一〇八(仮)

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ライトノベル作家川口士のブログです

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カテゴリ:日常雑記( 634 )

9月4日のお話

 数多ある日本昔話の中でも、桃太郎は一、二を争うメジャーな話でありながら、タイプとしては珍しい冒険物語だと思うのですよ。
 金太郎は頼光にスカウトされるまで山を出ず、一寸法師は京を目指して旅に出るとはいえ、すぐに到着します。浦島太郎にしても海底は竜宮城への通過点であって、旅するわけではない。
 旅に出て、仲間を得て、敵と戦って財宝を得る。やっていることはむしろ、神話で語られる英雄のそれに近いのですね。王道RPGといってもいいかもしれません。だからこそ桃太郎は魅力的な物語として語り継がれ、多くのひとが題材にしたのだろうと思います。

 そして、桃太郎に同行する旅の仲間。犬、猿、雉。いわば旅を支える名脇役です。
 猿蟹合戦における栗、蜂、臼、牛糞が、子蟹から事情を聞いて無償で協力を申し出たのに対し、彼らは黍団子を対価として求めます(獣から申し出る場合もあるし、黍団子をねだる獣に桃太郎が条件を出す場合もある)。「悪い鬼とやりあうんですか、手伝いますよ」とは決して言わないのです。桃太郎は勧善懲悪の物語とよくいわれますが、はたしてそうでしょうか。正義感を持っているのって、よくて桃太郎だけ。他は傭兵よろしく契約によって同行している。

 ここで気になるのは、黍団子って鬼と戦う対価としてはまっとうなものなのか。バージョンによっては桃太郎に「半分だけ」と値切られることもあります。
 古典をあたっていくと、団子ではなく餅だという説があり、ある種の餅には邪を払う力があるとされていることを考えると、ゲーム風にいえば世界樹の雫とかエリクサー的な、相応の価値があるものかもしれません。あるところに住んでいるようなお婆さんにそんなもんが作れるんかという疑問がありますが、桃太郎の入っていた桃は、そのお婆さんの前に流れてきたのです。ことのはじまりから相手を選んでいた可能性は考えられます。

 しかし、もうひとつ疑問が出てきます。これはほとんどの桃太郎に共通するのですが、獣たちは鬼退治のあとも桃太郎に同行して財宝を運ぶのを手伝っているのです。出会ったところにさしかかったら別れるとはならず、バージョンによってはそのまま桃太郎のそばに居着く話もあります。
 旅の中で戦友意識が育まれたのでしょうか。宝の分け前にあずかるために桃太郎の村まで同行したのでしょうか。
 あるいは、獣たちにとって、桃太郎は危なっかしい人間に見えたのかもしれません。陣羽織に旗指物に刀という桃太郎のイメージは明治頃、かなり後の時代になってつくられたものです。それ以前は、黍団子以外に決まった武装はありません。
 お爺さんとお婆さんの家にろくな武具があるとは思えず、棍棒と布の服みたいな装備である可能性は高い。だって村人だもん。生みの親は桃だし。
 そんな風体で鬼ヶ島に向かう若者を見て、こいつは俺が見ていてやらないと駄目かもしれん、と獣たちは思ったのではないでしょうか。



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by tsukasa-kawa | 2017-09-04 21:20 | 日常雑記

9月3日のお話

 とがった能力を持つ個性的なメンバーをそろえて強敵に挑んでの勝利。古今東西かかわらず熱い展開です。そこにかたきうちという要素が加われば鉄板といっていい。
 そんな胸のすくお話が猿蟹合戦です。合戦が戦争をイメージさせるのでさるかにばなしにする? それならいっそ今風に「親をいじめられた蟹が仲間を集め知恵を絞って徹底的にやり返すお話」とでもすればいいんじゃないですかね。全国のいじめられっ子に勇気を与えるでしょう。脱線しました。話を戻しましょう。

 おおまかな話はご存じかと思いますが、おにぎりを持った蟹が、柿の種を持った猿とそれぞれのものを交換し、蟹は柿を育てます。
 ところが、柿の木に登れないがために、せっかく育てた柿を猿に食われ、さらに青柿をぶつけられて死亡。途方に暮れた子蟹に、通りかかった臼と蜂と栗と牛糞が力を貸して猿を倒すという筋書きですね。

 生物が蜂しかいねえ。
 他が無機物と食い物と排泄物ですよ。牛糞は、地域によっては昆布だったりするらしいですが(海が近くにある地域かどうかの差かな)、メンバー中の食い物が二つになっただけです。これを見ると、犬、猿、雉を連れていった桃太郎がしっかり配下を選別していたような錯覚を起こします。
 しかし、これはこれでありかもしれません、というのも、猿を警戒させないからです。
 猿の視点でこのお話を見ると、親蟹は非常にちょろい相手でした。種ひとつでおにぎりをせしめ、成長した柿も親蟹を無視して食べ放題。青柿で仕留めることもできました。子蟹は自分を恨んでいるようだが、子蟹だけならたいした相手ではない。
 子蟹に協力するのがそれこそ犬、猿、雉であったら、さすがに猿も警戒したでしょう。
 しかし、子蟹の味方は上に述べた通りです。警戒すべき相手はせいぜい蜂ぐらいだと思っても不思議ではない。そこがまさに油断大敵で、家に忍びこまれていることにも気づかず、囲炉裏からの栗、水瓶からの蜂、地面に牛糞、天井から臼という怒濤の連係攻撃で仕留められるわけです(ものによっては子蟹が猿の首をちょんぎる話もある)。
 このお話にもしも教訓があるならば「油断大敵」となるのでしょうか。たいていの合戦は、油断した側が負けるからねえ。



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by tsukasa-kawa | 2017-09-03 16:18 | 日常雑記

9月2日のお話

 ひさしぶりに昼寝をしたら、思ったよりぐっすり眠ってしまいまして。定期的に休むことの必要性をあらためて実感しました。
 さて、かちかち山ですよ。どうも内容が残酷だというので、最近は話がマイルドになったものが出回っていると聞きまして。また、昔話の例に漏れず、バージョン違いが無数にあります。ここはつらつら書く前に、ちょっと整理しておきましょうか。

 昔々、あるところにお爺さんとお婆さんが住んでいました。
 お爺さんが豊作を祈りながら畑にまいた種や芋を、狸が不作を祈りながら食い荒らして駄目にしました。怒ったお爺さんは罠を仕掛けて狸を捕まえ、縛りあげます。
 お爺さんが畑仕事に向かうと、狸はお婆さんを騙して縄を解かせ、お婆さんを撲殺して料理し、帰ってきたお爺さんに「狸汁」と言って食わせた挙げ句「ばばあ汁食った」と囃したてて逃げます。
 お婆さんの骨を抱いて泣くお爺さんのもとに、兎が現れて事情を聞き、かたきを討ってやると約束します。
 兎は狸のねぐらのそばに行き、狸に見せつけるように栗をおいしそうに食べます。狸が栗をくれと頼むと、柴を集めて山の向こうまで運んでくれたらと言います。狸は引き受けます。
 二人はそれぞれ柴を背負って山を越えるのですが、兎は狸の背後で火打ち石をかちかちと鳴らします。
 狸「このカチカチって音は何なんだ?」
 兎「ここはカチカチって鳴く鳥がいるからかちかち山というんだ」
 狸の背負った柴が燃えて、狸は大火傷を負います。
 数日後、兎は狸のもとを訪れ、何食わぬ顔で火傷を心配し、薬だと偽って、火傷した箇所に唐辛子を混ぜた味噌を塗りたくります。
 さらに数日後、兎は狸を誘って海に釣りに行きます。兎は木の船で、狸は泥の船で沖まで出ますが、そこで泥の船が崩れ、狸はおぼれます。助けを求める狸に兎は櫓につかまるよう言い、狸が寄ってきたところで櫓で撲殺します。めでたしめでたし。

 悪を討った者は正義となるのか。それともまた別の悪なのか。
 あ、これは別に何となく言ってみたかっただけです。
 兎と狸の関係性だけで見るのならば、兎は狸に何もされていません。
 兎の動機は、義憤です。お爺さんから事情を聞いて、はじめて動きだします。お婆さんの亡骸をバックに「あの外道~!」と、マーダーライセンスを握りしめて突っ走ればわかりやすかったでしょうか。脱線するけど「そして僕は外道マンになる」は面白かったです。
 話を戻しますが、義憤が成り立つには二つの条件が必要です。
 ひとつは、討たれる側=狸が残酷であること。残酷であればあるほどよい。聞き手、読み手が共感するからです。残酷だからといって削ってしまっては、物語が成り立たなくなってしまう。筋が通っていればいい、ではないのです。
 もうひとつは、正義、法が無力であることです。狸を討った兎をどのように裁くかという模擬裁判がかつて行われたことがありましたが、かちかち山において、狸の非道に対して法がまったくの無力であったことを、少なくとも参加した大人は考慮すべきであり、子供たちにも説明すべきだったでしょう。ばばあ汁も省かずにね。そもそも、おとぎ話に法なんてあってないような(ry

 また、兎はかたきうちを、三段階にわたって行っています。同じかたきうちの昔話には猿蟹合戦がありますが、あちらが連係攻撃とはいえ一回ですませているのにくらべると、ぶっちゃけしつこいです。かちかち山の段階で狸の丸焼き一丁あがりでいいじゃん。ただ、お爺さん側の被害が「種や芋を食い荒らされ」「お婆さんを殺され」「ばばあ汁を食わされ」と考えると、一度ですませてたまるかという思いがあったのでしょう。
 とはいえ、兎自身は何もされていないことに加え、このかたきうちのくどさが、兎が狸にひどいことをした、という見方を生んだのだとも思われます。兎がお爺さんに知恵を授けて、一撃必殺で直接的な復讐をさせたのであれば、またいろいろと違っていたかもしれません。   

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by tsukasa-kawa | 2017-09-02 23:17 | 日常雑記

8月31日のお話

 8月も終わりだぞー。読書感想文はやったかー。観察日記はー。自由研究はー。
 僕はだいたいすっぽかしていましたね。20年以上も昔の話です。以前にも愚痴ったかもしれませんが、だいたい読書感想文なんて何書けばいいのかわからなかったもの。あと、思ったことを素直に書けばいいっていうのも当時は鵜呑みにしていたし。書き方がわかった高校生のころはもう読書感想文なんてなかったし。

 そんな月末ですが、さて牛の首です。
 2ちゃんねるに親しんでいたひとには鮫島事件、世にも奇妙な物語に親しんでいたひとにはズンドコベロンチョといえば、だいたいわかってもらえるかもしれません。
「昔、恐ろしい事件があったんだ。それを知っているひとたちの間では牛の首と呼ばれているんだがね……。内容は、いや、ちょっとここでは言えないな」
「牛の首か。悪いがあれについては話せない。ひどいものだったからな」
「ああ、牛の首ですね。名前だけは聞いたことあるんですけどね。何かすごい事件だったらしいですね」
 こんなふうに「何かえらい話だったらしい」という噂だけが一人歩きして真相はまったく語られず、知られることがないという話です。
 いやいや、このネット全盛の時代に?と思うかもしれませんが、ネットの記録など、かつて思われていたほどではないということがあきらかになりつつあります。プロバイダのサービス終了で、サーバーの容量の問題で、移転などに伴うデータ移行の失敗で、あるいはただのミスで、どれだけのデータが吹き飛び、復元が不可能となって消え去ったでしょうか。また、編集やねつ造、切り取りや上書きによって、どれだけの情報が歪んだ形で世に出回ってしまっているか。
 裏取りをせず、流れてきた情報に飛びつき、誤りと知らずに拡散し、尾ひれや背びれがつくという状況は、情報の加速化によって悪化しています。記憶は嘘をつくといいますが、記録もたいがいなのです。

 と、てきとうにそれらしいことをつらつら並べたところで話を戻しますと、牛の首がほとんどのひとに忘れ去られてもズンベロや鮫島が生みだされ、記憶に残るように「実体のない凄い話」は定期的に出てくるのでしょう。底の知れない噂話として。
 もちろん話を自由につくることはできますが、元が実体がないのですから、自分以外の誰かも話をつくってきたら、どちらが本物かという流れになり、いずれどちらも偽物と判明すると思われます。
 あるいは、何かしら力のある(ここでいう力とは、とくにオリジナリティや説得力のことではない)話がくっつけられて、ひとつの話として成立してしまったら、それは牛の首ではなく、新たな怪談となるのかもしれません。



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by tsukasa-kawa | 2017-08-31 15:54 | 日常雑記

8月30日のお話

 幽霊を見たことはありますか? 僕はありません。たぶん。見たいかと聞かれたらNOです。だって怖いし。あと何か理不尽だし。
 しかし、見たいとも思っていないのに幽霊が見えてしまうひとが、怪談には割といるのです。そして、そのひとたちは幽霊の存在に気づいてもそしらぬふりをするのですが、幽霊の方はすれ違いざまに「よくわかったな」やら「見えているくせに」やら言ってくるのです。嬉しそうだなおまえ。

 この怪談の特徴は、人通りの多い場所で、幽霊は人混みにまぎれているというところでしょうか。たいてい幽霊のいるところってひとけがありませんからね。
 そして、この種の幽霊は、ごくふつうの人間に対して積極的に姿を見せつけることができないようなのです。あるいは、たとえばタクシーに乗ってくる幽霊のようにいくつかの条件(時間的なものや環境的なものなど)がそろえば可能なのかもしれません。
 しかし、なぜわざわざ話しかけてくるのか。気づいていないふりなんて無駄だ、と教えるのが目的でしょうが、恐怖感を与えるならば、むしろ無言でついてくる方がよほど怖い。幽霊の側が気づいているということも、それで教えることができます。
 幽霊の行動からわかることは、自分は幽霊だという自覚がある、たいていのひとは自分たちに気づかないことを知っている、こちらが見たことに気づいている、すれ違うまで声をかけてこない、というところです。
 すれ違いざまに何か仕掛けてくる可能性はありますが、それなら何か言うより行動した方がいいわけで、ただからかってきただけに思えるのですね。周囲の人間がばたばた倒れるようなこともないので、断言はできませんが無害に近い存在なのではないでしょうか。
 とはいえ、他のひとには見えていないわけで、うっかり返事をしようものなら、怪談に巻きこまれる以前に「見えない何かに話しかけてるよ」と、周囲からヒソヒソささやかれてしまうでしょう。楽しいのは幽霊だけ。幽霊が見えても何もいいことないな、うん。



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by tsukasa-kawa | 2017-08-30 21:32 | 日常雑記

8月29日のお話

 海と山は神秘性を持っているがゆえに怪談の宝庫なわけですが、山の怪談において、車の絡んだものがよく見られるのは、夜の山道でも車なら簡単に行けるようになった、といいうことが大きいんでしょうね。ドライブでも肝試しでも、友人や恋人を家や駅に送っていくのでも、手軽にできるようになりましたから。
 そんな夜の山の中で車を走らせていたら、知らず知らず崖に誘導されていたというお話です。

 やはりパターンがいくつかありまして、助手席で眠っていると思っていた友人や恋人が方向を教えてくれて、それに従っていたら~とか、カーナビの指示通りに~とかいう形で誘導され、突然前方に女の子が飛びだしてきてブレーキを踏んだらすぐ近くが崖だったというものと、指示通りに車を運転していたら崖に飛びだしそうになったというのが多い感じでしょうか。「死ねばよかったのに」という声で締めくくられるところは共通しています。

 山の死霊に誘導されたというわけですが、どのパターンでも運転していた人物を仕留めきれなかった点、余計なことを言ってしまい、幽霊の仕業だったと悟らせてしまった点が、幽霊の甘さ……言い換えるならドジっ子である部分を強調しています。
 もちろん怪談なのですから、今回の当事者には助かってもらって語り継いでもらわなければ困るわけですが、これでは語り継がれるのがドジっ子であることばかりです。本人も言ったあとでしまったと思ったのではないでしょうか。やはり「ブレーキ踏めたんだ。珍しいわね」ぐらいのことを言って、余裕を見せてほしいものです。これはこれで四天王の一人目っぽい感じがしてしまうのですが。



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by tsukasa-kawa | 2017-08-29 20:45 | 日常雑記

8月28日のお話

 生まれ変わりですよ。怪談では割とおなじみでして、今回例に挙げたものは、ある夫婦の間に醜い子が生まれたので、崖から捨てる→その後、夫婦は第二子を授かる。その子は可愛らしい子→旅行で、かつて第一子を捨てた崖のそばに来る→子供が「今度は捨てないでね」と言う……というものです。
 筋立て自体は昔からあるもので、夏目漱石の夢十夜にも似たようなお話があったと思います。「お前が俺を殺したのは、今からちょうど百年前だね」だったかな。

 子供からしてみればどうしても一言言ってやりたかったのでしょうし、その気持ちもわかります。しかし、聞き手を驚かせ、怖がらせて終わりな怪談ならともかく、その先も続くとしたらどうでしょうか。親は子供に対して「何をどこまで知っている」と疑い、子供は子供で「また殺すつもりじゃないだろうな」と警戒し、一家の団欒どころではありません。
 生まれ変わりのメリットというのは「生まれ変わる前の知識や経験を持っている」ことですが、生まれてすぐ殺された身ではそれも望めません。ジョジョ4部よろしく「パパと一緒にお風呂に入ろうか」とか言われて無防備な状態で一対一を強いられたらアウトです。生まれ変わる間に何かしら特殊能力に目覚めるかでもしなければ、すぐにやられてしまい「また来たの。早かったね」などと三途の川の渡し守に言われかねないのです。

 とはいえ、黙っていても子供の方は事実を知っているわけで「何かの拍子に殺しにかかってくるかもしれない」と思えば、ストレスがたまる生活になるのは間違いありません。復讐してやるという決意と覚悟を持つなら(そうなるとサスペンスですね)ともかく、そうでないのなら、やはり、まったく関係ない家庭に生まれ変わるのがベターなのでしょう。なに、今ならハガキでもネットでも告発はできるって。



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by tsukasa-kawa | 2017-08-28 19:15 | 日常雑記

8月27日のお話

 小さいおじさん。ようするに小人ですね。20年ぐらい前はよくネタになっていたものでした。アウターゾーンとか。
 小人が出てくる怪談としては、窓の隙間などから入ってきて人間をズタズタにする一寸ババアなどがいますが、人間に危害を加える場合、怪談らしく身体能力が尋常でない場合がほとんどなので、そのへんで区別できるかもしれません。小さいおじさんの総称で語られる小人は「見た、驚いた、逃げていった」的なものばかりなんですよね。オカルトというよりメルヘンというかファンタジーです。語られるのが実体験もどきの話ばかりということもあるのでしょう。ガリバー旅行記かよ。
 これらの小人が実在するとしたら、それこそ一寸ババアではありませんが、驚異的な身体能力が必要になると思うのです。天敵だらけで毎日がサバイバルだもの。小動物や虫でさえ難敵になりますからね、このサイズ。
 ですが、小人がこの世ならざるものであった場合。たとえばヨーロッパの妖精に代表されるような、そういったものを見たときには、知らず知らず彼らの世界に迷いこんでしまっているのだという場合。そういうところへの案内人としての小人は、これほどおっかないものはいないかもしれません。



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by tsukasa-kawa | 2017-08-27 21:37 | 日常雑記

8月26日のお話

 ついに○○みたいな固有名詞がなくなったというか、有名どころがほぼ尽きましてね。
 まあ、漁れば○○ばあちゃんみたいなのがいくつかあったり、細部だけ違うトイレ系の怪談がいくつかあったりするんだけど、何日もばあちゃんやトイレの話をするのもどうだろうという感じで、こんな感じの怪談が~みたいなノリでやるんじゃないかと思います。

 で、タクシー怪談というべきものですよ。いくつかパターンがありまして、駅のタクシー乗り場またはひとけのない道で、女性がタクシーを呼び止めます。雨の日で女性は濡れているのが多い感じですね。で、多くは「家までお願いします」みたいなことを言ってどの道をどう進むのか運転手さんに指示を出し、着いてみたらそこは墓地や霊園だった、というオチですね。
 変わり種だと自宅まで向かわせて、財布を取ってくると言って家に消え、焦れた運転手が家を訪ねてみると、娘さんの両親が現れて事情を聞き、娘はとうの昔に死んでいると告げる……なんてのもあります。

 とまれ、この娘さんの霊ですよ。目的地が家だろうと墓だろうと、帰るのになんでわざわざタクシーを使うのか。自力で移動できないか、移動できるけどあえてタクシーを使っているかの二択が考えられます。適当なトラックにヒッチハイクよろしく乗って、遠くへ行ってしまうのは避けたいのでしょう。
 移動できないのでタクシーを使うのは、わかります。運んでもらうことで移動できるタイプということなのでしょう。
 あえて使っている場合ですね。この手の怪談で、運転手に何らかの危害が加えられた、というものはほとんど見ません。危害を加えるために出現したわけではなさそうです。どうせ無賃だから楽をしたかったか、運転手をからかってみた、あるいは車がすごく大好きだったか、というあたりでしょうか。
 このアクションが連日繰り返されている場合は、スタート地点に戻されて毎日同じことをしている、と思われますが(そうでなかったら、毎晩スタート地点に自力で戻っていることになってしまい、ますます愉快犯に……)、それでもタクシーを使う理由は、上記のどれかになりそうです。そして、どれだったとしても、かなりイイ度胸の持ち主ということで、生前から楽しい人生を送っていたのではないでしょうか、この子。


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by tsukasa-kawa | 2017-08-26 20:50 | 日常雑記

8月25日のお話

 昨日の夜、奥歯のかぶせものが取れてしまって大慌てだったのですが、行きつけの歯医者さんで無事に再接着してもらえました。よかったよかった。
 そんな僕の私的な出来事はさておいて、赤いちゃんちゃんこです。どうでもいいですが、僕がちゃんちゃんこというものを初めて知ったのはゲゲゲの鬼太郎でした。とくに印象づけられたのはファミコン版の妖怪大魔境ですね。やったひとならわかると思いますが、ゲタと並んで使いづらい武器のツートップですよ。強いんだけど。当時小学生だった僕は指鉄砲と火炎ばかり使ってました。話を戻しましょう。
 トイレに入ると「赤いちゃんちゃんこ着せましょか」という声が聞こえてくる。「はい」と答えると、天井からナイフが降ってきて血まみれになり、あたかも赤いちゃんちゃんこを着たように見える……というものです。バージョンによっては「いいえ」と答えると「はい」と答えるまで出してもらえず、延々同じ質問が続くという、まるで初期RPGのような状況に陥るらしいですね。
 しかし、ちゃんちゃんこ。はたして今の子供たちは知っているでしょうか。というか目にする機会があるでしょうか。もう今では還暦祝いで役所が送ってくるぐらいしか見る機会ないんじゃないかと思うのですよ。だいたい「何それ」と聞かれてしまっては怖さも薄れてしまいます。これはちゃんちゃんこが悪いのではなく、ファッションの変遷の問題であって、たとえばブツを変えて「赤いパンタロン穿かせましょか」とやってみても、やはり「何それ」になってしまうでしょう。ファッションは怪談以上にうつろうものなのです。
 しかし、こだわってちゃんちゃんこにするのも、それはそれでひとつの手かもしれません。中途半端に古いと「赤いジャンパー着せましょか」「ジャン……パー? え、なに? ああ、ブルゾンのこと? 昭和っぽいね」という会話になりかねませんからね。



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by tsukasa-kawa | 2017-08-25 18:19 | 日常雑記