないでしょう。この爪とかあの子より綺麗ではなくて?」とか反論できたはずです。「あんな知性の感じられない騙されやすい小娘のどこがいいのさ」ぐらいは言ったかもしれません。だからこそ、王妃は白雪姫を殺すしかありませんでした。それ以外に美しさを取り戻す方法が、彼女にはなかったからです。
 もしも王妃に自分を美しいと思えるだけの自信や、美肌が強調されている小娘なんぞに負けてたまるかと美貌を磨く意地があれば、このお話も違った展開を見せたかもしれません。



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by tsukasa-kawa | 2017-10-09 23:16 | 日常雑記

10月8日のお話

「北風小僧の寒太郎」って歌があるじゃないですか。NHKはみんなの歌でたまたま聴いたこととかありませんか。
 冬でござんす、とか言ってるから北風って冬のイメージなんですよ。槇原敬之も、北風がこの街に雪を降らす、とか歌ってたし。
 イソップが生まれたギリシアも北半球なので、北風のイメージはそう変わらないと思うんですよね。
 でさあ、冬の太陽って、たいして暖かくはなくね? 何か弱々しいし。5時ぐらいには沈んじゃうし。
 ギリシアは地中海性気候ですが、やっぱり冬はそれなりに寒いらしいし、三、四時間照らしたところで、旅人が「あちぃ! マント脱ぐか!」って考えるとは思えないんですよ。

 そんなごたくを挨拶代わりにだらだら述べたところで「北風と太陽」です。
 どうも原話は2回勝負らしく、1回目は旅人の帽子をとろうという勝負で、先に太陽が照らし続けるんですが、旅人は暑がって帽子をとらず、北風は強烈な風で帽子を吹き飛ばして一勝……というものらしいんですね。2戦目はみなさんご存じの通り、旅人のまとっているマントを脱がせることができるかどうかというアレです。必ず後手が勝つあたり、まるで料理漫画のようですね。
 つまり、この童話が伝えているのは、強引なやり方よりもじっくりやった方がいいよ、ではなく、ターゲットに合わせたやり方をとろうよ、というものらしいのです。まあ、すごむ刑事となだめる刑事のコンビだって、すごんで相手が全部吐くならそれだけでいいしね。
 しかし、世の中の面倒の多くは、どこも人材がさほど豊富ではなく、適材適所に恵まれないことです。北風としてのアクションが通じない場所に、北風が派遣されることもままあるでしょう。そういうときは勝てる環境をつくるというのも、またひとつの手ではないでしょうか。



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by tsukasa-kawa | 2017-10-08 16:56 | 日常雑記