一〇八(仮)

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ライトノベル作家川口士のブログです

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カテゴリ:日常雑記( 634 )

9月26日のお話

 うさぎは寂しいと死んじゃうのよー。嘘です。
 世間は嘘ばっか! 知らず知らず、今を生きる僕たちのまわりには嘘があふれていて息が詰まりそうだ。なんて、ポエムのワンフレーズでも口ずさんでしまいそうですよ。
 ものの本によると、ペットとして飼っているうさぎを長期間放っておくと、放っておかれる→環境の変化(それまでかまってもらっていたのに、それが急になくなった)→ストレス→死、もしくは長期間放っておく→常に何か食べていないと胃腸の動きが停滞する→死、というプロセスらしく、おまえどれだけ打たれ弱いんだよという気になるのですが、うさぎを人間の基準で考えてはならんということでしょう。

 さて、今夜のお題は「因幡の白兎」です。もとは古事記に載っていた大国主命の逸話のひとつですが、いつしか昔話のひとつとして独立して知られるようになりました。昔話には、案外こういう例はあるんですね。たとえば「わらしべ長者」は今昔物語集に原話とおぼしきものが見られますし、「姥捨て山」も枕草子の中に記述が見られます。まあ能書きはこのぐらいにして、ざっとお話を見ていきましょうか。

 一匹の兎が、海を渡って島へ行こうと考え、海岸からサメに呼びかける。「自分たちとあなたたちと、どちらの同族がより多いのかくらべよう。できるかぎり同族を集めて、ここからまっすぐ並んでみてくれないか」
 サメは兎の話に乗って、同族を集めて海面にずらっと並ぶ。兎はサメを数えるふりをして目的の島へ渡るが、島に着く直前に「もとよりくらべるつもりはない。海を渡るためにおまえたちを騙したのだ」と、暴露する。
 兎はサメに毛皮をはぎとられて、地面に転がされる。
 そこに旅人が来て、海水で身体を洗って風で乾かせと教える。その言葉に白兎は従うが、身体の痛みはひどくなるばかり。
 そこに別の旅人が来て、川の真水で身体を洗い、蒲の穂綿にくるまって休めばよくなると教える。その言葉に従うと、白兎は回復した。

 騙される方が悪いんだよバァァカ!(堺雅人の顔と声で)
 兎はまずサメを騙したあとにボロを出して痛い目を見たあと、騙されてさらに痛い目を見ます。こう言ってはなんですがドジっ子です。おっちょこちょいです。デスノートを持たせたら相手の名前を書きこみ終わる前に僕がキラだぴょーんとか言いそうな危うさです。騙されたときは満身創痍だった点を割り引いて考えるとしても、サメにぼこぼこにされるのはさすがにいただけない。
 兎がどうすればよかったのかを論じるのは、不毛でしょう。少なくとも、安全な場所を確保してから事実を告げればよかったのですから。
 もっとも、これほどひどい失敗ならば「嘘をつくのはよくない」と思うひとは意外にいないかもしれません。それ以上に「下手なことしたなあ」という印象が強いからです。もっと上手くやれば、と思うひとはいるのではないでしょうか。
 嘘をつくのは、基本的にはよくないことでしょう。肯定できる嘘は非常に少ない。嘘をつかずにすむ人生を送れるのなら、それはとてもすばらしい。
 ですが、これは嘘をついた方がいい、本当のことを言わない方がいい、という状況に遭遇したことはないでしょうか。また、変則的ながら、嘘をついたことで罪悪感を抱いたり、嘘によって失敗や屈辱的な体験をしたりして、それが成長の糧になったことは。
 嘘や詐欺師に関するエピソードは、紀元前からいくらでもあります。二千年以上前から、人間は嘘と隣り合わせで生きてきたのです。重ねて言いますが、肯定できる嘘は少ない。嘘をつかれて気分のいいひとはいないでしょう。サメや、また白兎のように。
 しかし、嘘と隣り合わせで生きる以上、上手な嘘のつきかたや、嘘の見抜き方は、どこかで多少なりとも学ぶ必要があるのでしょう。やはり、相手に気づかせない嘘こそが最上でしょうか。嘘だけど。



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by tsukasa-kawa | 2017-09-26 00:48 | 日常雑記

9月24日のお話

 倒産した会社の社長室に入ってみたら、商売繁盛と書かれたおふだが何枚も貼られているたぬきの置物があった……。
 そんな経験はありますか? 僕はありません。幸い。
 九月も終わりに向かいつつあり、ようやく涼しくなってきたと思える今日このごろ、いかがお過ごしでしょうか。それでは「三枚のお札」いってみましょう。おふだ、です。英語でいうならAmulet。ディアブロやスカイリムのユーザーならおなじみですね。おさつ、ではありません。

 昔々ある山寺に、和尚と小坊主が住んでいた。ある日、山の中へ山菜を採りに行く小坊主に、和尚は山姥に気をつけるようにと言って三枚のお札を渡す。
 小坊主はたっぷり山菜を採ったが、いつのまにか日が暮れていた。途方に暮れた小坊主の前に老婆が現れ、家に泊めてくれる。
 夜中に目が覚めた小坊主は、老婆が山姥の本性を現して包丁を研いでいるところを見てしまう。逃げようとしたが見つかってしまい「便所に行きたい」とごまかす。
 山姥は便所の外で待つ。小坊主は一枚の札を便所の壁に貼り「自分の代わりに返事をしてくれ」と頼んで窓から逃げる。
 山姥は便所の外から何度か呼びかけ、札が返事をしていることに気づかず、我慢できなくなって便所に踏みこんでから小坊主が逃げたことを知る。
 山姥はおそろしい速さで小坊主を追いかけ、あっという間に追いつく。小坊主は「川の水、出ろ」と二枚目の札に念じる。すると水が湧きだして洪水が起こる。
 しかし、山姥は川の水をすべて飲み干してしまう。小坊主は「火よ、出ろ」と三枚目の札に念じて業火を出現させるが、山姥は飲んだ水を吐きだして炎を消す。
 ともかく時間を稼ぐことはできたので、小坊主は山寺に逃げきった。和尚が山姥と対面し、言葉巧みにだまして撃退する。
 
 話を聞いてみたら、案外どこかで聞いたことがあるのではないでしょうか。
 しかしもっとさー、おふだの使い方があるんじゃないのぉー? スーパーピンチクラッシャーを呼びだすとかさぁー。
 山姥をだますほどの同じ声を出す、洪水を起こす、火を生みだす。バージョンによっては砂山を出現させることもできるようで、使用者次第でいくらでも化けそうです。GS美神の文殊を思いだしますね。
 この三枚のお札で、どう山姥と渡りあうべきだったでしょうか。生半可な火や水では通じないことは小坊主が実証ずみです。
 山寺に帰りたい、で一枚使い、残り二枚を好きなように使うのが正解な気がします。ほら、和尚さまはめっちゃ強いから。銀英伝を見ればロイエンタールだって、ラインハルトにメルカッツの相手をお願いしたことがあったしね。強敵にはそれに勝てるひとをあてればいいんですよ。
 それにしても、これだけ強力なお札をぽんと三枚も渡せる和尚はただものではありません。熟練者とはかくあるべし、というのがこのお話の主題でしょうか。



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by tsukasa-kawa | 2017-09-24 23:31 | 日常雑記

9月23日のお話

 転がったおむすびを追っていった先にあったのは地下帝国ネズミーランドでしたー!
 短くまとめてしまうと、だいたいこんな感じのお話なのが「おむすびころりん」です。それにしても雀といい、ねずみといい、害獣であるほど昔話の中では恩義に厚いのはどうしたことでしょうか。おそらく、身近すぎる生物だったからだと思われますが。
 あらためて、物語の流れをざっと追っていきましょうか。とはいえ、有名なものだけあってバージョンが極端に違うのですけれどね。

 山で仕事をしていたお爺さんが、昼時になっておむすびを食べようとするが、誤って地面に落としてしまう。
 おむすびは斜面を転がって、木の根元にある大きな穴に落ちる。すると「おむすびころりん、すっとんとん」という歌声が聞こえる。
 不思議に思って穴を覗きこんだお爺さんは、うっかり落ちてしまう。穴の中にはねずみたちがいて、おむすびのお礼に財宝をくれる。
 帰ってきたお爺さんから話を聞いた近所の欲張りお爺さんは、大量のおむすびを持って山に行き、おむすびを残らず穴に投げこんでから、自分も飛びこむ。
 欲張りお爺さんはねずみを威嚇して財宝を出させようとするが、怒ったねずみに逆襲され、大怪我を負って逃げ帰る。

 欲張りお爺さんが破傷風で息を引き取る未来しか見えないのがつらいところです。
 バージョンによっては、ねずみはお爺さんに歓迎の宴を開いた上で、二種類のつづらを選ばせるという舌切り雀みたいな流れとか、欲張りお爺さんが出てくるくだりは全面カットとか、いろいろあるのですが、上記の話をベースにするとしましょう。
 そもそも、おむすびってそんなに転がるんでしょうか。地面に落ちれば土がつくし、傾斜があってもでこぼこしているし、小石や木の根だってあるでしょう。偶然を装ったように見せかけて、ねずみたちはお爺さんを穴の中に導いたのではないでしょうか。おむすびを失ったお爺さんの反応を見るために。
 穴の中の世界の広さを考えても、この山はねずみのテリトリーです。山ひとつ丸ごととまではいわないまでも、かなりの部分をおさえていると考えていいでしょう。そして、お爺さんはそこに踏みこんできた侵入者ということになります。
 もっとも、お爺さんはおそらく山で長いこと仕事を続けてきたのでしょうし、この段階でねずみが接触してきたと考えると、お爺さんが山の中で仕事場を変えたか、ねずみが徐々に領域を広げてきたか、というあたりだと思われます。ともかく、二人のテリトリーが重なってしまった。そこで、ねずみはお爺さんと共存関係が望めるか、試したのではないでしょうか。
 さらに想像をふくらませるならば、こうしたお爺さんが後々、山の主と対話できる老人、などになるのかもしれません。



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by tsukasa-kawa | 2017-09-23 23:59 | 日常雑記

9月22日のお話・2

 地獄! 生前に悪行を為した者の魂が送られ、その罪が許されるときまで、ありとあらゆる厳しい責め苦を受ける恐ろしい世界。生きててもしんどいのに死んだらもっとつらいなんて嫌ですねえ。

 とはいえ、これはシリアスな世界における、そこの住人のお話です。ドラゴンボールの世界に迷いこんでしまった両津勘吉が、フリーザのちょっと本気出しちゃった攻撃にも平気でいたように、別の世界のルールを持ちこんでくる相手には地獄でもちょっと荷が重いようで……。
 それでは「地獄の暴れもの」です。これも地域ごとに題名がさまざまで「地獄へいった三人」「山伏と軽業師と医者」「地獄の惣兵衛」などがありまして、それなら知っているという方もいるかもしれないですね。おおもとは江戸時代の上方落語「地獄八景亡者戯」(の後半)ですが、ざっとこんな内容です。

 とある医者が死んで、閻魔大王のもとへ送られる。自分は生前に多くの患者を救ってきたと訴えるも、あくどいやり方で儲けてきただろうと看破されて地獄へ落とされる。
 続いて、死んだ山伏と鍛冶師が同じく閻魔大王のもとへ送られ、ひとをさんざん騙してきただの、できの悪い道具を作ってきただのと言われて地獄へ送られる。
 三人は連れだって地獄に入り、鬼に追い立てられて針の山へ向かう。しかし、鍛冶師がやっとこで針の山をへし折り、さらに加工して鉄のゲタを人数分作って、三人は針の山を難なく越えてしまう。
 次は釜茹での責め苦ということで湯がぐらぐら煮立った大釜に放りこまれるが、山伏が法力で湯をぬるくしてしまう。
 怒った閻魔大王は三人を一呑みにしてしまうが、医者が胃酸で溶けない薬をつくってひとまずの安全を確保し、胃袋の中をかきまわしたあと、下剤を胃袋に流す。三人は閻魔大王の尻から脱出する。
 手に負えないと判断した閻魔大王は、三人を生き返らせる。

 なんと不甲斐ない。へぼ鍛冶師ごときに折られる針の山! えせ山伏ごときにぬるくされる大釜の湯! 鬼たちは何をしているのでしょうか、まったく。閻魔大王の胃袋も、やぶ医者ごときにもてあそばれるようでは普段の職務もまっとうできているのかどうか心配ですよ。
 しかし、責めるのは簡単ですが、本当に不甲斐ないのかというと難しいところです。いままでの亡者に対しては、この環境で苦しめることができていたわけですからね。
 こち亀にも両さんが地獄を征服する話がありましたが、本来適用されるべきルールが適用されない、あるいはルールを超越してしまうような人間が入ってきた世界は、こうなってしまうのでしょう。この医者たちは最後に生き返るわけですが(ものによっては極楽へ送られるという話もある)、知恵と技量で地獄を乗り越えた褒美を医者たちに与えたというよりも、閻魔大王を助けるための苦肉の策という感があります。消し去ることもできない以上、よそへ行ってもらう、あるいはルールの適用される世界へ放りこむしかないんですよね。
 話によっては、彼らが死んだ理由は飢饉が流行ったから、というのもあるのですが、その環境を知った上で生き返らせたのだとしたら、すさまじいバランスといえそうです。



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by tsukasa-kawa | 2017-09-22 23:49 | 日常雑記

9月22日のお話

 ファウストは、メフィストフェレスに心を売って明日を得た。マクベスは、三人の魔女の予言に乗って地獄に落ちた。キリコは素体に己の運命を占う。ここ、ウドの街で明日を買うのに必要なのは、ヂヂリウムと少々の危険。次回「取引」。
 惑星メルキアにかぎらず、ものを得るには対価が必要です。それは昔話の世界でも変わりません。いえ、むしろよりシビアであるといえるでしょう。そして、対価が妥当なものであるかどうかは、そのひと次第でしかないのです。
 などと、名作をネタに使ってもっともらしい挨拶をすませたところで「鉢かづき」です。地域によっては「鉢かつぎ」「鉢かぶり姫」などといわれていまして、そちらの題名だったら聞いたことがあるという方もいるかもしれません。

 昔々、ある長者が観音様に女の子を授けてほしいと祈願した。観音様は聞き届け「娘が一定の年齢に達したら鉢をかぶせなさい」と長者の妻にお告げをくだした。
 娘が生まれて美しく成長する。娘が一定の年齢に達したとき、母親は重い病にかかっていたが、息を引き取る前にお告げに従い、娘に鉢をかぶせる。鉢はどうやっても外れず、壊れもしない(以後、彼女を鉢かづきと呼ぶ)。
 その後、長者は後妻をむかえるが、後妻は鉢かづきをいじめぬく。悲嘆にくれた鉢かづきは川に身を投げるも、鉢が浮いて身体が沈まず、京に流れ着く。
 みすぼらしい姿であてどもなく京の町をさまよう鉢かづきを見て、中将(ようするに偉いひと)が同情し、引き取る。鉢かづきは中将の屋敷で風呂焚き女として働くことになる。
 鉢かづきは一生懸命に働き、やがて中将との間に愛が芽生える。
 中将の家族は当然その恋愛に反対し、中将の兄弟の嫁を連れてきて「嫁くらべ」をしようと持ちかける。嫁くらべとは、嫁を並べて和歌を詠ませたり琴を弾かせたりして、技量を競うものである。
 嫁くらべの前夜、鉢かづきと中将は駆け落ちしようとする。そのとき、鉢かづきの鉢が外れ、美しい顔が露わになる。さらに、鉢かづきは和歌も琴も巧みにこなした。
 鉢かづきと中将は結ばれる。めでたしめでたし。

 鉢て。観音様じゃなくて、観音様の形をしたベヘリットか何かに祈ったんじゃないのこれ。いやはや神頼みなんてするもんじゃないですね。
 しかもこの鉢、風呂焚き女として働いているからにはものを見ることも食事をとることもできる仕様なのに、鉢が外れるまで誰もその美しさに気づかない=顔が見えないらしいという代物。車田正美の漫画かな? まあ容姿がわかりにくいということにしなければ、中将は鉢かづきの美貌に関係なく、その健気な働きぶりを見て惚れたということにできませんからね。働かない美人よりは働く変人ですよ。
 神頼みによって子を授かる昔話だと、これまでに語った中では「一寸法師」がありますが、彼もまた生まれながらに全長約三センチの人間であり、打ち出の小槌を手に入れるまで成長しませんでした。
 彼といい、鉢かづきといい、本来生まれるはずのなかった子が、この世に生を受けたことの対価として理不尽な人生を与えられた、ということなのか。しかし、両者とも最終的にはごく普通の人間になって、又は戻っています。
 であるならば、試練を課されたと見るべきでしょう。一寸法師は娘を守って鬼を追い払い、鉢かづきは駆け落ちをするほどの覚悟を決めました。彼女の場合、ものによっては駆け落ちをせず「嫁くらべ」に出ることを決意する瞬間に鉢が外れた、という話もあるので、愛する者と添い遂げる意志を持つ、というあたりが試練を突破する条件であるように思われます。
 ひとの運命は神が遊ぶ双六だとしても、あがりまでは一天地六の賽の目次第。理不尽さに嘆きたい日があったとしても、それに屈さず、困難をくぐり抜けようと力を尽くすこと。それを描いたのがこの物語なのでしょう。一寸法師と鉢かづきとで条件が違ったように、ひとによって突破するべき条件は異なるでしょうから、まずはそれを見極めねばならないのでしょうけれど。
 そして、お天道様が見ている、といいますが、彼らは案外、人間たちが試練を突破する瞬間を心待ちにしているのかもしれません。劇的な瞬間を狙いがちなのは、待ち続けた対価、なのでしょうか。



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by tsukasa-kawa | 2017-09-22 07:01 | 日常雑記

9月20日のお話・他

 あちきぃー、結婚相手はぁー、年収1000万でないとやだぁー。
 そんな、煮立った味噌汁で顔洗ってこいやと言ってやりたくなるような輩は幸い僕のまわりにはいませんでした。今日も界隈は平和です(まわりにひとがいないだけじゃないかな?)。
 さておき、今日は富士見ファンタジア文庫の発売日なのでした。
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葵せきな   ゲーマーズDLC

アニメ放映中のゲーマーズ。ドラマガに連載した短編に書き下ろしを加えた外伝です。興味を持たれたら是非。


 さて、結婚は古今東西、そういう文化ができた地域においてネタにされないことがないぐらいの代物ですが、昔話においても例外ではありません。当事者同士の自由意志による恋愛結婚がごく少数で、基本的には親や家が相手を決めていた時代であっても、困難はやはりあったのです。それでは始めましょうか。「ねずみの婿取り」。流れはこんな感じです。

 あるねずみが、そろそろ娘に婿をとらせようと考え、せっかくだから天下一の者を婿にしたいと思い立つ。
 太陽こそは世に並ぶものがないだろうと考え、交渉に向かうも「私は雲が出てしまうと無力だから、雲を婿にしてはどうか」と言われる。
 それではと雲のところへ向かうと「私は風に吹かれると無力だから、風を婿にしてはどうか」と言われる。
 それではと風のところへ向かうと「私は土塀を吹き飛ばせず無力だから、土塀を婿にしてはどうか」と言われる。
 それではと土塀のところへ向かうと「私はねずみにかじられると無力だから、ねずみを婿にしてはどうか」と言われる。なるほどと、父親ねずみは、ねずみを婿に取った。

 たらいまわし! 見事なたらいまわしです。どいつもこいつも無機物の分際で、自分を卑下して面倒ごとを回避し、よそへぶん投げるサラリーマン的小技を巧みに披露しています。そもそも太陽とねずみが結婚したらどうなるんだろう。ねずみのロースト一丁あがりで終幕なんじゃないか。
 とはいえ、娘にできるだけいい婿を迎えたいという父親ねずみの心情はわかります。結ばれれば長いつきあいになるんだから人選にもそりゃあ気を遣いますよね。
 問題は、たらいまわしにされるぐらいに要求が漠然としすぎていたところにあったのでしょう。父親ねずみには、何をもって天下一とするかの基準がありません。ですので相手の主張を受け入れるしかなく、次々によそへまわされてしまうのです。
 太陽、雲、風、土塀の力関係でいえば、太陽は風に揺らぐことがなく、位置によっては土塀に遮られずに地面を照らすこともできる。雲に遮られることにしても永遠ではなく、いつかは姿を見せるのです。同じことは雲、風、土塀にももちろんいえます。

 結婚は、夫と妻が協力して新たな生活をつくりあげるものです。家父長制が強かった時代は、家同士の話しあいで新たな生活がつくられることもあったでしょう。その善し悪しは置いておくとして、重要なのは新たな生活のイメージです。自分だけでできるものではないのですから、おたがいのイメージを交換し、尊重できるところは尊重し、譲れないところは譲らず、受け入れるべきは受け入れる。それができなければ、たとえ形を作っても長続きはしないでしょう。
 それを思えば、生活や価値観が同じか、あるいは非常に近いであろうねずみを婿に選んだこの結末は、笑い話のオチという以上のものがあるのかもしれません。



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by tsukasa-kawa | 2017-09-20 21:40 | 日常雑記

9月19日のお話

 空を自由に飛びたいな、というフレーズを聞いたら、ドラえもんといっしょにリアルバウトハイスクールを思いだす世代のおっさんです、こんばんは。世代は関係ないですね、おっさんです。
 連休も終わり、九月も残すところあと三分の一ほどになったというのに、なんであの先生は諦めずに夏休みの宿題を催促してくるんだろう絶対に出さねえ、それにしても週末の体育祭めんどくせーな、などと物思いにふけることの多い夜、いかがお過ごしでしょうか。
 いかにも優しげな語り口調が売りなDJっぽい挨拶を終えたところで、今回は(天に向かって)空を自由に飛んでいってしまった人妻のお話。「天の羽衣」です。これも有名な話の類に漏れず、地域ごとに細部の違う話がたくさんあるわけですが、大雑把に語るとこうなりますかね。

 狩人の男が山奥の泉に行くと、水浴びをしている女性を発見する。彼女の美しさに見惚れた男は、茂みに隠れてしばらく覗きを続ける。
 女性のものだろう羽衣が水辺に置かれていることに男は気づいて、それを盗む。
 女性は水浴びをすませるが、自分の衣が見当たらない。慌ててさがす女性の前に、男が姿を見せる。
 女性は自分が天女であることを明かし、その羽衣がないと天に帰れないと訴える。男は羽衣を返さないと言い、妻になってほしいと口説く。
 天に帰れなければ他に行き場のない天女は、仕方なく男の要求を受け入れる。
 ある日、天女は男が隠していた羽衣を偶然発見してしまい、天に帰る。

 見事な因果応報です。昔話にもけっこう人格のよろしくないひとはいますが、覗く、盗む、脅すと三拍子そろった男はなかなかいないのではないかと思われます。バージョンによっては見せつけて口説くのではなく、羽衣など知らないふりをして口説く話もありますが(最終的に夫婦生活の中で隠していた羽衣が見つかるのは同じ)、その場合は脅す代わりに騙しているわけで、悪辣なことには変わりありません。

 もっとも、男が天女に惚れこんだのは本当のようで、いろいろとあたってみた範囲では、結婚生活が悲惨だったというバージョンは見当たらず、ものによっては二人はお互いを支えあって仲睦まじく暮らした、という話まであるので、発端はともかく、天女もどこかのタイミングで男を受け入れたのでしょう。ご都合主義? まず天女の存在がご都合主義でしょうが。わざわざ地上に降りて水浴びするぐらいなら周辺に結界とかバリアとか張ってくださいよ。
 というか、本当に天女なのでしょうか、この子。ギリシア神話の女神アルテミスは、自分の水浴びを覗いたアクタイオンを鹿に変え、猟犬をけしかけて容赦なく殺しました。天女も熊か猪をけしかけるぐらいしてよかったと思うのですが、この天女、羽衣を取り戻すまで天女らしいことを何もしません。羽衣が本体かおまえ。それともポケットがなくなったドラえもんか。話を戻しましょう。

 ただ、それほど仲睦まじい夫婦生活ならば、なぜ羽衣が見つかった途端に天女は帰ってしまったのかという疑問はあります。
 ひとつは、昔話としての因果応報が考えられます。上にも書いた通り、男は決して正当な手段で天女を得たわけではありません。その報いを、彼はどこかで受けなければなりませんでした。欲張り爺さんが必ず痛い目を見るように。羽衣が見つかるのは必然だった、ということです。

 もうひとつは「羽衣を手に取る」ことが、彼女を天女にする、という可能性です。
 天女は、自分が天女であることを男に明かすときに言います。「羽衣がなければ天に帰れない」と。これは脅される場合にも騙される場合にもほぼ共通しています。それは「羽衣を手に取ったら必ず天に帰る」という誓約だったのではないでしょうか。たとえば雪女が、喋ってはいけないという約束を破られた瞬間、雪女に戻ってしまったのに似て。

 男も、長い結婚生活で気が緩んでいたのでしょうか。この生活がいつまでも続くと思ってしまっていたのかもしれません。羽衣を、それこそ天女がいないときに、家の床下深くにでも埋めていたら、また話は違った流れを見せていたのでしょうか。
 


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by tsukasa-kawa | 2017-09-19 23:59 | 日常雑記

9月18日のお話

 拍手レス
>年を重ねた古い竜はより格の高い竜へと進化するという話はよく聞きますが乙姫が龍の価値観で玉手箱を託したのならお礼にクラスチェンジさせてあげましょうぐらいの心持ちだったのでしょうか
 浦島太郎の話ですね。たしかにそれもありそうです。人間でクラスチェンジとなると、仙人にしてあげようというあたりでしょうか。中国の説話の中には、ある人間が仙人になったとき、身体は煙に包まれて跡形もなく消え去り、後には服しか残っていなかったという話もありますからね。

 さて、いろいろな日本昔話を語ってきていますが、鬼と並んで恐ろしい存在である山姥が出てきたものは、まだなかったですね。金太郎の母親が山姥だったという説があるぐらいかな。
 山姥というと、どんなイメージでしょうか。字面でいえば山の老婆ですからね。20年ぐらい前に渋谷にたむろしていた面白化粧の女の子らとはむしろ対極にあるといっていい。昔話における一例としては、旅人を泊めた夜に、台所で不気味な笑い声をあげながら大きな包丁をしゃりしゃり研いでいる老婆のイメージがわかりやすいでしょうか。
 人間に近い姿を持ちながら人間ではなく、怪力など人間にはない力の持ち主。それが山姥です。人間を好んで喰らうタイプのおっかない山姥もいれば、山に入った人間から事情を聞いて幸運を授けてくれるタイプもいるので、老婆の姿を借りた山の精霊と考えるべきかもしれません。

 とまあ、前振りも終わったところで人間を喰らうタイプの山姥が出てくる「天道さんの金の鎖」です。地方ごとに割と細かくタイトルが違うので、このタイトルでは馴染みの薄いひともいるかもしれませんね。「お月さんと金の鎖」「親子星」などがあります。大筋はこんな感じですか。

 ある日、母親が三人の子供に留守番を頼んで山へ薪拾いに行く。母親は山で山姥に遭遇し、食われてしまう。
 山姥は子供たちのいる家へ行き、言葉巧みに母を装って中に入りこむ。そして、夜になるのを待って三男を食べてしまう。
 暗がりの中でその音を不審がった長男に、山姥は適当にごまかす。自分にもくれとせがむ長男に、山姥は三男の指を放る。
 母親ではなく山姥だと悟った長男は、次男を連れて逃げる。山姥はそれに気づいて追いかけてくる。
 追い詰められた長男は、天の神に祈る。すると、金の鎖が天から降りてきて、長男と次男はそれにつかまって逃げる。
 追いかけてきた山姥も、同じく神に祈る。すると、腐った縄が天から降りてきて、それにつかまって山姥は長男たちを追おうとしたが、縄が切れて地面に落ちて死ぬ。

 食い残した指を放って正体がばれたり、腐った縄に飛びついて落下したり、この山姥はかなり隙だらけです。とはいえ、年端もいかない子供たちでは、これぐらいの相手でなければ「オレサマオマエマルカジリ」と立て続けに喰われて話が終わっていたと思うので、これぐらいがいいのでしょう。
 しかし、さすがに腐った縄が降りてきた時点で、山姥は諦めるべきでした。天の神もここまで露骨に追うなと警告してくれているのは、かなりの温情と言わざるを得ません。それでもなお山姥が子供たちを追おうとしたのは、あるいは正体を見破られたためでしょうか。この縄でもいけると過信したのでしょうか。
 バージョンによっては、金の鎖をのぼっていった子供たちは星になります。見方を変えるなら、天の神のものになるということです。
 山姥が山の精霊(善悪は置いて)であるならば、自分の獲物を天に奪われないために無理をしたのかもしれません。



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by tsukasa-kawa | 2017-09-18 23:59 | 日常雑記

9月17日のお話

 アーマーゾーン!
 強くてハダカで速い奴! ええ、金太郎のことです。日本でも屈指の有名な昔話とあってバージョン違いも実に豊富なんですが、ともかくいってみましょうか。
 一般的な金太郎のイメージは、菱形の腹掛けを身につけ、まさかりを担ぎ、熊を乗りまわして野山を駆けまわっているというものではないでしょうか。熊と相撲をとって勝利するあたり、ゴールデンカムイの牛山さんと互角以上に戦える傑物であることはたしかです。

 そんな金太郎の親は何者なのか。多くは「昔々、足柄山に金太郎と呼ばれる男の子がいました」と、両親の存在をガン無視するところからはじまるのですが、親について書かれているものもいくつかあり、足柄山に住む彫り物師の娘と、京の宮中の役人との間に生まれた子であるとか、その彫り物師の娘が赤い龍に授けられた子であるとか、雷神と山姥の間に生まれた子だとか、そもそも親については「心優しい母」ていどにしか語られず詳細は不明といった話が伝わっています。ただ、動物と言葉をかわし、熊に勝てる剛力の持ち主であるところから考えても、特別な存在が関わっているのは間違いないでしょう。

 金太郎の友達は山の獣ばかりで、金太郎は彼らと日々を過ごしながら、大木を倒して橋代わりにしたり、熊と相撲をとって勝つなど、随所でその怪力ぶりを発揮します。そして、足柄山を訪れた源頼光に声をかけられ、京に行って武士となるのです。

 しかし、京に行って以後の金太郎の活躍は、有名な酒呑童子との戦いしか語られません。ものによっては「武士になった」で終わりとするものもあります。
 酒呑童子との戦いも金太郎が主役というわけではなく、頼光が主で、彼に仕える四天王のひとりという役どころです。同輩である渡辺綱には、鬼の腕を切り落としたという逸話があります。金太郎にはそういった話がありません。
 頼光たちと酒呑童子の戦いは、山伏に扮した頼光たちが不思議な酒の力でもって酒呑童子を弱らせて打ち倒すというものです。金太郎得意の剛力が発揮されたという話はやはりありません。
 なぜ、そうなってしまったのでしょうか。
 考えられることはいくつかあります。
 金太郎の剛力が埋没するようなものであったということ。ぶっちゃけるなら井の中の蛙、もう少し今風にいうなら少年ジャンプの「世界の広さを知ったか?」的展開。金太郎は、たしかに足柄山では最強でした。しかし、京という広い世界へ行ってみると、上位には必ず入れるが、頂点ではなかった。彼がついに四天王のひとりとして終わってしまったことが、それを証明しているように思えます。もちろん、それでも立派で偉大なことではあるのですが。
 または、彼の活躍が伝わりにくいものだったこと。彼の武器は刀ではなくまさかりであり、戦い方についても、熊相手に相撲をするぐらいですから、武士たちからも理解されがたいものだったのかもしれません。
 京での、武士としての生活が肌に合わず、そのために剛力も発揮できなければ活躍もできなかった可能性はありますが、金太郎は武士として生き続けており、故郷に帰ったというものはありません。それとも、活躍できずに故郷に帰ってしまったからこそ、先を語られなかったのでしょうか。
 あるいは、金太郎は少しずつ京での生活に武士として溶けこむ中で、特異性を失っていったのかもしれません。たとえば一寸法師は、最終的にただのひととなることで特異性を失いました。金太郎もただの武士となったことで、四天王のひとりであることを除けば、その先を語られる存在ではなくなったのかもしれません。



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by tsukasa-kawa | 2017-09-17 23:59 | 日常雑記

9月16日のお話・2

 小さかったころ、家では金魚やセキセイインコを飼っていました。世話は主に父や母、弟がやっていまして、僕はたまにその手伝いをするぐらいだったんですけどね。
 金魚は水槽から出ることなく、インコもまた部屋の中から出ることがなかったのですが、彼らは何を言っていたでしょうか。隔離されていた、つまり情報の少なかった世界だったので「飯、寝る」ぐらいだったかもしれませんし、餌の内容や、家族ひとりひとりについて論評していたかもしれません。

 さて、聞き耳頭巾です。昔々あるところにいたお爺さんが、困っていた子狐を助け、母狐から頭巾をもらうところから話ははじまります。その頭巾をかぶってみると動植物の言葉が理解できるようになり、彼らが何を話しているのかがわかるという寸法です。
 そして、動物たちは人里での生活に慣れすぎたのか、人間界のゴシップしか話していません。川の中に金塊が転がっているのに人間が気づいていないだの、長者の娘が病気になっただの、それは楠の呪いだの、長者が新たに建てた蔵が楠の根を傷めているからだのと、どれだけ人間界に関心があるのかというぐらいです。
 もっとも、それを知っていたからこそ、母狐はお礼の品として頭巾をお爺さんに渡したのでしょう。頭巾をかぶってみても、今朝つついてみたミミズがまずかったとか、畑にまかれていた豆を一粒残さず食ってやったとか、そんな話ばかり聞かされる羽目になってはお爺さんへのお礼になりません。
 話を戻しますと、動物たちの会話を聞いたお爺さんは、長者の娘を病から回復させて、長者から褒美を受けとりました。めでたしめでたし。

 作中では、お爺さんと話しあった楠を除いて、お爺さんが会話を聞いていることに動物たちは気づいていません。そして、彼らの会話はあきらかに人間に聞かれていない前提のものです。しかし、人間界のゴシップには耳ざとい畜生たちです。お爺さんが長者の娘の病を治したこと、その方法、はたまた狐の母子の出会いについても、数日中には知ることと思われます。
 そのとき、彼らはどのようなアクションをとるでしょうか。
 ゴシップが楽しいのは他人事だからです。お爺さんが人間界で何をしようと動物たちにあまり影響はないでしょうから、たいして気にしないかもしれません。ですが、彼らのメンタルは人間社会の塵芥にまみれたせいか人間にかなり近いので、盗み聞きされたと感じてお爺さんを露骨に避けることも考えられますし、これ幸いとばかりに自分たちの要求を訴えてくる可能性もあります。
 聞き耳頭巾の物語は、むしろここから始まるのかもしれません。



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by tsukasa-kawa | 2017-09-16 23:59 | 日常雑記