一〇八(仮)

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ライトノベル作家川口士のブログです。「魔弾の王と戦姫」18巻、それから片桐雛太さんの魔弾画集、絶賛発売中です。よろしくお願いします。

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9月19日のお話

 空を自由に飛びたいな、というフレーズを聞いたら、ドラえもんといっしょにリアルバウトハイスクールを思いだす世代のおっさんです、こんばんは。世代は関係ないですね、おっさんです。
 連休も終わり、九月も残すところあと三分の一ほどになったというのに、なんであの先生は諦めずに夏休みの宿題を催促してくるんだろう絶対に出さねえ、それにしても週末の体育祭めんどくせーな、などと物思いにふけることの多い夜、いかがお過ごしでしょうか。
 いかにも優しげな語り口調が売りなDJっぽい挨拶を終えたところで、今回は(天に向かって)空を自由に飛んでいってしまった人妻のお話。「天の羽衣」です。これも有名な話の類に漏れず、地域ごとに細部の違う話がたくさんあるわけですが、大雑把に語るとこうなりますかね。

 狩人の男が山奥の泉に行くと、水浴びをしている女性を発見する。彼女の美しさに見惚れた男は、茂みに隠れてしばらく覗きを続ける。
 女性のものだろう羽衣が水辺に置かれていることに男は気づいて、それを盗む。
 女性は水浴びをすませるが、自分の衣が見当たらない。慌ててさがす女性の前に、男が姿を見せる。
 女性は自分が天女であることを明かし、その羽衣がないと天に帰れないと訴える。男は羽衣を返さないと言い、妻になってほしいと口説く。
 天に帰れなければ他に行き場のない天女は、仕方なく男の要求を受け入れる。
 ある日、天女は男が隠していた羽衣を偶然発見してしまい、天に帰る。

 見事な因果応報です。昔話にもけっこう人格のよろしくないひとはいますが、覗く、盗む、脅すと三拍子そろった男はなかなかいないのではないかと思われます。バージョンによっては見せつけて口説くのではなく、羽衣など知らないふりをして口説く話もありますが(最終的に夫婦生活の中で隠していた羽衣が見つかるのは同じ)、その場合は脅す代わりに騙しているわけで、悪辣なことには変わりありません。

 もっとも、男が天女に惚れこんだのは本当のようで、いろいろとあたってみた範囲では、結婚生活が悲惨だったというバージョンは見当たらず、ものによっては二人はお互いを支えあって仲睦まじく暮らした、という話まであるので、発端はともかく、天女もどこかのタイミングで男を受け入れたのでしょう。ご都合主義? まず天女の存在がご都合主義でしょうが。わざわざ地上に降りて水浴びするぐらいなら周辺に結界とかバリアとか張ってくださいよ。
 というか、本当に天女なのでしょうか、この子。ギリシア神話の女神アルテミスは、自分の水浴びを覗いたアクタイオンを鹿に変え、猟犬をけしかけて容赦なく殺しました。天女も熊か猪をけしかけるぐらいしてよかったと思うのですが、この天女、羽衣を取り戻すまで天女らしいことを何もしません。羽衣が本体かおまえ。それともポケットがなくなったドラえもんか。話を戻しましょう。

 ただ、それほど仲睦まじい夫婦生活ならば、なぜ羽衣が見つかった途端に天女は帰ってしまったのかという疑問はあります。
 ひとつは、昔話としての因果応報が考えられます。上にも書いた通り、男は決して正当な手段で天女を得たわけではありません。その報いを、彼はどこかで受けなければなりませんでした。欲張り爺さんが必ず痛い目を見るように。羽衣が見つかるのは必然だった、ということです。

 もうひとつは「羽衣を手に取る」ことが、彼女を天女にする、という可能性です。
 天女は、自分が天女であることを男に明かすときに言います。「羽衣がなければ天に帰れない」と。これは脅される場合にも騙される場合にもほぼ共通しています。それは「羽衣を手に取ったら必ず天に帰る」という誓約だったのではないでしょうか。たとえば雪女が、喋ってはいけないという約束を破られた瞬間、雪女に戻ってしまったのに似て。

 男も、長い結婚生活で気が緩んでいたのでしょうか。この生活がいつまでも続くと思ってしまっていたのかもしれません。羽衣を、それこそ天女がいないときに、家の床下深くにでも埋めていたら、また話は違った流れを見せていたのでしょうか。
 


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by tsukasa-kawa | 2017-09-19 23:59 | 日常雑記

9月18日のお話

 拍手レス
>年を重ねた古い竜はより格の高い竜へと進化するという話はよく聞きますが乙姫が龍の価値観で玉手箱を託したのならお礼にクラスチェンジさせてあげましょうぐらいの心持ちだったのでしょうか
 浦島太郎の話ですね。たしかにそれもありそうです。人間でクラスチェンジとなると、仙人にしてあげようというあたりでしょうか。中国の説話の中には、ある人間が仙人になったとき、身体は煙に包まれて跡形もなく消え去り、後には服しか残っていなかったという話もありますからね。

 さて、いろいろな日本昔話を語ってきていますが、鬼と並んで恐ろしい存在である山姥が出てきたものは、まだなかったですね。金太郎の母親が山姥だったという説があるぐらいかな。
 山姥というと、どんなイメージでしょうか。字面でいえば山の老婆ですからね。20年ぐらい前に渋谷にたむろしていた面白化粧の女の子らとはむしろ対極にあるといっていい。昔話における一例としては、旅人を泊めた夜に、台所で不気味な笑い声をあげながら大きな包丁をしゃりしゃり研いでいる老婆のイメージがわかりやすいでしょうか。
 人間に近い姿を持ちながら人間ではなく、怪力など人間にはない力の持ち主。それが山姥です。人間を好んで喰らうタイプのおっかない山姥もいれば、山に入った人間から事情を聞いて幸運を授けてくれるタイプもいるので、老婆の姿を借りた山の精霊と考えるべきかもしれません。

 とまあ、前振りも終わったところで人間を喰らうタイプの山姥が出てくる「天道さんの金の鎖」です。地方ごとに割と細かくタイトルが違うので、このタイトルでは馴染みの薄いひともいるかもしれませんね。「お月さんと金の鎖」「親子星」などがあります。大筋はこんな感じですか。

 ある日、母親が三人の子供に留守番を頼んで山へ薪拾いに行く。母親は山で山姥に遭遇し、食われてしまう。
 山姥は子供たちのいる家へ行き、言葉巧みに母を装って中に入りこむ。そして、夜になるのを待って三男を食べてしまう。
 暗がりの中でその音を不審がった長男に、山姥は適当にごまかす。自分にもくれとせがむ長男に、山姥は三男の指を放る。
 母親ではなく山姥だと悟った長男は、次男を連れて逃げる。山姥はそれに気づいて追いかけてくる。
 追い詰められた長男は、天の神に祈る。すると、金の鎖が天から降りてきて、長男と次男はそれにつかまって逃げる。
 追いかけてきた山姥も、同じく神に祈る。すると、腐った縄が天から降りてきて、それにつかまって山姥は長男たちを追おうとしたが、縄が切れて地面に落ちて死ぬ。

 食い残した指を放って正体がばれたり、腐った縄に飛びついて落下したり、この山姥はかなり隙だらけです。とはいえ、年端もいかない子供たちでは、これぐらいの相手でなければ「オレサマオマエマルカジリ」と立て続けに喰われて話が終わっていたと思うので、これぐらいがいいのでしょう。
 しかし、さすがに腐った縄が降りてきた時点で、山姥は諦めるべきでした。天の神もここまで露骨に追うなと警告してくれているのは、かなりの温情と言わざるを得ません。それでもなお山姥が子供たちを追おうとしたのは、あるいは正体を見破られたためでしょうか。この縄でもいけると過信したのでしょうか。
 バージョンによっては、金の鎖をのぼっていった子供たちは星になります。見方を変えるなら、天の神のものになるということです。
 山姥が山の精霊(善悪は置いて)であるならば、自分の獲物を天に奪われないために無理をしたのかもしれません。



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by tsukasa-kawa | 2017-09-18 23:59 | 日常雑記

9月17日のお話

 アーマーゾーン!
 強くてハダカで速い奴! ええ、金太郎のことです。日本でも屈指の有名な昔話とあってバージョン違いも実に豊富なんですが、ともかくいってみましょうか。
 一般的な金太郎のイメージは、菱形の腹掛けを身につけ、まさかりを担ぎ、熊を乗りまわして野山を駆けまわっているというものではないでしょうか。熊と相撲をとって勝利するあたり、ゴールデンカムイの牛山さんと互角以上に戦える傑物であることはたしかです。

 そんな金太郎の親は何者なのか。多くは「昔々、足柄山に金太郎と呼ばれる男の子がいました」と、両親の存在をガン無視するところからはじまるのですが、親について書かれているものもいくつかあり、足柄山に住む彫り物師の娘と、京の宮中の役人との間に生まれた子であるとか、その彫り物師の娘が赤い龍に授けられた子であるとか、雷神と山姥の間に生まれた子だとか、そもそも親については「心優しい母」ていどにしか語られず詳細は不明といった話が伝わっています。ただ、動物と言葉をかわし、熊に勝てる剛力の持ち主であるところから考えても、特別な存在が関わっているのは間違いないでしょう。

 金太郎の友達は山の獣ばかりで、金太郎は彼らと日々を過ごしながら、大木を倒して橋代わりにしたり、熊と相撲をとって勝つなど、随所でその怪力ぶりを発揮します。そして、足柄山を訪れた源頼光に声をかけられ、京に行って武士となるのです。

 しかし、京に行って以後の金太郎の活躍は、有名な酒呑童子との戦いしか語られません。ものによっては「武士になった」で終わりとするものもあります。
 酒呑童子との戦いも金太郎が主役というわけではなく、頼光が主で、彼に仕える四天王のひとりという役どころです。同輩である渡辺綱には、鬼の腕を切り落としたという逸話があります。金太郎にはそういった話がありません。
 頼光たちと酒呑童子の戦いは、山伏に扮した頼光たちが不思議な酒の力でもって酒呑童子を弱らせて打ち倒すというものです。金太郎得意の剛力が発揮されたという話はやはりありません。
 なぜ、そうなってしまったのでしょうか。
 考えられることはいくつかあります。
 金太郎の剛力が埋没するようなものであったということ。ぶっちゃけるなら井の中の蛙、もう少し今風にいうなら少年ジャンプの「世界の広さを知ったか?」的展開。金太郎は、たしかに足柄山では最強でした。しかし、京という広い世界へ行ってみると、上位には必ず入れるが、頂点ではなかった。彼がついに四天王のひとりとして終わってしまったことが、それを証明しているように思えます。もちろん、それでも立派で偉大なことではあるのですが。
 または、彼の活躍が伝わりにくいものだったこと。彼の武器は刀ではなくまさかりであり、戦い方についても、熊相手に相撲をするぐらいですから、武士たちからも理解されがたいものだったのかもしれません。
 京での、武士としての生活が肌に合わず、そのために剛力も発揮できなければ活躍もできなかった可能性はありますが、金太郎は武士として生き続けており、故郷に帰ったというものはありません。それとも、活躍できずに故郷に帰ってしまったからこそ、先を語られなかったのでしょうか。
 あるいは、金太郎は少しずつ京での生活に武士として溶けこむ中で、特異性を失っていったのかもしれません。たとえば一寸法師は、最終的にただのひととなることで特異性を失いました。金太郎もただの武士となったことで、四天王のひとりであることを除けば、その先を語られる存在ではなくなったのかもしれません。



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by tsukasa-kawa | 2017-09-17 23:59 | 日常雑記

9月16日のお話・2

 小さかったころ、家では金魚やセキセイインコを飼っていました。世話は主に父や母、弟がやっていまして、僕はたまにその手伝いをするぐらいだったんですけどね。
 金魚は水槽から出ることなく、インコもまた部屋の中から出ることがなかったのですが、彼らは何を言っていたでしょうか。隔離されていた、つまり情報の少なかった世界だったので「飯、寝る」ぐらいだったかもしれませんし、餌の内容や、家族ひとりひとりについて論評していたかもしれません。

 さて、聞き耳頭巾です。昔々あるところにいたお爺さんが、困っていた子狐を助け、母狐から頭巾をもらうところから話ははじまります。その頭巾をかぶってみると動植物の言葉が理解できるようになり、彼らが何を話しているのかがわかるという寸法です。
 そして、動物たちは人里での生活に慣れすぎたのか、人間界のゴシップしか話していません。川の中に金塊が転がっているのに人間が気づいていないだの、長者の娘が病気になっただの、それは楠の呪いだの、長者が新たに建てた蔵が楠の根を傷めているからだのと、どれだけ人間界に関心があるのかというぐらいです。
 もっとも、それを知っていたからこそ、母狐はお礼の品として頭巾をお爺さんに渡したのでしょう。頭巾をかぶってみても、今朝つついてみたミミズがまずかったとか、畑にまかれていた豆を一粒残さず食ってやったとか、そんな話ばかり聞かされる羽目になってはお爺さんへのお礼になりません。
 話を戻しますと、動物たちの会話を聞いたお爺さんは、長者の娘を病から回復させて、長者から褒美を受けとりました。めでたしめでたし。

 作中では、お爺さんと話しあった楠を除いて、お爺さんが会話を聞いていることに動物たちは気づいていません。そして、彼らの会話はあきらかに人間に聞かれていない前提のものです。しかし、人間界のゴシップには耳ざとい畜生たちです。お爺さんが長者の娘の病を治したこと、その方法、はたまた狐の母子の出会いについても、数日中には知ることと思われます。
 そのとき、彼らはどのようなアクションをとるでしょうか。
 ゴシップが楽しいのは他人事だからです。お爺さんが人間界で何をしようと動物たちにあまり影響はないでしょうから、たいして気にしないかもしれません。ですが、彼らのメンタルは人間社会の塵芥にまみれたせいか人間にかなり近いので、盗み聞きされたと感じてお爺さんを露骨に避けることも考えられますし、これ幸いとばかりに自分たちの要求を訴えてくる可能性もあります。
 聞き耳頭巾の物語は、むしろここから始まるのかもしれません。



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by tsukasa-kawa | 2017-09-16 23:59 | 日常雑記

9月16日のお話

 声高に時代は超高齢社会だとコメンテーターが不吉な予想図立てて闇にまくしたててますよ。こんばんは皆さん。そしておやすみなさい。
 まああれです。挨拶をした手前、どこかで調整しなければならんかったしのう。
 さて、姥捨て山です。もとは中国やインドから伝わってきたといわれる、だいぶ古いころからある物語ですね。

 お殿様が、年寄りは不要であり捨てるべしという布告を出す。ひとりの男が仕方なく年老いた母親を捨てようとするも、思い直して家の床下にかくまう。
 その後、隣国がお殿様に何度か難題を突きつけ、男はその答えを母親から教えてもらって隣国を追い払い、それを知ったお殿様は布告を撤回する。

 バージョン違いとしては、母親を捨てようとする男に、息子が「父親を捨てる時のためにやり方を知りたい」と言って同行をせがみ、それによって自分の行為の恐ろしさを悟った男が母親を捨てるのをやめる……というものがありますが、共同体で語り継ぐお話としてはこちらの方が妥当かもしれません。上のお話の方が痛快さはありますが、知識も技術も培ってこなかった老人は捨ててもいいという解釈を招きかねませんからね。たとえば不作の年に、口減らしのために子供を売る、老人を捨てるといったことはどの地域でもあったでしょうが、それとこれとは意味が違います。

 しかし、捨てられた老人たちにしてみれば、だからといって山中でのたれ死ぬ理由はありません。法の外に置かれたのですから、法を守る理由もない。
 この場合、老人たちがとる手段は二通り考えられます。
 ひとつは、集まって山の中にコミュニティを築くことです。いちいち遠くの山に捨てているという描写はありませんから、老人たちが小さいころからよく知っているような山に捨てていると考えていいでしょう。つまり、何がどこで採れるか、川の流れ、獣のねぐらなどについて、おおまかに知っていると考えられるわけです。熊や野犬など獣の存在が脅威ですが、獣避けの柵などを備えた拠点を作ることができれば、いつかは棲み分けができるでしょう。というかできなかったら全滅です。人里でしか手に入らないものが必要になった場合は、木の実や薪になる枝など、山でしか手に入らない、又は山で集めないと効率が悪いものを用意して物々交換する手がある。
 人口については、布告が撤回されないかぎり定期的に送りこまれてくるので、山に相応の食糧があり、獣たちとやりあえる老人たちが一定数そろえば強力なコミュニティができあがりそうです。老練や老獪という言葉は、適当につくられたものではありません。

 もうひとつは、集まって山の中で食糧になりそうなものをかき集めたあと、隣国へ逃げることです。隣国のお殿様に謁見して「うちの国の殿様はこんなことをしたのです。いま、うちの国の若者を煽れば混乱を起こすことは簡単です」と教えれば、褒美ぐらいはもらえるでしょう。本作の男がまさにそうでしたが、お殿様の布告に納得していない者は多数いるはずです。そうした者たちは、情のない布告を出したお上を恨んでも不思議ではありません。さらに隣国のお殿様が太っ腹だったら、逃げてきた老人たちに金をやって煽動役に使うでしょう。
 あるいは、老人しか答えを出せない難題を隣国のお殿様が用意できたのは、そのように隣国へ逃げた老人がいたからなのかもしれません。



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by tsukasa-kawa | 2017-09-16 02:01 | 日常雑記

9月15日のお話

 ひとには向き不向きがあります。好きこそものの上手なれ、という言葉は好きですが、やはり身体が大きくて運動神経のあるひとはスポーツでおおむね有利ですし、事務処理が得意なひととそうでないひととでは一時間あたりの処理量や、必要な道具がないときの応用などに顕著な差が出てきます。そして、何が自分に向いているのかということについては、色々とやってみなければわからないものなのです。
 挨拶代わりにそんな前振りをして、わらしべ長者ですよ。
 貧しい男が観音様に「どうかこの生活から抜け出たい」と願掛けをすると「この寺を出たときに最初に手にしたものを大切に持って旅に出るように」とお告げを受ける。寺を出ようとしたときに男は転んでしまい、身体を起こしたときに手には一本の藁が……という流れで物語ははじまります。

 この男がそれまでどんな生活、どんな仕事をしていたのかはわかりませんが、観音様が即座にお告げをくれるあたり、真面目に働いていたのでしょう。信心深さも持ち合わせていたと思われます。
 男は藁を持って旅に出て、うるさい虻を捕まえて藁にくくりつけ、それを蜜柑と交換し、蜜柑を反物と交換し、反物を馬と交換し、馬を屋敷と交換して見事長者になります。蜜柑と反物、反物と馬の交換については、男から申し出る場合もあれば、相手から申し出る場合もありますね。
 藁をもとでに神仏のご加護で次々といいものを手に入れていったように見えますが、本当にそうだったのでしょうか。
 藁は、それだけでは役に立ちませんでした。虻をくくりつけることで、はじめて子供の注意を引き、蜜柑と交換するまでに至ったのです。
 蜜柑と反物を交換する場合も、話によっては蜜柑をあげたところ、お礼に反物をもらったというものもあります。この場合だと、相手がお礼をくれなかったら男の手元には何も残らなかったわけです。
 反物と馬の交換においても、受けとった馬は疲れきっていて役に立つかどうかわからない状態でした。男が手厚く看護することで元気になったのです。
 男はただ運がよかったというわけではなく、判断力もあれば、損をしてもかまわないというおもいきりのよさもあり、手に入れたものを大切にする努力も怠らなかったのです。そうした男の能力は、環境を変えることでようやく発揮できたのだと思われます。
 やりたいことや適性に悩んでいるひとは、いつもと違うことをしてみると案外そういうものが見つかるかもしれません。



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by tsukasa-kawa | 2017-09-15 17:59 | 日常雑記

9月14日のお話

「これ一休、枯れ木に花を咲かせてみよ」
「花が咲く灰を用意しろや」
 ちょっと一昨日の朝から遠出をしてましてね。昨日の夜に帰ってまいりました。先月に続いて今月も二日空けてしまうとは……。
 さて、軽い小話で二日分のブランクを埋めてみたところで、それでは花咲か爺さん、いってみましょうか。
 昔々あるところに、優しい老夫婦と欲張り老夫婦が住んでおり、優しい老夫婦は白い犬を飼って可愛がっていた……というところから話ははじまります。この二組の老夫婦の行動と結末を、ざっと並べてみましょう。
 
 優しい老夫婦が地面を掘ると大判小判がざっくざく。/欲張り老夫婦が地面を掘るとゴミや割れた食器が出てきた。
(怒った欲張り老夫婦に犬は殺され、優しい老夫婦がその死骸を埋葬して墓代わりに枝を刺すと、その枝が急成長して大木となったので、それで杵と臼を作った)
 優しい老夫婦が米をつくと大判小判がざっくざく。/欲張り老夫婦が米をつくと汚物があふれ出た。
(怒った老夫婦が杵と臼を割って燃やすと、優しい老夫婦は灰だけでもと引き取った)
 優しいお爺さんが灰を撒くと枯れ木に花が咲いた。/欲張りお爺さんが灰を撒いても何も起こらず、大名や家来の目に灰が入って、処罰された。

 優しい老夫婦の行動を見ていくと、地中の財宝を掘り当てたのは犬だとしても、臼から大判小判を出現させ、灰で花を咲かせたのはお爺さんであり、怪しげな術を使ったようにしか見えません。実際、大名はすばらしい灰だ、とは言わずにお爺さんを褒め称えています。
 しかし、欲張り老夫婦はそのように思っていません。彼らは、優しい老夫婦に特別な力がないことをわかっています。それゆえに犬、臼、灰にこそ何らかの力があるのだと考え、愚直なまでに真似を続けたのでしょう。
 ですが、犬、臼と続けて失敗した=優しい老夫婦とは違う結果が出た時点で、自分と彼の違いは何なのか考えるべきでした。優しい老夫婦が使ってこそそれらは力を発揮するのだと気づいていれば、結末はまた違ったものになったでしょう。
 欲張り老夫婦の行動と結果は、臼の一件を除いて現実的です。地面を掘ったらゴミが出てきたというのも、木の上から灰を撒いたら地上にいたひとが迷惑を被ったというのも、当然の結末です。そこに不思議な力は介在しているようで、していません。
 あきらかに特殊な力を発揮している者の真似などするものではないというのが、この物語の伝えたかったことかもしれません。



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by tsukasa-kawa | 2017-09-14 23:53 | 日常雑記

9月11日のお話

 報告がちゃんと伝わっておらず、あとで上司との話に食い違いが起きた、という経験は誰もが持っているのではないかと思います。上司のところを家族や友人、同級生などに置き換えてみてもいいでしょう。○○のつもりで言ったのに、××として受けとられた、なんてことは、仕事によっては日常茶飯事かもしれません。
 さて、浦島太郎です。昔話において、太郎は男性の一般名みたいなものなので、島にある入り江(浦)のそばで生まれ育った太郎さん、ぐらいの意味でしょうか。
 このどこにでもいるような太郎さんが、子供たちにいじめられていた亀を助けたところからお話ははじまります。
 助けてくれたお礼にと、亀は自分の背中に太郎を乗せて竜宮城へ連れていってくれます。
 竜宮城では乙姫が太郎を盛大にもてなしてくれました。その後の顛末については有名なので省いてしまってもいいでしょう。

 恩返し系の物語は、これまでにもいくつか語ってきました。舌切り雀、笠地蔵、鶴の恩返し……。
 それらとこの話の違いは、浦島太郎に恩を返すのが亀ではなく、その主にあたる乙姫である点です。亀は運び手でしかなく、太郎さんが竜宮城で楽しんでいる間も登場することはありません。バージョンによってはこの亀は乙姫が化けた姿である、というものもあるのですが、竜宮城とは文字通り竜が住まう城であり、同じ水神枠であっても竜の娘が亀というのもおかしいので、乙姫と亀は別人ということで話を進めさせてください。
 雀は小判や反物の入ったつづらを用意しました(妖怪入りも用意したけど)。
 地蔵たちは米や魚、小判などを用意しました。
 鶴は売れば大金になる反物を用意しました。
 食べものか現金か、現金になるものなんですよ。地蔵菩薩さえも。地蔵だったら経典や法具の方がキャラに合ってね? 俗物の極みだよね。
 ですが、ごく普通に生活しているお爺さんとお婆さんだったら経典よりも米や金の方がありがたいに決まっています。雀や鶴も、人間の生活を見ていたから、それに合わせたものを用意したのでしょう。彼らの生活や習慣に合わせて「うまそうな虫をほじくりだしてきたで。食べーや」なんてことはしてこなかったのです。

 ここに浦島太郎の悲劇があるように思えます。彼を竜宮城に連れてきた亀は、乙姫にお願いしたのでしょう。
亀 「彼は命の恩人なんです。(彼らの考え方に合わせて)彼が喜ぶようなお礼をしてあげてもらえませんか」
乙姫「そうなのですか。では(私たちの考え方に合わせて)彼が喜ぶようなお礼をするとしましょう」
 こんな感じの会話がかわされていたとしたら。

 さまざまなごちそうや、タイやヒラメの舞い踊りまではよかったでしょう。
 ですが、時間の流れについての理解、処理の仕方の点で、ついに地上と竜宮城で決定的なずれが出てきたのではないかと思われます。
 時間の歪みの帳尻を合わせる玉手箱を渡したのも、竜宮城のやり方だったのではないでしょうか。
 何日も(ものによっては何年も)盛大にもてなし、浦島太郎がそろそろ帰りますと言ったらすがりついて引き留めるほどだったのに、乙姫は玉手箱しか渡しませんでした。ごちそうを振る舞い、踊りを見せたので、土産はそれだけでいいと思ったのでしょうか。それでは昔話として雀以下になりかねません。
 これも、彼女の生活において、恩人への土産に金銀財宝を持たせるという概念がなかっただけなのではないでしょうか。
 このずれを修正できるのは、地上と竜宮城を行き来できて、両方の生活を知っている亀だけだったのでしょう。太郎が地上へ帰るとき、もしかしたら亀はすべてを悟って、半ば諦めていたのかもしれません。



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by tsukasa-kawa | 2017-09-11 21:08 | 日常雑記

9月10日のお話

 1円玉の直径はぴったり2cmです。そして一寸とは3.03cmで、だいたい1円玉1個半ぐらいと思っていただければよいでしょう。
 それが一寸法師の全長です。キン消しかな?
 こんなサイズの赤ん坊では、生まれて0.5秒で窒息というか、そもそも出てこられるのかよという疑問がありますが、シモの話を続けては僕のなけなしの品格に関わってきますので、とにかく無事に生まれてきたんだということにしましょう。それでは一寸法師です。

 子供のない老夫婦がせめて親指ほどの大きさでもいいので子供を、と神仏に祈ったら本当にそのサイズの子供が生まれ、その大きさのまま成長した。
 一寸法師と名づけられたその子は武士になるために京へ行くことにし、お椀の舟で川を下る。
 京に着くと、とりあえず偉いひとの家へ仕官に行き、働かせてもらうことになる。
 その家の娘と宮参りに行った際、娘をさらおうとして現れた鬼と戦い、やっつけて打ち出の小槌を手に入れる。それによって人並みの大きさになり、さらに打ち出の小槌から財宝も手に入れて末代まで栄えた。めでたしめでたし。

 すげえな打ち出の小槌。わざわざさらおうとしなくても「人間の絶世の美女出てこーい」って言ってこいつをガンガン振ったら出てくるんじゃないの。SSR出ませーい出ませーい(ネットでかじった言葉です)。

「一寸法師」にもいろいろバージョンはありまして、一寸法師が寝ている娘の口に米だかあんこだかを塗りたくり「俺の飯を食われた」などと濡れ衣を着せて仕官先の家から好条件を引きだすというナニワ金融道か極悪がんぼに出てきそうなものもありますが、その後、別に悪知恵で鬼を追い払うわけでなし、上記のような感じで、勇敢で冒険心にあふれた若者ということでいきましょう。アリエッティだってヤカンで川を旅したのにこいつはお椀ですからね。

 さて、そんな一寸法師と対峙した鬼はどう思ったでしょうか。キン消しですからね、大きさ。針を持っているとはいえ、舐めてかかるのも仕方ないかもしれません。そんな一寸法師を、鬼は一呑みにしてしまいます。過失があったとすれば、針ごと呑みこんでしまったことでしょうか。
 鬼の胃袋が人間と同じ構造なら噴門が閉じてしまうので、一寸法師は誕生以来の窒息の危機に見舞われ、暴れるどころではないと思うのですが、胃袋の構造が違うのか、一寸法師は酸素を必要としないのか、彼は胃袋を内側からめった刺しにして鬼を痛めつけ、追い払います。
 ここで鬼は打ち出の小槌を落としていきました。これを使えば逃げる必要などはなく、逆転の道はいくらでもあったはずでした。胃袋の中に何かを入れて一寸法師を苦しめるとか、一寸法師が口から飛び出た後に虫を出して襲わせるとか、手はあったのです。
 ですが、鬼はそういった行動を取りませんでした。使うそぶりさえ見せなかったあたり、もしかしたら打ち出の小槌を使いこなせなかったのかもしれません。
 このお話に教訓があるとすれば、己の武器を上手く使えない者が負けるというところでしょうか。一寸法師の武器である小ささを、鬼は何らかの手段で無力化するべきだったのです。鬼の武器である巨体も何もかも、胃袋の中に逃げこまれることで無力化されたのですから。



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by tsukasa-kawa | 2017-09-10 23:59 | 日常雑記

9月9日のお話

 月には現代文明をはるかにしのぐ超文明があったんじゃー!
 そんなMMR(マガジン・ミステリー・ルポルタージュ)に出てきそうな妄言を吐いたところでかぐや姫です。MMRみたいな漫画っていまでもどこかで連載しているのかな。
 話を戻しましょう。正式名称は竹取物語。日本最古の物語といわれています。ちょっとまたあらすじにつきあってくださいな。

 昔々あるところに、竹を取っては様々な用途に使って暮らしていたお爺さんとお婆さんがいた。
 ある日、お爺さんが竹を取りに出かけると、金色に輝く竹があった。切ってみると、その中には女の子がいた。
 子供のいないお爺さんは女の子を抱いて帰り、自分たちの子として慈しんで育てた。女の子はすくすく大きくなり、美しく育った。また、お爺さんはその後、竹藪で金の詰まった竹を見つけるようになり、大金持ちになった。
 女の子の美しさは評判となって、貴賤を問わず多くの男たちが彼女の顔を見ようと訪れ、求婚する者も現れた。
 多くの者が諦めていく中で、五人の公達(ようするに上流貴族と思われたし)が残った。
 かぐや姫は、この五人に条件を出し、彼らはことごとく失敗した。死人も出た。
 やがてかぐや姫の噂は帝の耳にも入り、帝は彼女に会いたがった。かぐや姫は最初のうち会おうともしなかったが、いろいろあって、どうにか和歌のやりとりぐらいはできるようになるまで進展した。そのころから、かぐや姫は物憂げに月を見るようになった。
 かぐや姫は自分が月の者であることを明かし、遠からぬうちに迎えが来ると言った。お爺さんは驚いて帝に相談し、帝は多数の兵で月の使者を迎え撃とうとしたが何もできず、かぐや姫は帝に贈り物をして月へと帰っていった。 

 地上人の視点で見ると見事なバッドエンドです。
 お爺さんとお婆さんや帝は言わずもがなですが、五人の公達ね。特別な存在から、おまえちょっと遠くへ行ってあれ取ってこい的な試練を課せられる話は神話なども含め、古今東西で多数あります。日本だと神話になりますが、大国主命が素戔嗚尊の課した試練をくぐり抜けて須勢理毘売命と結ばれる話があり、外国産だと神託によって十の試練を課せられたヘラクレスが有名でしょうか。この公達たちも状況は似たようなものです。
 かぐや姫は、仏の御石の鉢だの蓬莱の玉の枝だのを彼らに要求しました。求婚を断るために無理難題をふっかけたと見ることもできますが、一度騙されかけているところからもわかるように、彼女は現物を知りません。試練を達成するチャンスは、たしかにあったのです。
「かぐや姫」を特別な存在が試練を課す物語として見た場合、試練を達成する=かぐや姫を納得させる=英雄になれる者を求めていたと考えることもできます。
 ですが、彼らは英雄になれなかったのです。知恵においても、力においても、運においても。

 かぐや姫のキャラクターについて、ちょっと考えてみましょう。なんでこの子は竹を光らせてまでその中にいたのか。かぐや姫を迎えに来た月の使者は、お爺さんに向かってこんなようなことを言います。
「お爺さんが善いことをしたので、助けるために片時の間、姫を遣わして、黄金を儲けさせるようにした。姫の罪も消えたので、迎えに来た」
 作中では説明されませんが、かぐや姫には何らかの罪があり、またこれも作中では説明されませんが、お爺さんは何か善いことをしたようです。地上にいる一介の竹取り暮らしのお爺さんの行動を、なぜ月の住人がウォッチャーしていたのかは不明ですが、そういうこともあるのでしょう。
 そして、月の住人はかぐや姫を竹の中に放りこんでお爺さんに拾わせ、その後も竹を通して黄金を与えていたようです。かぐや姫を選んだ理由は、前述したように罪があるから。月の使者は、地上を穢れたところだとも言っているので、かぐや姫にとって地上での暮らし=罪の償いであったようです。

 ただ、これは解釈の仕方によりますが、かぐや姫の犯した罪というのは、情状酌量の余地があるものだったのでしょう。だからこそ、善行を為した、すなわち善人であろう老人のもとに、黄金といっしょに預けたのだと思われます。地上の住人をウォッチャーしていたのも、預けるのによさげな家をさがしていたのかもしれません。いちいち竹に詰めるんじゃなくてじかに家に送れやと思わないでもないですが、月の担当者が竹に思い入れがあったのでしょう、たぶん。
 罪の償いとして地上で暮らしながら、かぐや姫は何を思っていたのか。壁に正の字を刻みながら「あと何年かすれば迎えが来るはずや」と思っていたのでしょうか。自分が月の住人であることをお爺さんとお婆さんに明かしたとき、彼女は「別れが辛い」と語るのですが、長い年月を地上で過ごすうちに情が移ったのでしょうか。

 月の住人であるかぐや姫は、月の国の力を知っていました。竹まわりの諸々もそうですが、帝が用意した一千の兵を、彼らは不思議な力で無力化できるのです。他の昔話と比較しても、神や仏に相当する力を持っています。彼らが迎えに来ればどうにもならないことを、かぐや姫は悟っていたでしょう。
 月の国に対抗できる存在がいるとすれば、それはまさに神や仏に相当する英雄に違いありません。
 そう考えて、かぐや姫は英雄を求めたのではないでしょうか。
 しかし、英雄になれた者はいませんでした。
 頂点に立つ存在である帝さえ、最後は何もできませんでした。
 かぐや姫は、英雄がついに現れなかったという物語なのかもしれません。



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by tsukasa-kawa | 2017-09-09 18:25 | 日常雑記