一〇八(仮)

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ライトノベル作家川口士のブログです。「魔弾の王と戦姫」18巻、それから片桐雛太さんの魔弾画集、11月25日発売です。よろしくお願いします。

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カテゴリ:日常雑記( 644 )

11月14日のお話

 ひとに魚を与えれば、一日の糧となる。ひとに魚を捕ることを教えれば、一生食べていくことができる。

 中国の老子が残した言葉といわれることもありますが「老子」にはこのような記述はないそうです。また、アフリカの諺であるともいわれますが、それについては確認できていません。もっとも、魚を捕って暮らすところであれば、たいていのひとがわかっていそうな、そして当たり前のこととして語り継いでいそうな気もします。まあ有名人が言ったっていえば不思議な説得力がつくからね。

 さて、いよいよ秋も深まってきましたが、いかがお過ごしでしょうか。場所によっては紅葉もずいぶん見ごろになっているのではないかという気がします。僕は自宅からたいして離れていませんけどね! そんなことはいいんだ。

 それでは今宵はグリムより「星の銀貨」です。
 親はなく、住むところもなく、食べるものといえばもらいものの小さなパン、着るものといえばいま身につけているものだけ。そんな少女があてどもなく荒野を歩くところから物語ははじまります。
 少女はお腹をすかせた男に出会い、持っているパンを渡して歩きだします。しばらくして、寒がっている少年に出会い、自分の服を与えて歩きだします。またしばらくして、やはり寒がっている少年に出会い、自分の下着を与えます。
 少女がその場に立ちつくしていると、星が彼女のそばに降ってきます。少女の行いをよしとした神様の力によるもので、星の光は銀貨となり、少女は裕福に暮らしたのでした。

 俺たちゃ裸がユニホーム! たまにゃ夜風に凍えるけれど 善意 善意 善意ひとつが財産さ
 文字通りの裸一貫になるまで善意に対する報いがないとか、ちょっときつくないですかね。まあアダムとイブの時代から服には否定的だけどさ、神様。
 少女の行いそのものは素晴らしいと思います。ただ相手のためだけを思い、ほどこしを与える。自身も貧しい状況でそうそうできることではありません。見返りを求めないというよりも、見返りという発想自体がないのでしょう。ぶっちゃけ最初のほどこしの時点で銀貨の雨が降り注いでもいいと思うぐらいです。

 しかし。少女の思いやりとは別に、パンは食べてしまえばそれで終わりです。パンをほどこしてもらった男は、明日にはまた飢えるのでしょう。服をもらった少年は、つまり服すらなかった少年は、パンを得るために遠からず服を手放すかもしれません。下着をもらった少年も同じことです。彼らのもとに銀貨は降りません。
 少女は、そのとき自分にできる精一杯のことをしたのでしょう。ですが、明日も、明後日も生きていこうとするのならば、他の手段があったかもしれない。協力しあって動物なり魚なりを捕るような。そして、それは手元にパンがあるような余裕のあるときでなければ、難しいことでしょう。余裕がなかったらたいてい物質的な欲望の充足が優先されますからね。夢で腹がふくれるかい、同情するなら金をくれってもんですよ。
 もしも少女が男とパンをわけあい、助けあって、新たな食糧を得るための行動を起こしていたら、また別の話が展開していたでしょう。
 それを神様が賞賛するかどうかはわかりませんが、勇気や意欲を与えることは、ものを与えることに劣らないのではないでしょうか。



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by tsukasa-kawa | 2017-11-14 00:52 | 日常雑記

11月12日のお話

 ごまを開く、もしくはごまを開ける、って何でしょうね。
 だって、ごまですよ。ごま。殻を爪でこじ開けるんだとしても、それって割るとか潰すとかいうんじゃないかな……。
 ここでごまを開くってどういうことだよぉーっ、納得いかねえーっとギアッチョごっこをしてもいいんですが、深夜にテンションが無駄にあがってしまいそうなので早々に本題に入りましょう。はい「アリババと四十人の盗賊」です。

 お話は、真面目な働き者だけど貧乏なアリババが、近くの山で薪を集めていたところ、盗賊たちを発見してしまうところからはじまります。
 そこで盗賊の親分が洞穴に向かって唱える合い言葉(現地ではシムシム、貴様の門を開けろ、というらしい。シムシムとはごまのこと)を聞いたアリババは、盗賊たちが去ったあと、洞穴に向かって合い言葉を唱え、洞穴の中にあった財宝を手に入れ、大金持ちになるのです。
 この話を聞いたアリババの兄カシムはさっそく洞穴に向かい、財宝を手に入れたものの、洞穴の中で合い言葉を忘れてしまい、帰ってきた盗賊たちに殺されてしまうのでした。
 その後、このお話はアリババに対する盗賊たちの逆襲と、機転を利かせてアリババを助け、盗賊たちを撃退する女奴隷モルジアナの活躍が描かれ、めでたしめでたしとなります。

 冒頭で難癖つけましたが、開けごま、って呪文は非常にいいと思うんですよ。ごまっていったら、割るとか潰すとかするとかじゃないですか。言葉の組み合わせ的にちょっと思いつかないもの。だからカシムもうっかり忘れてしまったのでしょう。
 でも、四十人もいて秘密の呪文を聞かれてしまうのは正直どうよ。だって秘密の呪文ですよ。現代風に言うなら金庫の暗証番号ですよ。56513みたいな。部下にも知らせず自分だけが知っていることにしてもいいぐらいでしょうに、盗賊たちから身を隠しているアリババに聞こえるほどの声で呪文を言ってしまったのが、この親分の失敗です。本人が洞穴に意識を向けているとしても、三十九人を見張りに立たせるとかさあ。

 開けごまの呪文を、盗賊の親分が考えたのか、それとも誰かが洞穴ごと考えたのを親分が偶然知ったのか。それはわかりません。
 ですが、洞穴と呪文を親分は使いこなせませんでした。結局、財宝はそれを使いこなせるひとのもとに落ち着くということなのでしょう。情報過多の時代ですが、せめて自分のまわりの情報ぐらいは御したいものです。



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by tsukasa-kawa | 2017-11-12 01:18 | 日常雑記

11月9日のお話

 拍手レス
>最初期の赤ずきんは猟師が出て来ず狼が赤ずきんを食って終わりらしいですね
>これだとお話としては赤ずきんとお婆さんがヤバい怪物に遭って食われて死にましたとかいうなんの面白みもない話に…
>お話としての面白みの為にはヤバい怪物を銃という力でねじ伏せる猟師は必要だったのでしょうね。やはりこの世は力が最後に物を言う…!

 赤ずきんにブローニング銃を持たせたジェームズ・サーバーは正しかった!?
 おそらく最初期は、不用意に森に踏みこんではいけないという教訓を持った物語だったのでしょうね、赤ずきんは。ちょっと物語性を持たせようとして狼に知性と力を与えてしまったらバランスが大変なことに……。あるいは、寝こんでいたお婆さんが、元気だったら実はめっちゃ強いとかそんな語り継がれなかった設定があるのかもしれません。

 ところで、ニュースを見ていたら来週からは一気に真冬なみの寒さになるとかいわれて今から鬱々ですよ。まだ僕はスポーツにも芸術にも親しんでいないのに。あ、食欲についてはお肉を食べるなどしているので割と堅調です。
 天気についてさらっと流したところで、10月の宿題をまたひとつかたづけるとしましょうか。イソップから「ろばを売りに行く親子」です。
 タイトルだけでは首をかしげるかもしれませんが、話を聞いてみたら、聞いたことがあるという方もいるかもしれませんね。ざっとこんな感じです。

 昔々、父親と息子がろばを売りに行くことにした。
 二人でろばを引いて歩いていると、通りすがりのひとから「ろばに乗りもせず、歩いているなんてもったいない」と言われた。
 それもそうだと思い、父親は息子をろばに乗せたが、通りすがりのひとから「元気な若者が楽をして、父親が歩くなんて」と言われた。
 それもそうだと思い、父親がろばに乗ったが、通りすがりのひとから「子供を歩かせて自分が楽をするとはひどい父親だ」と言われた。
 それもそうだと思い、今度は二人でろばに乗ったが、通りすがりのひとから「二人も乗るなんてろばが可哀想だ。楽に運んでやればいい」と言われた。
 それもそうだと思い、二人はろばの脚を棒にくくりつけてひっくり返し、二人で棒を担いで運ぼうとした。ろばは暴れて川に落ち、死んでしまった。

 正解はひとつ!じゃない!!
 この親子は途中でぶち切れてもよかったんじゃないかな。余計なお世話じゃけえ!とか何とか言って。
 興味深いのは、通りすがりのひとたちの意見は、最後のものを除けば間違ったものではない、というところでしょうか。そして、このような、複数の正解が用意されているものというのは世の中にけっこうあると思います。もちろん、正解がひとつだけという問題もあるでしょうが。

 あえて教訓を求めるとすれば、自分の意志、考えをはっきり持っておくということになるでしょうか。
 ひとの意見を聞き入れることは大切ですし、それについてはこの親子の態度は美点といっていいでしょう。最後の意見についても、まあ意見そのものに問題はなかったと思いますし。
 ただ、この親子はろばを売りに行くわけです。できれば高値で売りたいわけです。たぶん。
 それには、ろばをあまり疲れさせないで市場で元気に見せるか。ひとを振り落とさないろばだとアピールするためにどちらかが乗るか。あるいは、あえて二人で乗っていき、ろばの頑丈さを見せつけるか。いろいろ考えられると思います。それについて決めていれば、取り入れる意見とそうでない意見をわけることができたのではないでしょうか。

 何を目的とするか。そのために何を優先すべきか。僕もそうですが、ひとはあらゆる場面で迷いがちです。有用な意見があれば、それをどんどん取り入れてしまいたくなります。取り巻く状況も刻一刻と変わりますからね。正解はまだまだいっぱいあって、それらを解き明かすために冒険も必要になるでしょう。
 ただ、それによって当初の目的から外れては、多くの場合ろくな結果になりません。
 そういったことを、このお話は伝えたかったのかもしれません。
 まあ正解はひとつじゃないだろうけれどね。



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by tsukasa-kawa | 2017-11-09 23:59 | 日常雑記

11月8日のお話

 ネーズーミーが出たぞー!
 ネズミの脅威といったら、さいとうたかおのサバイバルがやはり群を抜いて上手いというか恐ろしく描いていると思うんですよ。食糧を食い荒らし、相棒のフクロウを叩き潰し、昼夜かまわず少年を脅かすネズミの大群。結局、少年はねぐらを放棄するしかありませんでした。まあ対処しようがねえっすよアレ。現代でもネズミっておっかないし。二次元でも別の意味でおっかないし。そりゃあ二十二世紀の猫型ロボットも地球破壊爆弾を持ちだすってもんですよ。ドラえもんは おどろいて からだが まひした!

 まあネズミについて話すのはこれぐらいにしておいて「ハーメルンの笛吹き」です。
 有名な話なのでみなさんご存じだと思いますが、ドイツはハーメルンの町にネズミが大繁殖し、にっちもさっちもいかなくなっているところへひとりの笛吹きが現れ、謝礼をくれるならと人々と契約し、笛でネズミの群れを誘導して川へどぼん。しかし町の人々はネズミの脅威がなくなったら契約を忘れて出てけ出てけの大合唱。笛吹きが再び笛を吹くと、今度は町の子供たちが笛吹きに誘導され、彼とともに町を去ったとさ。とっぴんぱらりのぷぅ。と、そんなお話ですね。

 笛吹きに連れ去られた子供たちの行方はわかりません。町の外にある洞穴へみんな入っていき、その洞穴は内側から閉ざされ、誰も二度と戻ってくるとはなかった、とも、一人か二人だけが帰ってきて、この話を語り継いだともいわれています。
 なぜ、笛吹きは子供たちを連れ去ったのか。
 話を見るだけならば、町の人々が約束を守らなかったため、報復として連れ去ったのでしょう。まして町の未来を担う者たちをがばっと(といっても130人らしいので根こそぎというほどではないと思うけども)連れ去ってしまえば、町の衰退は避けられません。生まれたばかりの子供がそこそこ大きくなるのに10年、そこから町を支えるひとりの若者として成長するまでにさらに5~10年と考えると、おっそろしい話です。

 子供たちが連れ去られた、ということについてはさまざまな説があります。東方への移民団に参加した、十字軍に参加した、流行病(ネズミと絡めてペストを示していると思われる)で亡くなったのを、笛吹きを死に神になぞらえてこう表現した、などなど。
 さまざまなバージョンの旅立った説についてですが、ハーメルンの子供たち、というのは江戸の町人を江戸っ子と呼ぶような比喩表現であって、実際は青年に相当する男女が新天地なり冒険なりに賭けたんじゃないの、という考えのようです。

 とはいえ、それならどうしてそう語り継がれなかったのか、というのが不思議ではあります。すごい笛吹きに誘われて、子供たちが夢と希望を抱いて東へ旅立った……という話にすることに、何か不都合でもあったのでしょうか。子供たちを売買(児童を奴隷として売り買いするのは、当時では割とあることだった)したのだとしても、何百年後かに書き綴るならともかく、隠すようなことではないはずです。

 流行病の婉曲的な言い回しでない場合。
 この記録を残した者にとって、子供たちは笛吹きによって連れ去られたのでなければいけなかったと、そう考えることはできないでしょうか。
 たとえば、と想像をふくらませてみます。町にとって不名誉なことは、子供たちが大人に愛想を尽かすことでしょう。大人たちはネズミをろくすっぽ退治できず、笛吹きとの約束も守らないという二重の醜態を見せました。子供たちは、この町に、あるいは自分たちに未来がないことを漠然と感じとったのかもしれません。
 一方で、子供たちから見れば笛吹きはヒーローです。大人たちが手をこまねいていたネズミを、たやすく一掃したのですから。頼もしく見えたのではないでしょうか。町を捨ててついていくと決意した可能性はあります。まあ、ネズミが一掃されても、それだけネズミがはびこった=衛生環境的にアレな町ってのは変わってないでしょうからね……。もちろん、子供たちに見限られた、なんて記録に残すのはつらい、それなら連れ去られた、と書いた方がいい。
 先に書いた通り、想像です。ですが、もしかしたら、ハーメルンの笛吹きはそういうお話だったのかもしれません。



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by tsukasa-kawa | 2017-11-08 23:58 | 日常雑記

10月25日のお話

 学校から出た課題を、家族の方にやってもらったことはありますか?
 たとえば自由工作とかいわれるアレ。ちょっと暇な時間のできたママが「よーし、息子のためにがんばっちゃうぞー」とか妙に張り切っちゃって帆船模型とか作ってくれちゃって旗をコーヒー豆で染めるみたいなテクニックを披露して、いらないよとも言えないので学校に持っていったら、先生から「おまえにできるわけないだろう」と当然のように看破される……。そんな体験をしたことはありますか? 僕はありません。
 もっとも、これが受け入れられてしまっても、あとがつらい。ある日突然「おまえ、できたでしょ。やってよ」と言われると、立ち往生するしかありません。そのときにはママは忙しいか、当時の熱を失っているからです。
 当事者に近しい技術がなければ、どこかで破綻してしまうのです。

 さて、ここんとこさぼりがちになって申し訳ないですが、お仕事などあるのでできればご容赦ください。前にも言いましたが、来月本が出ます。いずれちゃんと宣伝します。その折にはよろしくお願いします。

 淡々と宣伝したところで「靴屋の小人」です。腕はいいけど貧しい靴屋が、最後の一足を作ろうとして準備をすませて寝たところ、起きたときには見事な靴ができていた、しかもそれはその日に高値で売れたという、夢の詰まった話です。誰もが一度は「俺が寝ている間に小人が何とかしてくれないか」と思ったことがあるのではないでしょうか。
 この靴屋は、もともと高い技術の持ち主だと書かれています。バージョンによっては、いいものを作るけど、流行りをつかめなかったので売れなかったとも。それゆえに、小人がいなくなったあとも商売を続けることができたと。もしも靴屋に技術がなければ、小人がいなくなったときに破綻していたでしょう。
 しかし、このことから伝わるのは、いいものであっても、必ずしも売れるわけではないという、あまりありがたくない事実です。どこかで知られなくては、商売は成り立たない。いい靴を作ったことよりも、客が来るようにしたことこそ、小人の成果かもしれません。

 靴屋は裕福に暮らしたと伝えられています。しかし、小人の靴で人気を得た以上、彼は少なくとも、それに劣らないものを作り続けなければならなくなったのではないでしょうか。質の上でも、デザインでも。ちょっとでも手を抜けば、腕が落ちたといわれてしまいます。よい技術を持っている靴屋に、それは耐えられることでしょうか。靴屋自身の話は、ここからが本番になるのでしょう。結末はそれでよいとしても。 


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by tsukasa-kawa | 2017-10-25 23:59 | 日常雑記

10月23日のお話

 パーティをやることにしたけど食器が足りない! どうする?
 バイキング形式にすると答えたあなたは「信長のシェフ」派。
 招待客を減らすと答えたあなたは「いばら姫」派でございます。

 そういうわけで「いばら姫」です。「眠り姫」「眠れる森の美女」などのタイトルでご存じの方もいらっしゃるのではないでしょうか。
 一枚の皿をケチったあまりに大惨事を引き起こすと書くと、何か違う話のように思えるかもしれませんが、まあそういう話なんですよね。
 おおまかに説明しますと、ある国の王と王妃の間に娘が生まれる。お祝いをするために13人の魔女を招待しようとするが、特別な黄金の皿が12枚しかなかったので12人しか呼ばないことにする。呼ばれなかった魔女が姫に呪いをかける。そういう話なわけでして。

 いや、皿つくれやとしか言いようがない。この魔女たち、ただ招待されたわけじゃなく、姫に加護を与えるべく来ているわけですよ。皿をケチって加護をひとつ減らすって、本当に姫のことを考えていたんでしょうか、この王様。それとも特別な皿なので作るのがかなり大がかりだったとか、そういうことなんだろうか。
 この王様は、あまりよくない人物として書かれています。姫が「つむ(糸を紡ぐための道具。紡錘)に刺されて死ぬ」という呪いを受けたあとにやったことというと、糸つむぎ機を残らず燃やすことなんですよね。魔女に謝るとかすれば、また話は違ったのかもしれませんが、自分の過ちを認めません。
 そして、姫が眠ってしまうと、呪いの余波とでもいうべきもので眠ってしまうわけです。

 さて、100年が過ぎて、姫は王子と結婚できてめでたしめでたしで、よしとしましょう。実際、姫に罪があるかというと、とばっちりですからね。
 ですが、王様は違います。事情を知った者からは「皿一枚をケチったがために、このような事態を招いた王」と認識されてしまうのです。また、100年の間に大きく変わっただろう近隣諸国ともつきあっていかなければなりません。
 100年間眠る、という形に変更された呪いは、実は王様に向けたものだったのかもしれません。



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by tsukasa-kawa | 2017-10-23 23:59 | 日常雑記

10月22日のお話

 拍手レス
>ミダス王はロバの耳にされるエピソードといいそれの原因になる精神性を獲得したエピソードといいかなり粗忽な人だったようですね。そんな人でも寛容になる事ができた、成長する事ができたというのもこの話の肝かもしれません。
 王様の耳はロバの耳からですね。さわるものが黄金になってしまうエピソードや、このロバの耳でもそうですが、ミダス王はよくも悪くも根が素直なのだと思います。欲にかられて失敗もするし、状況が理解できれば自分の非も認められると。失敗と克服を経て、王様は少しずつ成長していったのかもしれませんね。

 さて、外では台風がすさまじい勢いだったり選挙結果が出たりと慌ただしいですが、みなさまいかがお過ごしでしょうか。どうか、被害が少なくすみますように。
 今宵はグリムから「赤ずきん」です。ところで「その女の子はみんなから赤ずきんと呼ばれていました」って、銀魂の新八がメガネって呼ばれるようなアレさだと思うんだけど……。まあいっか、童話だし。あらすじはみんなご存じだと思うので割愛。マジカルプリセンスとかおとぎ銃士とかヴァンパイアとか関係ないから。関係ないからー。

 注目すべきは狼の行動です。まず、森で赤ずきんに遭遇すると、情報を引きだしつつ道草を勧め、その間におばあさんをぺろり。おばあさんの家にやってきた赤ずきんを、おばあさんに化けることで油断させてぺろり。
「赤ずきん」は狼が性的な意味で女の子をいただく話なのだよという説がありますが、だとすればババアから少女までいけるこの狼はテクニシャンというだけに留まらず、目的のためにはばあちゃんとまでやることをやれる、鋼の意志を持つオスです。脱線しました。話を戻しましょう。

 赤ずきんがおばあさんのところへ出かけるとき、お母さんが「道草をしないように」とか言いますが、的外れですよ。だって、この狼、強すぎるんだもの。そもそも至近距離だと人間を一呑みできるだけの力があり、その上、奸智に長けている。ぶっちゃけ、赤ずきんに道草させたり、おばあさんに化けたりしないでも何とかなったんじゃないの。そりゃあ最後に猟師が出てきて鉄砲でズドンとやらなきゃ勝てませんよ。もしくはジェームズ・サーバーのパロディ版赤ずきんのように、狼がおばあさんに変装していることを見抜くや拳銃でズドンとやるとか。
 お母さんが赤ずきんに与えるべきは、そんな呑気な助言ではなく、狼とやりあえる武器か、人手だったのでしょう。「三匹の子豚」の三匹目はレンガの家という堅固な城砦を持ち、「狼と七匹の子ヤギ」の母ヤギは超人的な解体術を持っていたから、狼を撃退できたのです。赤ずきんという要素を活かすなら、マスターキートンよろしく、ずきんを腕に巻いて狼の口の中に手を突っこみ、舌を指でつかんで……あれは犬だっけか。
 しかしながら、何の能力もない非力な少女だったからこそ、後の世の人々が想像をあれこれふくらませたのも事実。その点では、この子は非常に童話の主人公らしいといえるのかもしれません。



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by tsukasa-kawa | 2017-10-22 23:18 | 日常雑記

10月21日のお話

 イカれたメンバー紹介するぜ!
 虐待する飼い主のもとから脱走したあと、なぜかブレーメンに行って音楽隊に入ろうと考えた年寄りのロバ!
犬「以上だ!」

 昨日、期日前投票をしてきました。僕らみたいな娯楽の作り手側は、受け手の懐と時間に余裕がないと厳しいお仕事なので、何とかいい方向へいってほしいところです。
 そんな世知辛い挨拶をすませたところで、それでは「ブレーメンの音楽隊」まいりましょうか。

 昔々あるところに、働きもののロバがいた。しかし、ロバは年をとって、昔のようには働けなくなった。
 飼い主はそんなロバを虐待するようになり、ロバは飼い主のもとから逃げだした。
 ロバはブレーメンに行けば音楽隊に雇ってもらえるかもと思い、旅をはじめた。道中で同じ境遇の犬、猫、鶏に出会い、みんなでブレーメンを目指すことにした。
 日が暮れたころ、ロバたちは森の中に明かりのある家を見つけて、そこで休もうとする。
 その家には泥棒たちがいて、ご馳走を食べながら金貨をわけていた。
 ロバたちはお化けを装って(ロバの上に犬が乗り、犬の上に猫が乗り、猫の上に鶏が乗るアレ)泥棒たちをおどかし、追い払う。
 ご馳走を食べていると、泥棒たちが戻ってきたので、引っ掻いたり蹴飛ばしたりして追い払う。
 泥棒は二度と戻ってこず、ロバたちはその家で仲良く暮らした。めでたしめでたし。

 ロバ界の事情には疎いのですが、脱サラしてラーメン屋をはじめるのとどっちがハードル高いんでしょうね、これ。
 ブレーメンの音楽隊には動物枠があるか、それとも音楽隊自体がそういう何かなのでしょうか。まあ、どうせブレーメンには着かないし、いいか。
 そう、この年寄りどもはブレーメンに着いていないのです。バージョンによっては楽器を扱ってすらいません。
 載っているバージョンだと、担当は
 ロバ:リュート(弦楽器。ギターのようなもの)
 犬:ティンパニ(太鼓。ドラムのようなもの)
 猫:不明(ボーカルと思われる)
 鶏:不明(声を褒めているのでボーカルと思われる)
 というところですが、何をやるのか想像がつきません。仮面ライダー響鬼だってもう少しマシなセッションだったように思えます。
 しかも彼らは、最後にはブレーメンも音楽隊も忘れているのです。食い物と住みかが手に入ったので満足したというあたりは実に畜生ですが、それならタイトル変えようよ。四匹のじいさん、とかさ。ブレーメンを巡回する私設自警団みたいなノリの話でさ。
 驚くべきは、ブレーメンに彼らの銅像があることでしょう。着いてないのに。土佐を脱けたのに高知に銅像のある龍馬のようです。
 彼らの生き様を、音楽に絡めて言うならロック以外にないと思われます。抑圧からの解放、自立した、新たな道を求める生き方、泥棒を撃退するほどの強烈な自己表現、ブレーメンも音楽も関係ない矛盾、やはりロックしかない。ヤケで言ってるように見えますか? はい、ヤケです。
 とはいえ、この結末は、行動を起こしたからこそつかみとったものであることはたしかです。どんな音楽も、まずは行動を起こすこと、触れることからはじまるといいます。そう思えば、この年寄りたちは立派な音楽隊だったのでしょう。



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by tsukasa-kawa | 2017-10-21 21:14 | 日常雑記

10月20日のお話

 カメェェェッー!

 カメっていやな敵ですよね。ドラクエをやればガメゴンに苦しめられ、FFをやればギルガメに苦しめられ、マリオカートをやれば赤甲羅を後ろから投げつけられ。
 そんなカメも、昔話ではまた違う役割を与えられます。それではイソップから「兎と亀」いってみましょうか。もしもし亀よ、亀さんよ、って歌があるから日本の民話だと小さいころは思ってました。どうでもいいですね。

 発端は、ウサギがカメの足の遅さを馬鹿にしたところからはじまりまして。カメが怒って駆けっこで勝負を挑むわけです。
 そして、ウサギはぐんぐん先へ行くわけですが、そこで勝ったと思ってしまい、居眠りをはじめる。その間にカメはウサギを追い抜き、勝利する。

 馬鹿にされて、自分が不利な勝負を挑む。バトル漫画の原点といってよいでしょう。ええ、バトル漫画です。
 カメの地道な努力を評価する向きがありますが、そもそも相手の失点がないと勝てない勝負を挑む時点で、このカメはそうとうおかしい。本当に勝つ気があったのか疑われるところです。ウサギが居眠りしていることに気づくまで、どういう心境だったでしょうか。もう相手がゴールしているだろうと思いつつ、言いだしたことだしとでも思いながら、歩いていたのではないか。それを地道な努力というのでしょうか。
 他地域に伝わったものの中では、カメが日時とコースを指定し、事前に仲間を潜ませておくことで勝利するという、これまたバトル漫画のような流れを持つものがありますが、少なくともこのカメは勝つつもりがあり、そのために動いている。
 とはいえ、現実には相手の失点によって道が開けるということがたくさんあります。地道な者が勝つというのではなく、こういう運のいい者っているよね、というのが兎と亀なのかもしれません。



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by tsukasa-kawa | 2017-10-20 01:35 | 日常雑記

10月18日のお話

 力で身を守ることはできますが、金で身を守ることはできません。
 もちろん金を使って力のある者を雇うなり、武器などを買うなりすれば身を守ることはできますが、結局身を守るのは力ということになります。
 ドラマなどの終盤で金持ちの悪人がやられるときの「金がほしいのか。金ならいくらでも(ズキューン)」という、まああんな結末が待つわけです。
 金を使って身を守るには、それなりの知恵が必要です。知恵も力もなければ、その金さえ守れません。
 などとぐだぐだ語ったところで、ノルウェーの昔話「北風のくれたテーブルかけ」まいりましょうか。

 少年が、パンを焼くための小麦粉を家の外の食料庫から取りだして家に運ぼうとしていた。
 そこへ北風が吹いて、小麦粉を吹き飛ばしてしまう。少年は北風を追いかけ、北風の住む氷のお城にたどり着いて訴える。
 北風は小麦粉はないと答え、代わりにどんなご馳走でも出てくるテーブルかけを少年に与える。
 少年は喜び勇んで家路を急ぐが、途中で泊まった宿でテーブルかけの秘密を主人に知られ、すりかえられてしまう。
 家に帰ってもテーブルかけはうんともすんとも言わない。少年は再び北風のもとへ行き、訴える。
 それではと、北風は今度は金貨を吐きだす羊を与える。少年は喜び勇んで(中略)やはり途中で泊まった宿で羊をすりかえられ、三度、北風のもとへ。
 北風が次に与えたのは悪人をこらしめる杖だった。少年はやはり宿に泊まり、今度は杖をすりかえようと忍びこんできた主人を、杖で打ちのめす。そうしてテーブルかけも羊も取り返した。めでたしめでたし。

 北風もずいぶん気前がいいものですが、3度目にあげたものが「悪人をこらしめる杖」とは、なかなか考えたと思われます。
 もしも少年が北風をだまして財宝をいくつもせしめようとしているのなら、渡した時点で杖が少年を打ちのめすでしょう。そうではなく、もしも少年が何者かにだまされているのなら、少年に必要なのは財宝ではなく、悪人から身を守る力です。だって財宝を守るだけの力も知恵も勇気もないんだもの、この子。知恵と勇気はそう簡単に湧いてくるものでもないので、とりあえず力を持たせるのが手っ取り早い。
 そして、これは少年が悪人にならないための抑止力にもなります。少年が首尾よく財宝を取り返したとして、杖があるうちは道を踏み外すことはない。それなら問題ないと、北風は思ったのではないか。
 いつか杖に代わる力を身につけたとき、少年は杖を必要としなくなるのでしょう。



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by tsukasa-kawa | 2017-10-18 23:47 | 日常雑記