一〇八(仮)

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ライトノベル作家川口士のブログです。「魔弾の王と戦姫」18巻、それから片桐雛太さんの魔弾画集、11月25日発売です。よろしくお願いします。

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カテゴリ:日常雑記( 644 )

10月4日のお話

 地上から雲までの高さは、いったいどのぐらいでしょうか。
 上を見れば実に13キロメートルもの高さに浮かぶものもあるようですが、下を見ると地上から200メートルぐらいのものもあるようです。
 また、現在の定義によれば、雲とは大気中に固まって浮かぶ水滴、もしくは氷の粒であり、霧もこの定義に該当するのだとか。一応、地表から離れているものを雲、そうでないものを霧として区別しているようですが、たとえば山に雲がかかっているとき、山の外から見ている者にとって、それは雲ですが、山の中で雲に包まれているひとにとって、それは霧であり、両者の区別はかなり感覚的なもののようです。
 なるべく低い方で想定してみるとして、東京都庁の展望台が地上202メートル、大阪府庁の展望台が地上252メートルなので、だいたいこのあたりに行ってみれば雲の高さがつかめるのではないでしょうか。この二者の間には50メートルの違いがありますが、雲の前ではささいなものです。
 それでは起源が北欧神話にまでさかのぼり、世界各地に類似する物語があるというイギリスの昔話、マメクライマージャックを主人公とした「ジャックと豆の木」いってみましょうか。

 母と二人暮らしの少年ジャックは、母に言われて市場へ牛を売りに行く。しかし、途中で男から豆と牛との交換を持ちかけられ、承諾してしまう。
 母はジャックを叱り、豆を家の外へ捨ててしまう。翌朝、捨てられた豆はとてつもなく大きな木に成長しており、ジャックは豆の木をのぼっていく。
 豆の木は雲に届いており、雲の上にのぼったジャックはそこに城があるのを発見する。城に入ってみるとひとりの女性が現れ、ここは人食い巨人の城だから早く逃げるようにと言う。自分は巨人の妻だとも。
 そのとき、巨人が帰ってくるが、巨人の妻はジャックを隠してくれる。ジャックは隠れながら巨人の様子をうかがい、巨人の宝物である金の卵を産む雌鳥を盗んで逃げる。
 数日後、ジャックは再び豆の木をのぼり、今度は巨人の宝物の金貨の出る袋を盗む。
 数日後、ジャックは三度豆の木をのぼり、今度は喋るハープを盗む。しかし、巨人に見つかってしまい、追いかけられる。
 どうにか地上に降りたジャックは、豆の木を斧で切る。巨人は落下して死亡する。

 このジャックの行動を、何の罪もない巨人に対する侵略行為だの、当時(ジェイコブ版の「ジャックと豆の木」は18世紀末)の侵略上等略奪万歳なアングロサクソンの傲慢ぶりを示しているだのという解釈も巷にはあるようですが、最低でも200メートルの木を命綱もなしに登って、帰りは宝物を担いで帰るって、そんじょそこらの少年にはできないことだと思うのですね。これがドラゴンのねぐらに潜って財宝かっぱらってくる冒険ファンタジーだったら喝采の嵐ですよ。

 それにしても何度も豆の木にのぼるあたり、ジャックの頭のネジが外れているのは間違いないでしょう。考えてみればこの子は牛と豆を交換するレベルの馬鹿です。200メートルからそれ以上あるかもしれない豆の木を上り下りしたり、巨人がしがみついても平気なほどの豆の木を斧で叩き切ったりしたのを見ると、たぶんステータスの割り振りで知力を減らす代わりに筋力を上げたのでしょう。豆が本当に魔法の豆だったからよかったものの、ただの豆だったら母子そろって飢えた日々を送り(どのバージョンでも貧乏なのは共通している)、口減らしに捨てられていたかもしれません。

 もっとも、ジャックの活躍は本人の力量だけによるものではありません。巨人の妻という協力者がいなければ、おそらく一度目の訪問でジャックは食われてしまい、巨人は豆の木を発見し、きさんら駆逐しちゃるけんのう!とばかりに進撃の巨人がはじまっていた可能性はおおいにあります。島国ですしね、イギリス。
 この巨人の妻、どのバージョンでも巨人とは書かれていないのでどうも人間っぽいのですが、なんで巨人の妻になっているのか、どうしてジャックを隠してくれたのかなど、不明なところの多い人物です。さらわれて妻になった、あたりの解釈が無難なのでしょうか。ちなみにほとんどのバージョンでは、ジャックは二度目、三度目の城への潜入では、彼女に会おうともしていません。これを彼女への気遣いとみるか、それとも警戒心によるものとみるかは難しいところです。

 巨人に敗因があるとすれば、妻の信頼を得ることができていなかった、という一点に尽きるでしょう。この妻が心優しい人物であり、情にほだされて一回目はジャックを逃したとしても、です。ジャックが二回目の侵入を果たす前に話をしていれば、巨人は豆の木の存在ぐらいは知ることができたでしょう。
 堅固な要塞や城のいくつかは、内通者によって陥落しました。身内を大事にしようというのが、案外この作品のテーマなのかもしれません。ジャックはほとんどのバージョンで母と幸せに暮らしていますしね。


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by tsukasa-kawa | 2017-10-04 06:11 | 日常雑記

10月2日のお話

 馬鹿。
 愚か者。役立たず。失敗を犯した者。非常識な者。まともな判断のできない者。年齢にくらべて著しく知能の低い者。等々……。
 十人十色の解釈があるでしょう。漫画などで、とらわれの仲間を救出に行ったら「馬鹿、なんで来たんだ」と言われるような馬鹿の使い方もありますし、好意を表すときにも「馬鹿」と言うことはあります。かように馬鹿という言葉はさまざまな用法があり、そのイメージもひとによって異なるのです。
 では「馬鹿に見えない布地」が見えるのは、いったいどのような者なのでしょうか。失敗がなく、常に正しい判断をする者でしょうか。
 ですが、失敗や正しさとて、時代の移り変わりや技術の発達によって変わります。昔は有効と思われていた民間療法が、いまでは効果がないどころか有害であることがわかった、という話を聞いたことはないでしょうか。ならば、その民間療法を用いていたひとは正しくなかったということになってしまう。もちろん、現代の知識で過去を断罪する愚かな行為は慎むべきですが。

 なんか真面目な話をしてしまったような気がするので、少し脱線します。ここんとこ読んだ漫画では田中芳樹原作の伊藤勢による「天竺熱風録」が面白いですね。中国から使者としてはるばる天竺(インド)を訪れ、陰謀に巻きこまれ、後には少数の兵で多数の敵を破った王玄策の物語。漫画では、漫画ならではの背景の緻密さや地図などを使ったわかりやすさがあり、さらに登場人物ひとりひとりの表情の変化やコミカルな場面などが見事に盛りこまれていまして、読んでてまったく飽きません。単行本は2巻が最近出ましたが、お勧めですよ。
 では「裸の王様」まいりましょうか。スペインの伝承をもとにアンデルセンが描いた物語です。これも有名な話なので、いまさら説明するまでもないでしょう。

 まわりが言っているから、自分が間違っていると思いこんでしまう。見栄を張るために、見えないものを見えていると嘘をついてしまう。そういった人間の弱さを指摘した話だと、いわれています。実際にはそのひとの手にない権威や権力を、あると思いこんでいる者を「裸の王様」と揶揄することがありますが、それもこの話からきています。

 しかし、王様がただの見栄っ張りであるならば、自分には見えない服を着てパレードなどを行うものでしょうか。
 作中の描写では、パレードは割と定期的に行っていたようで、王様はパレードに慣れていたことがわかります。そして、ファッションが好きな人間というのは、自分の姿が他人にどう見えるかというのをとても気にします。自分を見てもらいたい、という気持ちの中には、相手を驚かせたい、相手の目を楽しませたいという心情もあるのです。
 口では見えていると言っても、内心では見えてないことがわかっているわけです。着心地がよくない、いい見せ方が決まらないなどと理由をつけて、パレードを見送るのではないでしょうか。何より、大臣や役人などはともかく、自分に見えないものが民衆には見えると思うのか。それとも、民衆はみな、この布地が見えるぐらいには賢いとでも仕立屋に言われて、信じてしまったのでしょうか。
 ともかくパレードを行ったとき、王様が「民衆には服が見えるはず」と、民衆は自分ほど愚かではないと考えていたのは間違いなく、このような王様であったがゆえに、この物語は笑い話ですんだのでしょう。数多ある童話の中でも、これほどの王様はなかなかいないのではないでしょうか。


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by tsukasa-kawa | 2017-10-02 23:59 | 日常雑記

10月1日のお話

 拍手レス
>その手のお話は海外だとトム・ティット・トットなんてのもありますね。鬼とインプという種族の違いこそありますがおまえらなんで自分の名前をいちいち歌に入れるんだ自意識過剰かって思いました。
 大工と鬼六のような、名前をあてられたことで怪異が力を失う話のことですね。外国にもこういう話がいくつかあるんですよね。この手の怪物は、主人公にやられる前に同じようなことを何度かしていると思われるので、昔、どうにかして名前をさぐりあてたひとが歌などの形で残していたのかもしれません。鬼やインプの身内が歌うなどしていた場合は、信頼の証などの理由で、身内にだけは教えておいたというところでしょうか。

 さて、今日から10月です。今日の東京はけっこう暑かったのですが、日が沈むとやはり涼しくなりますね。長袖もそろそろ全部出した方がよさそうです。
 と、挨拶をすませたところで、ちょっと小話を挟みます。
「見ろ、ばあさん、この大きな蕪を……!」「ああ、他の蕪を残らず取りこんでぶくぶくにふくれあがっちまってる……。じいさん、こうなったらこいつを何としてでも引き抜いて手に入れないと」「そうだ、わしらは冬を越せなくなる! 飢え死にが待つのみ……!」「おお、つかんでみるとなんて頑丈な葉だろうね。こりゃあ予備の包丁を用意しなけりゃならないねえ!」
 というわけで、今宵はロシアの民話から「大きな蕪」です。さすがにあらすじを語る必要はないでしょう。
 気になるのは、どうしてお爺さんとお婆さんは動物まで総動員して、ただ抜くことに固執したのか。
 いや、まあ、これだけいれば抜けるだろう、さらに人手が加わったんだからもうちょっとで抜けるだろう、という気持ちになるのはわからんでもないです。戦力の逐次投入は愚策として戒められていますが、裏を返せば割とそういうことをやるひとがいたってことですからね。手伝いに来たひとたちも、とりあえず引っ張ってくれとしか言われなかったのではという気がしますし、だから動物たちでも手伝うことができたのでしょう。

 とはいえ、おじいさんとおばあさんを、逐次投入してしまう側のひとと単純に見做してしまっていいのか。一歩、考えを押し進めるなら、問題は引き抜いたあとにこそ待っているのです。畑に大きくできた穴、おじいさんとおばあさんだけでは処理しきれないだろう蕪、蕪には春蒔きと秋蒔きがありますが、どちらにせよ当分飢えることになるだろう未来。人手が必要になる案件ばかりです。もしもそこまで見越して抜くことに固執し、ひとを集めたのだったら、このおじいさんは案外策士かもしれません。



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by tsukasa-kawa | 2017-10-01 23:59 | 日常雑記

9月30日のお話・3

 天狗じゃ! 天狗の仕業じゃー!
 これを書いている時間帯はごまかしようもなく10月1日なんだけど、挨拶自体は9月に行ったものなので9月のお話として進めさせていただきますね。悪いのはすべて天狗だ(カイザギアを手にしながら)。原稿に詰まっていた僕ではない。
 で、天狗ですよ。鬼、山姥と並んで「昔話に出てくるおっかない何か」のメジャーどころなんですが、そういや全然書いてなかったなと。昼にランチ出してる居酒屋のことではありません。ファミコン時代の横スクロールシューティング? それはまた今度。
 前口上がすんだところで「天狗の隠れみの」です。天狗の出てくる昔話はまあいろいろあるんだけど、とくに有名なのはこれでしょう。

 昔々、ある男が山の上に行き、竹筒を取りだして遠くを眺めるふりをしながら「京が見える」「大阪が見える」などとはしゃいでいた。
 男の前に天狗が現れ、それは何かと男に尋ねる。男は、はるか遠くの光景が見える千里鏡だと答え、また「京が」「大阪が」と続ける。
 天狗は自分にも見せてくれるよう頼み、男は天狗の隠れみのを貸してくれたらと答え、天狗は承諾する。
 天狗は竹筒を覗いてみるが、せいぜいふもとの町しか見えない。その隙に男は隠れみので姿を消し、逃げてしまう。
 男はふもとの町で姿を消したままさんざん盗み食いをし、満足して家に帰る。隠れみのを屋根裏にしまっておくが、それを見つけた妻が、こんな汚いみのは捨ててしまおうと思い、男が出かけている間に庭先で燃やしてしまう。
 男は妻が隠れみのを燃やしたことに激怒するが、もしかしたらと思い、隠れみのの灰を身体になすりつける。すると、思った通り身体が消える。
 男は再び盗み食いなどの悪さを働くが、灰の一部が汗で流れ落ち、正体が露見してこらしめられる。

 天狗さあ、素直すぎやしませんかね。バージョンによっては、天狗を騙すアイテムは竹筒以外にさいころなどいろいろ出てくるのですが(遠くが見えると言ってだますのはだいたい同じ)、とにかく天狗は好奇心に負けてついつい隠れみのを貸してしまうのです。普段山に籠もって人間社会に触れないとかくも純朴になってしまうのでしょうか。ダブルクリックのやり方をようやく覚えたところでネット詐欺に引っかかるおじいちゃんおばあちゃんのようです。
 天狗は外法様とも呼ばれ、怪しい術の使い手であり、その点については今回の隠れみのや、説話に出てくる鼻が伸びる団扇などにも現れているのですが、ひとを惑わし、外道へ導くという点は完全にスポイルされています。遠くを見るぐらいの道具なら自分で作ればよくね?
 もっとも、これには天狗の性質もあるのでしょう。増長しているさまを「天狗になる」と言いますが、天狗というのは力があり、長く知識を蓄えてきただけに自信過剰で、ものを尋ねる、教えを請うということができないようなのです。
 でも相手があきらかに隠れみのの存在を知っている(多くのバージョンで、男は単刀直入に隠れみのを~と言っているので、隠れみのの存在はかなり知られていると思われる)のですから、警戒すべきでした。
 昔話には多く、人間が天狗や鬼、山姥をだまし、あるいは追い詰められたところを知恵を絞って切り抜ける話がありますが、つまるところ人間は普段からさまざまな面で交渉を重ね、嘘をつき、あるいは見抜く能力を磨いているため、そうした能力に特化しているということかもしれません。



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by tsukasa-kawa | 2017-10-01 12:15 | 日常雑記

9月30日のお話・2

「狐はね、油揚げがとくに好物っていうわけじゃないんだよ。根が雑食だし、お供え物という形でただでもらえて、食べられないってほどじゃないから食べるだけでね。だから、おばあちゃんがあの糞嫁早くくたばらないかねえなんて思いながらうっかり醤油をどばどばぶちこんじゃった稲荷寿司をお供えしちゃいけないよ。わかったかい」「ばあちゃーん! 村で飼ってるお狐様が! お狐様が! ばあちゃーん!」
 ずいぶん昔に聞いたおばあちゃんの知恵袋を書き綴ったところで、こんばんは。虫たちがささやかに鳴く秋の夜長、いかがお過ごしでしょうか。それでは「狐の嫁入り」を、といきたいところですが、この話、いくつかありましてですね……。

・夜、男が通りを歩いていると、遠くに嫁入り行列を思わせる無数の灯火が見える。あれが噂に聞く狐の嫁入りかと思いながら歩いていると、いつのまにか町外れの泥の溜まりの中に座りこんでいた。狐に化かされたのである。

・ある男が山の中で怪我をしていた狐を助ける。男は山を下りようとしたら迷ってしまい、一軒の家を見つけて泊めてもらう。そこの娘に気に入られ、夫婦の契りをかわして三年ほど暮らしたあと、村にいる親のことが気になって下山する。すると、自分が山に入ってから三日しか過ぎていなかったことを知らされる。狐に化かされたのである。

・ある男が、山中で嫁入り行列を見かける。嫁が木の陰に隠れたかと思うと、一瞬できれいな装いをして現れる。これは噂に聞く狐の嫁入りではないかと男は思い、こっそりあとをつけていく。やがて嫁入り行列は大きな屋敷に入っていき、男は煙管を吸いながら屋敷の中を覗き見ようとする。そこで景色が変わり、屋敷は消え、男の目の前には石灯籠しかなかった。狐に化かされ、煙管の煙で我に返ったのである。

・日照りの続く村が、生け贄を捧げて雨乞いをしようと考える。村一番の美丈夫が、人間に化けることのできる狐の娘をだまして嫁入りさせる。嫁入りによって村の人間という扱いになり、生け贄に使えるようになったのだ。男は狐に好意を抱き、事情を話して逃げるように言うが、狐もまた男に好意を抱いており、生け贄となる。村には雨が降り、男は涙を流した。

 狐につままれたような感じとはこのことだね! もうさ、バリエーションがどうのとか、地域ごとに違いが、とかじゃないですよ。「狐」「嫁入り」「化かす」で三題噺でもやってるんじゃないのこれ。しかも、これらひとつひとつにまたバージョン違いがあってさあ……。
 まあ、狐を神の使いと見做す信仰って平安時代からあるものねえ。安倍晴明の母親が狐だという逸話もあるし、それこそ地域ごとに狐のお話が生まれて語り継がれていてもおかしくないので……。

 ひとつひとつを語る余裕はさすがにないので、いちばん最初のものだけに絞らせていただきます。狐に化かされる話としては、もっともオーソドックスだと思うし。
 昔は、嫁いできた嫁を、夜に提灯を連ねた行列で迎えるのが一般的だったのですね。そこから嫁入り行列という言葉ができて、夜に提灯のような明かりがずらっと並んでいると、そう思われたわけです。この風習は昭和まで残っていたらしく、語り継がれてきたのはそのあたりにもあるのかもしれません。

 狐の嫁入りの形式が、人間のそれとはたして同じなのかという疑問はありますが、信仰に至るほどに、人間の生活の中で狐は身近な存在でした。狐の側が人間の風習を取り入れたと考えることは可能でしょう。群れではなく家族単位で暮らし、自立が早い狐に嫁入りの概念があるかといえば、子育てを夫婦で行うあたり、婿が嫁を大事にするのはたしかなようです。ならば、嫁を迎えいれるときも婿なりに祝ったとみていい。
 そんな狐の嫁入り行列を見た男が、ほどなくして化かされる。泥にはまる以外に、川に落ちてしまうものもあれば、持っていた食べものをいつのまにか奪われていたというものもあります。特徴としては、それほど深刻な被害を受けていないところでしょうか。そのため、笑い話ですんでいる節があります。
 嫁入り行列が幻であり、化け狐が人間をからかったという可能性はもちろんあります。あるいは、それが大半かもしれません。
 ですが、上にも書いたように、狐にとっても人間は身近な存在ではありました。完全な友好関係ではなかったでしょうけれども、敵対関係というわけでもありません。自分たちの祝いの場に通りかかった人間を、ちょっとした余興に巻きこんだと考えてみてもよさそうです。


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by tsukasa-kawa | 2017-09-30 23:58 | 日常雑記

9月30日のお話

「突然ですがクイズです。特殊能力を見世物にして民衆をおおいに楽しませ、最後にはタヌキの姿を捨てて人間社会に溶けこんだタヌキのお話といえば?」「分福茶釜?」「いいえ、平成狸合戦ぽんぽこです」
 タヌキだってがんばってるんだよォ。まあ人間と戦うのであれば、やはり物理的な攻撃方法は必要でしたね。具体的には絶 天狼抜刀牙とか。分類上はネコ目イヌ科なんだし(でもタヌキ属です)。
 ぽんぽこについてはこれぐらいにしておくとして、更新が遅れてしまっていることですし(ごめんね。仕事がね)「分福茶釜」まいりましょうか。ぶんぶくちゃがま、ぶんぷくちゃがまのどちらで呼んでもよいみたいです。

 ある日、古道具屋が和尚様からひとつの茶釜を買い取る。その茶釜に水を入れて火にかけると、茶釜に化けていたタヌキが熱さに耐えかねて正体を見せる。
 正体といってもタヌキの胴体は茶釜のままであり、そこから頭と四肢が出ているような姿をしている。
 タヌキは仲間との化け比べで元に戻れなくなり、ひとまず茶釜を装って戻る方法をさがしていると説明し、同情した古道具屋は店に置いてやることにする。
 タヌキはお礼にと、綱渡りをする茶釜という見世物で民衆を楽しませ、古道具屋は豊かになる。

 傘をさし、あるいは扇子を開きながら綱渡りをする茶釜タヌキの挿絵を、どこかで見た方もいるのではないでしょうか。バージョンによっては火にかけられた時点で逃げだしてしまって話が終わるとか(言われてみればわからんでもない)、結局タヌキは茶釜から元に戻れず死んでしまい、和尚様に供養されるというものもあるようです。逃げだしてしまったものを除いて、タヌキが元の姿に戻ることができたというものはありません。
 民衆を楽しませ、古道具屋に楽をさせてあげたのですから、昔話のセオリーに従うなら元に戻ることができていいはずです。なぜ、そうならなかったのでしょうか。

 和尚のもとから逃げだした話を除けば、タヌキは古道具屋に居続けます。古道具屋が引き留めたとか、何らかの手段で逃げられないようにしたという話は見当たらなかったので、タヌキ自身の意思で留まったと思われます。
 このタヌキはただのタヌキではなく、化け狸です。
 おそらく、この種の特殊な存在は、正体を知られたら人里に居続けることができないのでしょう。これまでの昔話を振り返っても、舌切り雀はお爺さんに飼われている間はただの雀で通していましたし、花咲か爺さんに出てくる犬はすぐに命を落とし、犬でないものになります。
 古道具屋のもとに留まり続けることを選ぶなら、タヌキは正体を隠し続けることのできる茶釜の見世物に徹するしかなかったのでしょう。
 茶釜以外のものにならなかったのも、茶釜という見世物として受け入れられてしまったためかと思われます。別のものに化ければ、正体を知られてしまうかもしれない。また、儲けることができなければ、やはり古道具屋のもとにはいられない。タヌキは、店に置いてもらうことをそう捉えていたと思われます。リスクをとって大胆に方向転換などと、口で言うのは簡単ですが、当事者になるとそれが難しいのは現代にかぎったことではありません。受け手がよく知られているものに親しむのも当然のことです。
 タヌキは茶釜から引き返せなくなりましたが、本来のものではないスタイルで溶けこむというのも、なかなかしんどいものだということでしょうか。



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by tsukasa-kawa | 2017-09-30 13:08 | 日常雑記

9月28日のお話

 拍手レス
>スーパーピンチクラッシャーの突然の登場にちょっと笑ってしまいました。せめて当時の概念に存在しそうな物を呼びましょう。正義の山姥とか呼んで対消滅させると良かったかもしれません。
 オルタレイションですら5年も前だというのにわかるひとがいるとは……! 正義の山姥が出てくると、小坊主がバトル漫画における解説者ポジになりそうですね。当時の概念でいうと、他には神仏や龍などが考えられますが、小坊主のレベルを考えるならたしかに山姥あたりが妥当でしょうか。

 さて、突然ですがクイズは好きですか? 「俺の名を言ってみろ」「ジャ(銃声)」「ざんねーん。正解はケンシロウでしたー」みたいな。僕も小さなころはクイズダービーやSHOWBYショーバイ、アタック25、100人に聞きました、などを観ていたものです。
 昔話にも、相手に対してクイズ、いわゆる謎かけをする内容のものがあります。そのひとつである「大工と鬼六」いってみましょうか。

 昔々、あるところに流れのたいそう速い川があった。大工が何度も橋を架けたが、すぐに流されてしまう。
 困り果てて川辺に立ち尽くしていた大工の前に、ひとりの鬼が現れる。鬼は、自分なら一晩で頑丈な橋を架けられると言い、おまえを喰らうのと引き替えにやってやると提案する。
 大工はやれるものならやってみろという気持ちでその提案を呑むが、翌日にはもう橋が半分できていた。
 明日にはおまえを喰らうと言う鬼に、大工は必死に懇願し、鬼は橋の完成までに自分の名前を当てることができたら喰らうのを諦めると言う。
 困り果てて大工が山の中を歩いていると、鬼の子供が子守歌を歌っているのを見つける。その子守歌の内容から、大工は鬼の名前が鬼六であることを知る。
 翌日、大工が鬼の名前を言い当てると、鬼は川に沈んで二度と姿を見せず、橋はどんな大雨でも流されることはなかった。

 怪異が人間に謎かけをして、解けなかった場合に代償を求める。外国産だとスフィンクスの逸話が有名でしょうか。
 なんで名前を当てられたぐらいで、という疑問はあるでしょうが、名前を大事にし、家族など特定の人物にしか教えないという文化は世界各地にあったのです。日本においても、わかっているかぎりでは平安時代のころからありました。幼名と元服後とで名前を変えていたのも、本当の名前を隠すためだという説があります。本当の名前、真の名を知られるというのは、命をつかまれるに等しいぐらいのものだったのでしょう。恋姫夢想でも真名を大事にしていますしね。

 しかし子供に何歌わせとるんですか、鬼六さん。子供を遊ばせてなければただ働きをせずにすんだのに……といいたいところですが、このお話もバージョンはいろいろありまして。鬼六が命までは取らずに目玉を要求するものから、大工が鬼六の名前を知る方法が、村に伝わる歌や、自分の妻が子供に聴かせてやる子守歌、山の中で鳥が歌っていた歌など、さまざまです。
 大工はとにかく何らかの手段で鬼六の名を知ってしまうのです。知られないようにするという方法は、おそらく無理でしょう。
 ならば、その逆をいくしかありません。せっかく鬼六なのですから、山の鳥には鬼五と歌わせ、子守歌には鬼四と吹きこみ、村に伝わる歌には鬼三と言い、大工の前に現れるときにはうっかり大量の名札を落とすなどの手を打つのです。デマを振りまくというのは情報戦において有効な手ですからね。 

 それにしても、こうして後の世に話が伝わったとき、大工は名前のないただの大工として語られ、鬼は鬼六という一個人として語られる、というのは何とも不思議な感じを与えてくれます。名前を大事にする文化の中ではそれが正しかったのだとしても。
 


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by tsukasa-kawa | 2017-09-28 10:52 | 日常雑記

9月26日のお話・2

 ひとりならぬ魔術師が、石臼の無慈悲な挽き音によって狂気に追いやられた。   『石臼』

 自分のペースで対戦相手のフレンズの手札をゴリゴリ削る! すごーい! たのしー! 僕は1枚しか持っていなかったので、もっぱらやられる方でしたけどね。ええ、MTG(マジック・ザ・ギャザリング)の話です。僕がMTGをやっていたのは第4版から第8版ぐらいまでだったかな。神河のときはもう完全に離れてたから……。
 話を戻しましょう。「塩吹き臼」です。他に「海の底の臼」「海の水はなぜ塩辛いか」などという題名で呼ばれることもありますね。MTGの石臼とは正反対の、ものを生みだす石臼の話です。

 昔々、あるところに百姓の兄弟がいた。弟は貧しく、年越しのために兄のもとへ米を借りに行くが、けんもほろろに追い返される。
 その帰りに弟はひとりの老人に出会い、親切にすると麦饅頭をもらう。そして、弟は老人に言われた通り森に行って小人に会い、麦饅頭と石臼を取り替えてもらう。
 弟は老人に使い方を教えてもらい、家に帰って石臼を回す。石臼からは「出ろ」と念じたものが米でも金でも服でも何でも出てくる。
 弟は妻とともに幸せな新年を迎え、多くのひとを呼ぶ。その席に呼ばれた兄は、弟の石臼に気づき、こっそり盗んで海へと逃げる。
 兄はまず石臼から菓子を出して食べ、それから塩がほしくなったので塩を出す。ところが止め方を知らなかったため、あふれた塩が小舟ごと兄を沈めてしまう。
 石臼も海の底に沈み、壊れる瞬間まで塩を出し続けた。それによって海の水は塩辛くなった。

 このお話は、北欧に原型と思われる民話がありまして、そのあたりから伝わり、アレンジされて今日に至るのではないかと。麦饅頭というのは、おそらくパンのことですね。小人というのも日本昔話では珍しい部類なのですが、それなら納得もできます。
 アレンジが容易だったのは、話の筋立てがわかりやすかったためでしょうか。欲張りな人間が不思議なものを手に入れて、使い方を誤り、痛い目に遭う。これまでに語ってきた中では「花咲か爺さん」の欲張り老夫婦がよく似た例ですね。
 そう、問題は使い方なのです。このお話も、バージョンによっては欲張りな兄と欲のない弟、のような性格上の対比がなされているものがあるのですが、兄は欲をかいたために破滅したのでしょうか。もとをただせば、という言葉をつければ、その解釈も成立するでしょう。
 兄が破滅したのは、石臼の使い方を知らなかったからです。「花咲か爺さん」の欲張り老夫婦が犬に嫌われたように。もしも兄が石臼を使いこなしていれば、別の国に渡って悠々自適の生活を送ったでしょう。

 目先の欲にかられた者は、視野が狭くなり、判断力が雑になりがちです。正しい使い方を知ろうとせず、考えようともせず、自分で乗りだし、結局はただの真似だけをして見事に失敗する。このお話の場合、長期的に利益を得ようと思えば、兄は弟に頭を下げてでも石臼の正しい使い方を教えてもらい、可能ならば弟に石臼を使わせ続けるべきだったのでしょう。自分で使うよりも確実ですから。

 欲は、社会を形成した生き物にとってもはや欠くことはできないものです。欲を捨てよという神仏の教えも、死後に救われたいという欲だけは決して捨てさせません。天国を伝え、極楽を伝え、死後の安寧を伝え、子孫の繁栄を伝えます。欲を否定することはできず、コントロールすることもまた難しい。
 ならば、欲に駆られてもなお、視野を広く持とうと努め、道具ならば、どのように使えばもっともよい結果を生むのか、考え続けるしかないのでしょう。ひとつ間違えれば、環境さえも一変してしまうことがあるのですから。 


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by tsukasa-kawa | 2017-09-26 23:48 | 日常雑記

9月26日のお話

 うさぎは寂しいと死んじゃうのよー。嘘です。
 世間は嘘ばっか! 知らず知らず、今を生きる僕たちのまわりには嘘があふれていて息が詰まりそうだ。なんて、ポエムのワンフレーズでも口ずさんでしまいそうですよ。
 ものの本によると、ペットとして飼っているうさぎを長期間放っておくと、放っておかれる→環境の変化(それまでかまってもらっていたのに、それが急になくなった)→ストレス→死、もしくは長期間放っておく→常に何か食べていないと胃腸の動きが停滞する→死、というプロセスらしく、おまえどれだけ打たれ弱いんだよという気になるのですが、うさぎを人間の基準で考えてはならんということでしょう。

 さて、今夜のお題は「因幡の白兎」です。もとは古事記に載っていた大国主命の逸話のひとつですが、いつしか昔話のひとつとして独立して知られるようになりました。昔話には、案外こういう例はあるんですね。たとえば「わらしべ長者」は今昔物語集に原話とおぼしきものが見られますし、「姥捨て山」も枕草子の中に記述が見られます。まあ能書きはこのぐらいにして、ざっとお話を見ていきましょうか。

 一匹の兎が、海を渡って島へ行こうと考え、海岸からサメに呼びかける。「自分たちとあなたたちと、どちらの同族がより多いのかくらべよう。できるかぎり同族を集めて、ここからまっすぐ並んでみてくれないか」
 サメは兎の話に乗って、同族を集めて海面にずらっと並ぶ。兎はサメを数えるふりをして目的の島へ渡るが、島に着く直前に「もとよりくらべるつもりはない。海を渡るためにおまえたちを騙したのだ」と、暴露する。
 兎はサメに毛皮をはぎとられて、地面に転がされる。
 そこに旅人が来て、海水で身体を洗って風で乾かせと教える。その言葉に白兎は従うが、身体の痛みはひどくなるばかり。
 そこに別の旅人が来て、川の真水で身体を洗い、蒲の穂綿にくるまって休めばよくなると教える。その言葉に従うと、白兎は回復した。

 騙される方が悪いんだよバァァカ!(堺雅人の顔と声で)
 兎はまずサメを騙したあとにボロを出して痛い目を見たあと、騙されてさらに痛い目を見ます。こう言ってはなんですがドジっ子です。おっちょこちょいです。デスノートを持たせたら相手の名前を書きこみ終わる前に僕がキラだぴょーんとか言いそうな危うさです。騙されたときは満身創痍だった点を割り引いて考えるとしても、サメにぼこぼこにされるのはさすがにいただけない。
 兎がどうすればよかったのかを論じるのは、不毛でしょう。少なくとも、安全な場所を確保してから事実を告げればよかったのですから。
 もっとも、これほどひどい失敗ならば「嘘をつくのはよくない」と思うひとは意外にいないかもしれません。それ以上に「下手なことしたなあ」という印象が強いからです。もっと上手くやれば、と思うひとはいるのではないでしょうか。
 嘘をつくのは、基本的にはよくないことでしょう。肯定できる嘘は非常に少ない。嘘をつかずにすむ人生を送れるのなら、それはとてもすばらしい。
 ですが、これは嘘をついた方がいい、本当のことを言わない方がいい、という状況に遭遇したことはないでしょうか。また、変則的ながら、嘘をついたことで罪悪感を抱いたり、嘘によって失敗や屈辱的な体験をしたりして、それが成長の糧になったことは。
 嘘や詐欺師に関するエピソードは、紀元前からいくらでもあります。二千年以上前から、人間は嘘と隣り合わせで生きてきたのです。重ねて言いますが、肯定できる嘘は少ない。嘘をつかれて気分のいいひとはいないでしょう。サメや、また白兎のように。
 しかし、嘘と隣り合わせで生きる以上、上手な嘘のつきかたや、嘘の見抜き方は、どこかで多少なりとも学ぶ必要があるのでしょう。やはり、相手に気づかせない嘘こそが最上でしょうか。嘘だけど。



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by tsukasa-kawa | 2017-09-26 00:48 | 日常雑記

9月24日のお話

 倒産した会社の社長室に入ってみたら、商売繁盛と書かれたおふだが何枚も貼られているたぬきの置物があった……。
 そんな経験はありますか? 僕はありません。幸い。
 九月も終わりに向かいつつあり、ようやく涼しくなってきたと思える今日このごろ、いかがお過ごしでしょうか。それでは「三枚のお札」いってみましょう。おふだ、です。英語でいうならAmulet。ディアブロやスカイリムのユーザーならおなじみですね。おさつ、ではありません。

 昔々ある山寺に、和尚と小坊主が住んでいた。ある日、山の中へ山菜を採りに行く小坊主に、和尚は山姥に気をつけるようにと言って三枚のお札を渡す。
 小坊主はたっぷり山菜を採ったが、いつのまにか日が暮れていた。途方に暮れた小坊主の前に老婆が現れ、家に泊めてくれる。
 夜中に目が覚めた小坊主は、老婆が山姥の本性を現して包丁を研いでいるところを見てしまう。逃げようとしたが見つかってしまい「便所に行きたい」とごまかす。
 山姥は便所の外で待つ。小坊主は一枚の札を便所の壁に貼り「自分の代わりに返事をしてくれ」と頼んで窓から逃げる。
 山姥は便所の外から何度か呼びかけ、札が返事をしていることに気づかず、我慢できなくなって便所に踏みこんでから小坊主が逃げたことを知る。
 山姥はおそろしい速さで小坊主を追いかけ、あっという間に追いつく。小坊主は「川の水、出ろ」と二枚目の札に念じる。すると水が湧きだして洪水が起こる。
 しかし、山姥は川の水をすべて飲み干してしまう。小坊主は「火よ、出ろ」と三枚目の札に念じて業火を出現させるが、山姥は飲んだ水を吐きだして炎を消す。
 ともかく時間を稼ぐことはできたので、小坊主は山寺に逃げきった。和尚が山姥と対面し、言葉巧みにだまして撃退する。
 
 話を聞いてみたら、案外どこかで聞いたことがあるのではないでしょうか。
 しかしもっとさー、おふだの使い方があるんじゃないのぉー? スーパーピンチクラッシャーを呼びだすとかさぁー。
 山姥をだますほどの同じ声を出す、洪水を起こす、火を生みだす。バージョンによっては砂山を出現させることもできるようで、使用者次第でいくらでも化けそうです。GS美神の文殊を思いだしますね。
 この三枚のお札で、どう山姥と渡りあうべきだったでしょうか。生半可な火や水では通じないことは小坊主が実証ずみです。
 山寺に帰りたい、で一枚使い、残り二枚を好きなように使うのが正解な気がします。ほら、和尚さまはめっちゃ強いから。銀英伝を見ればロイエンタールだって、ラインハルトにメルカッツの相手をお願いしたことがあったしね。強敵にはそれに勝てるひとをあてればいいんですよ。
 それにしても、これだけ強力なお札をぽんと三枚も渡せる和尚はただものではありません。熟練者とはかくあるべし、というのがこのお話の主題でしょうか。



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by tsukasa-kawa | 2017-09-24 23:31 | 日常雑記