一〇八(仮)

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ライトノベル作家川口士のブログです。「魔弾の王と戦姫」18巻、それから片桐雛太さんの魔弾画集、11月25日発売です。よろしくお願いします。

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11月9日のお話

 拍手レス
>最初期の赤ずきんは猟師が出て来ず狼が赤ずきんを食って終わりらしいですね
>これだとお話としては赤ずきんとお婆さんがヤバい怪物に遭って食われて死にましたとかいうなんの面白みもない話に…
>お話としての面白みの為にはヤバい怪物を銃という力でねじ伏せる猟師は必要だったのでしょうね。やはりこの世は力が最後に物を言う…!

 赤ずきんにブローニング銃を持たせたジェームズ・サーバーは正しかった!?
 おそらく最初期は、不用意に森に踏みこんではいけないという教訓を持った物語だったのでしょうね、赤ずきんは。ちょっと物語性を持たせようとして狼に知性と力を与えてしまったらバランスが大変なことに……。あるいは、寝こんでいたお婆さんが、元気だったら実はめっちゃ強いとかそんな語り継がれなかった設定があるのかもしれません。

 ところで、ニュースを見ていたら来週からは一気に真冬なみの寒さになるとかいわれて今から鬱々ですよ。まだ僕はスポーツにも芸術にも親しんでいないのに。あ、食欲についてはお肉を食べるなどしているので割と堅調です。
 天気についてさらっと流したところで、10月の宿題をまたひとつかたづけるとしましょうか。イソップから「ろばを売りに行く親子」です。
 タイトルだけでは首をかしげるかもしれませんが、話を聞いてみたら、聞いたことがあるという方もいるかもしれませんね。ざっとこんな感じです。

 昔々、父親と息子がろばを売りに行くことにした。
 二人でろばを引いて歩いていると、通りすがりのひとから「ろばに乗りもせず、歩いているなんてもったいない」と言われた。
 それもそうだと思い、父親は息子をろばに乗せたが、通りすがりのひとから「元気な若者が楽をして、父親が歩くなんて」と言われた。
 それもそうだと思い、父親がろばに乗ったが、通りすがりのひとから「子供を歩かせて自分が楽をするとはひどい父親だ」と言われた。
 それもそうだと思い、今度は二人でろばに乗ったが、通りすがりのひとから「二人も乗るなんてろばが可哀想だ。楽に運んでやればいい」と言われた。
 それもそうだと思い、二人はろばの脚を棒にくくりつけてひっくり返し、二人で棒を担いで運ぼうとした。ろばは暴れて川に落ち、死んでしまった。

 正解はひとつ!じゃない!!
 この親子は途中でぶち切れてもよかったんじゃないかな。余計なお世話じゃけえ!とか何とか言って。
 興味深いのは、通りすがりのひとたちの意見は、最後のものを除けば間違ったものではない、というところでしょうか。そして、このような、複数の正解が用意されているものというのは世の中にけっこうあると思います。もちろん、正解がひとつだけという問題もあるでしょうが。

 あえて教訓を求めるとすれば、自分の意志、考えをはっきり持っておくということになるでしょうか。
 ひとの意見を聞き入れることは大切ですし、それについてはこの親子の態度は美点といっていいでしょう。最後の意見についても、まあ意見そのものに問題はなかったと思いますし。
 ただ、この親子はろばを売りに行くわけです。できれば高値で売りたいわけです。たぶん。
 それには、ろばをあまり疲れさせないで市場で元気に見せるか。ひとを振り落とさないろばだとアピールするためにどちらかが乗るか。あるいは、あえて二人で乗っていき、ろばの頑丈さを見せつけるか。いろいろ考えられると思います。それについて決めていれば、取り入れる意見とそうでない意見をわけることができたのではないでしょうか。

 何を目的とするか。そのために何を優先すべきか。僕もそうですが、ひとはあらゆる場面で迷いがちです。有用な意見があれば、それをどんどん取り入れてしまいたくなります。取り巻く状況も刻一刻と変わりますからね。正解はまだまだいっぱいあって、それらを解き明かすために冒険も必要になるでしょう。
 ただ、それによって当初の目的から外れては、多くの場合ろくな結果になりません。
 そういったことを、このお話は伝えたかったのかもしれません。
 まあ正解はひとつじゃないだろうけれどね。



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# by tsukasa-kawa | 2017-11-09 23:59 | 日常雑記

11月8日のお話

 ネーズーミーが出たぞー!
 ネズミの脅威といったら、さいとうたかおのサバイバルがやはり群を抜いて上手いというか恐ろしく描いていると思うんですよ。食糧を食い荒らし、相棒のフクロウを叩き潰し、昼夜かまわず少年を脅かすネズミの大群。結局、少年はねぐらを放棄するしかありませんでした。まあ対処しようがねえっすよアレ。現代でもネズミっておっかないし。二次元でも別の意味でおっかないし。そりゃあ二十二世紀の猫型ロボットも地球破壊爆弾を持ちだすってもんですよ。ドラえもんは おどろいて からだが まひした!

 まあネズミについて話すのはこれぐらいにしておいて「ハーメルンの笛吹き」です。
 有名な話なのでみなさんご存じだと思いますが、ドイツはハーメルンの町にネズミが大繁殖し、にっちもさっちもいかなくなっているところへひとりの笛吹きが現れ、謝礼をくれるならと人々と契約し、笛でネズミの群れを誘導して川へどぼん。しかし町の人々はネズミの脅威がなくなったら契約を忘れて出てけ出てけの大合唱。笛吹きが再び笛を吹くと、今度は町の子供たちが笛吹きに誘導され、彼とともに町を去ったとさ。とっぴんぱらりのぷぅ。と、そんなお話ですね。

 笛吹きに連れ去られた子供たちの行方はわかりません。町の外にある洞穴へみんな入っていき、その洞穴は内側から閉ざされ、誰も二度と戻ってくるとはなかった、とも、一人か二人だけが帰ってきて、この話を語り継いだともいわれています。
 なぜ、笛吹きは子供たちを連れ去ったのか。
 話を見るだけならば、町の人々が約束を守らなかったため、報復として連れ去ったのでしょう。まして町の未来を担う者たちをがばっと(といっても130人らしいので根こそぎというほどではないと思うけども)連れ去ってしまえば、町の衰退は避けられません。生まれたばかりの子供がそこそこ大きくなるのに10年、そこから町を支えるひとりの若者として成長するまでにさらに5~10年と考えると、おっそろしい話です。

 子供たちが連れ去られた、ということについてはさまざまな説があります。東方への移民団に参加した、十字軍に参加した、流行病(ネズミと絡めてペストを示していると思われる)で亡くなったのを、笛吹きを死に神になぞらえてこう表現した、などなど。
 さまざまなバージョンの旅立った説についてですが、ハーメルンの子供たち、というのは江戸の町人を江戸っ子と呼ぶような比喩表現であって、実際は青年に相当する男女が新天地なり冒険なりに賭けたんじゃないの、という考えのようです。

 とはいえ、それならどうしてそう語り継がれなかったのか、というのが不思議ではあります。すごい笛吹きに誘われて、子供たちが夢と希望を抱いて東へ旅立った……という話にすることに、何か不都合でもあったのでしょうか。子供たちを売買(児童を奴隷として売り買いするのは、当時では割とあることだった)したのだとしても、何百年後かに書き綴るならともかく、隠すようなことではないはずです。

 流行病の婉曲的な言い回しでない場合。
 この記録を残した者にとって、子供たちは笛吹きによって連れ去られたのでなければいけなかったと、そう考えることはできないでしょうか。
 たとえば、と想像をふくらませてみます。町にとって不名誉なことは、子供たちが大人に愛想を尽かすことでしょう。大人たちはネズミをろくすっぽ退治できず、笛吹きとの約束も守らないという二重の醜態を見せました。子供たちは、この町に、あるいは自分たちに未来がないことを漠然と感じとったのかもしれません。
 一方で、子供たちから見れば笛吹きはヒーローです。大人たちが手をこまねいていたネズミを、たやすく一掃したのですから。頼もしく見えたのではないでしょうか。町を捨ててついていくと決意した可能性はあります。まあ、ネズミが一掃されても、それだけネズミがはびこった=衛生環境的にアレな町ってのは変わってないでしょうからね……。もちろん、子供たちに見限られた、なんて記録に残すのはつらい、それなら連れ去られた、と書いた方がいい。
 先に書いた通り、想像です。ですが、もしかしたら、ハーメルンの笛吹きはそういうお話だったのかもしれません。



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# by tsukasa-kawa | 2017-11-08 23:58 | 日常雑記

新刊告知・他

 やっほい、十何日かぶりー!(いけしゃあしゃあと
 原稿とかあってしばらく更新を中断していましたが、その間に見に来てくださった方はごめんなさい。10月分を残しまくっている間に11月も一週目が終わってしまっていて愕然としていますが、ぼちぼち再開します。
 まずは新刊のご紹介をさせてください。
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 お待たせしました。拙著「魔弾の王と戦姫」18巻。今月25日(土)発売となります。最終巻です。
 2011年4月に1巻を出したときは、ここまで長く続くシリーズになるとは思っていませんでした(そもそもシリーズになるかどうかさえわからなかったので1巻に1ってついてないし)。最後まで書ききることができたのも、みなさんの応援のおかげです。本当にありがとうございます。
 語りたいことはたくさんあるのですが、それは発売後にとっておくとして、もうひとつご紹介を。
『魔弾』の9巻からイラストを手がけてくださった片桐雛太さんの画集が同じく25日に発売します。
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 文庫に収録されていたイラスト群はもちろん、書き下ろしやイベント冊子に描いていただいたイラストなども収録されています。詳細はこちらを。
 原作者というおいしい立場から、すでに中を見せてもらっていますが、片桐さんのコメントもあり、見応えのある一冊に仕上がっていると思います。ちなみに、短編小説を一本、寄稿させていただいています。本編の後日談となるものですね。興味を持たれたらぜひ。

 さて、紹介を終えたところで、ペローまたはグリムより『青ひげ』です。
 三人の兄を持つ娘が「青ひげ」と呼ばれる大金持ちの男に求婚されるところから物語ははじまります。青ひげには、妻にした女性がたびたび行方不明になっているというあからさまにいやな噂があるのですが、彼の熱意に根負けして、娘の父は求婚を承諾してしまうのですね。
 青ひげが大金持ちであるのは本当で、新婚生活は不自由なく順調だったのですが、ある日、青ひげが「何日か留守にするので鍵を預ける。屋敷の中であればどこを見てもいい。ただし、ある部屋だけは開けてはいけない」と言って出かけるのです。
 もちろん娘は好奇心に負けてその部屋を見てしまうのですが、部屋の中には青ひげの妻だった女性の死体があったのです。驚いた拍子に娘は鍵を落としてしまい、鍵には死体の血がついて洗っても落とせず、その血がもとで、帰ってきた青ひげに言いつけを破ったことを見抜かれ、あわや殺されかけるのですが、そこへ駆けつけた兄たちに助けられ、青ひげは死亡し、娘は助かるのでした……。

 好奇心に負けてえらい目にあうという話は、古くからいろいろなものがあります。日本昔話ですと鶴の恩返しなどがそうですね。
「青ひげ」もそれらに漏れず、娘に対してあからさまに好奇心を煽っています。鍵を渡し、見てはいけないと言い、留守にする。鍵を渡されなければ、あるいは見るなと言われなければ、娘はそれほど気にしなかったのではないでしょうか。
 もっとも、これについては「娘が自分の言いつけを守ってくれるか見極めようとした」と見るか「言いつけを破ると見込んで積極的にお膳立てをした」と見るかで見方は変わってくると思います。金持ちは疑い深いから試したがるんですよねえ(思いこみです。
 それにしても不可解なのは娘の行動です。先妻(ということでいいんでしょう)の死体が見つかった時点で、もうなりふりかまわず逃げていいところですよ、この屋敷。季節とか先妻が行方不明になった時期とか書かれてないけど、新婚生活期間も考えればあきらかに腐ってるじゃん。ぶっちゃけ部屋を開けなくても腐敗臭でなんとなくわかりそうじゃない。部屋中に備長炭スメルの脱臭剤でもまかれていたんでしょうか。
 その点を考えると、好奇心に負けるとえらい目にあう、のではなく、危険を承知していながらぐずぐずしているとえらい目にあう、という、別の意味で現実的な教訓を、このお話は伝えている気がします。



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# by tsukasa-kawa | 2017-11-07 23:59 | 新刊紹介

新刊紹介・他

 東京も明日ぐらいまでは暖かいようですが、週末はまた台風のおかげで雨になりそうですね。僕はすでに風邪をひいていますが、皆様はお気をつけください。
 ところで、昨日はMF文庫Jの発売日なのでした。
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細音啓   なぜ僕の世界を誰も覚えていないのか?2

 改変された世界にただひとり置き去りとなったカイの冒険の物語。順調に2巻目です。興味を持たれたら是非。

 さて、落とし物を拾ってもらった、というぐらいの経験は誰にでもあると思います。交番に届けられるものだと、財布や携帯電話、傘、鍵などが多いそうですが、このあたりが落としやすいものなのでしょう。僕も、いつだったか駅を歩いていたとき、財布を落としたひとを見て、拾って渡したことがあります。
 あなたが財布を落とし、誰かに拾ってもらったとして。
「あなたが落としたのはこの(何かすごいブランドものの)財布ですか?」とか聞かれたら、どう思いますか。僕なら逃げるね、うん。何かたくらんでそうなんだもの。
 という前振りをしたところで「金の斧と銀の斧」です。有名なのであらすじは割愛しますが、まあ正直者が報われて、嘘つきは痛い目を見るという話らしいです。
 しかし、いくら神(原典だとヘルメス神)とはいえ、とりあえず欲を煽って誠実さを試そうというのはいかがなものでしょうか。まあギリシャ神話の神様って割とそんなのばっかだけど。それに、斧が落ちる過程については考慮されていないのも気になります。
 うっかり落とそうが、わざと落とそうが、神様は出てくるのです。つまり、神に対して敬意を抱いていようと、そうでなかろうと、そのときだけ誠実でさえあればよいのだ、ということになりかねません。まあその方がギリシャ神話らしいけど。
 だとすると、世の中には理不尽にひとの欲望を煽る何かがいるのだ、ということも、この物語の伝えたいことかもしれません。


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# by tsukasa-kawa | 2017-10-26 23:59 | 新刊紹介

10月25日のお話

 学校から出た課題を、家族の方にやってもらったことはありますか?
 たとえば自由工作とかいわれるアレ。ちょっと暇な時間のできたママが「よーし、息子のためにがんばっちゃうぞー」とか妙に張り切っちゃって帆船模型とか作ってくれちゃって旗をコーヒー豆で染めるみたいなテクニックを披露して、いらないよとも言えないので学校に持っていったら、先生から「おまえにできるわけないだろう」と当然のように看破される……。そんな体験をしたことはありますか? 僕はありません。
 もっとも、これが受け入れられてしまっても、あとがつらい。ある日突然「おまえ、できたでしょ。やってよ」と言われると、立ち往生するしかありません。そのときにはママは忙しいか、当時の熱を失っているからです。
 当事者に近しい技術がなければ、どこかで破綻してしまうのです。

 さて、ここんとこさぼりがちになって申し訳ないですが、お仕事などあるのでできればご容赦ください。前にも言いましたが、来月本が出ます。いずれちゃんと宣伝します。その折にはよろしくお願いします。

 淡々と宣伝したところで「靴屋の小人」です。腕はいいけど貧しい靴屋が、最後の一足を作ろうとして準備をすませて寝たところ、起きたときには見事な靴ができていた、しかもそれはその日に高値で売れたという、夢の詰まった話です。誰もが一度は「俺が寝ている間に小人が何とかしてくれないか」と思ったことがあるのではないでしょうか。
 この靴屋は、もともと高い技術の持ち主だと書かれています。バージョンによっては、いいものを作るけど、流行りをつかめなかったので売れなかったとも。それゆえに、小人がいなくなったあとも商売を続けることができたと。もしも靴屋に技術がなければ、小人がいなくなったときに破綻していたでしょう。
 しかし、このことから伝わるのは、いいものであっても、必ずしも売れるわけではないという、あまりありがたくない事実です。どこかで知られなくては、商売は成り立たない。いい靴を作ったことよりも、客が来るようにしたことこそ、小人の成果かもしれません。

 靴屋は裕福に暮らしたと伝えられています。しかし、小人の靴で人気を得た以上、彼は少なくとも、それに劣らないものを作り続けなければならなくなったのではないでしょうか。質の上でも、デザインでも。ちょっとでも手を抜けば、腕が落ちたといわれてしまいます。よい技術を持っている靴屋に、それは耐えられることでしょうか。靴屋自身の話は、ここからが本番になるのでしょう。結末はそれでよいとしても。 


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# by tsukasa-kawa | 2017-10-25 23:59 | 日常雑記