一〇八(仮)

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ライトノベル作家川口士のブログです

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9月26日のお話・2

 ひとりならぬ魔術師が、石臼の無慈悲な挽き音によって狂気に追いやられた。   『石臼』

 自分のペースで対戦相手のフレンズの手札をゴリゴリ削る! すごーい! たのしー! 僕は1枚しか持っていなかったので、もっぱらやられる方でしたけどね。ええ、MTG(マジック・ザ・ギャザリング)の話です。僕がMTGをやっていたのは第4版から第8版ぐらいまでだったかな。神河のときはもう完全に離れてたから……。
 話を戻しましょう。「塩吹き臼」です。他に「海の底の臼」「海の水はなぜ塩辛いか」などという題名で呼ばれることもありますね。MTGの石臼とは正反対の、ものを生みだす石臼の話です。

 昔々、あるところに百姓の兄弟がいた。弟は貧しく、年越しのために兄のもとへ米を借りに行くが、けんもほろろに追い返される。
 その帰りに弟はひとりの老人に出会い、親切にすると麦饅頭をもらう。そして、弟は老人に言われた通り森に行って小人に会い、麦饅頭と石臼を取り替えてもらう。
 弟は老人に使い方を教えてもらい、家に帰って石臼を回す。石臼からは「出ろ」と念じたものが米でも金でも服でも何でも出てくる。
 弟は妻とともに幸せな新年を迎え、多くのひとを呼ぶ。その席に呼ばれた兄は、弟の石臼に気づき、こっそり盗んで海へと逃げる。
 兄はまず石臼から菓子を出して食べ、それから塩がほしくなったので塩を出す。ところが止め方を知らなかったため、あふれた塩が小舟ごと兄を沈めてしまう。
 石臼も海の底に沈み、壊れる瞬間まで塩を出し続けた。それによって海の水は塩辛くなった。

 このお話は、北欧に原型と思われる民話がありまして、そのあたりから伝わり、アレンジされて今日に至るのではないかと。麦饅頭というのは、おそらくパンのことですね。小人というのも日本昔話では珍しい部類なのですが、それなら納得もできます。
 アレンジが容易だったのは、話の筋立てがわかりやすかったためでしょうか。欲張りな人間が不思議なものを手に入れて、使い方を誤り、痛い目に遭う。これまでに語ってきた中では「花咲か爺さん」の欲張り老夫婦がよく似た例ですね。
 そう、問題は使い方なのです。このお話も、バージョンによっては欲張りな兄と欲のない弟、のような性格上の対比がなされているものがあるのですが、兄は欲をかいたために破滅したのでしょうか。もとをただせば、という言葉をつければ、その解釈も成立するでしょう。
 兄が破滅したのは、石臼の使い方を知らなかったからです。「花咲か爺さん」の欲張り老夫婦が犬に嫌われたように。もしも兄が石臼を使いこなしていれば、別の国に渡って悠々自適の生活を送ったでしょう。

 目先の欲にかられた者は、視野が狭くなり、判断力が雑になりがちです。正しい使い方を知ろうとせず、考えようともせず、自分で乗りだし、結局はただの真似だけをして見事に失敗する。このお話の場合、長期的に利益を得ようと思えば、兄は弟に頭を下げてでも石臼の正しい使い方を教えてもらい、可能ならば弟に石臼を使わせ続けるべきだったのでしょう。自分で使うよりも確実ですから。

 欲は、社会を形成した生き物にとってもはや欠くことはできないものです。欲を捨てよという神仏の教えも、死後に救われたいという欲だけは決して捨てさせません。天国を伝え、極楽を伝え、死後の安寧を伝え、子孫の繁栄を伝えます。欲を否定することはできず、コントロールすることもまた難しい。
 ならば、欲に駆られてもなお、視野を広く持とうと努め、道具ならば、どのように使えばもっともよい結果を生むのか、考え続けるしかないのでしょう。ひとつ間違えれば、環境さえも一変してしまうことがあるのですから。 


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# by tsukasa-kawa | 2017-09-26 23:48 | 日常雑記

9月26日のお話

 うさぎは寂しいと死んじゃうのよー。嘘です。
 世間は嘘ばっか! 知らず知らず、今を生きる僕たちのまわりには嘘があふれていて息が詰まりそうだ。なんて、ポエムのワンフレーズでも口ずさんでしまいそうですよ。
 ものの本によると、ペットとして飼っているうさぎを長期間放っておくと、放っておかれる→環境の変化(それまでかまってもらっていたのに、それが急になくなった)→ストレス→死、もしくは長期間放っておく→常に何か食べていないと胃腸の動きが停滞する→死、というプロセスらしく、おまえどれだけ打たれ弱いんだよという気になるのですが、うさぎを人間の基準で考えてはならんということでしょう。

 さて、今夜のお題は「因幡の白兎」です。もとは古事記に載っていた大国主命の逸話のひとつですが、いつしか昔話のひとつとして独立して知られるようになりました。昔話には、案外こういう例はあるんですね。たとえば「わらしべ長者」は今昔物語集に原話とおぼしきものが見られますし、「姥捨て山」も枕草子の中に記述が見られます。まあ能書きはこのぐらいにして、ざっとお話を見ていきましょうか。

 一匹の兎が、海を渡って島へ行こうと考え、海岸からサメに呼びかける。「自分たちとあなたたちと、どちらの同族がより多いのかくらべよう。できるかぎり同族を集めて、ここからまっすぐ並んでみてくれないか」
 サメは兎の話に乗って、同族を集めて海面にずらっと並ぶ。兎はサメを数えるふりをして目的の島へ渡るが、島に着く直前に「もとよりくらべるつもりはない。海を渡るためにおまえたちを騙したのだ」と、暴露する。
 兎はサメに毛皮をはぎとられて、地面に転がされる。
 そこに旅人が来て、海水で身体を洗って風で乾かせと教える。その言葉に白兎は従うが、身体の痛みはひどくなるばかり。
 そこに別の旅人が来て、川の真水で身体を洗い、蒲の穂綿にくるまって休めばよくなると教える。その言葉に従うと、白兎は回復した。

 騙される方が悪いんだよバァァカ!(堺雅人の顔と声で)
 兎はまずサメを騙したあとにボロを出して痛い目を見たあと、騙されてさらに痛い目を見ます。こう言ってはなんですがドジっ子です。おっちょこちょいです。デスノートを持たせたら相手の名前を書きこみ終わる前に僕がキラだぴょーんとか言いそうな危うさです。騙されたときは満身創痍だった点を割り引いて考えるとしても、サメにぼこぼこにされるのはさすがにいただけない。
 兎がどうすればよかったのかを論じるのは、不毛でしょう。少なくとも、安全な場所を確保してから事実を告げればよかったのですから。
 もっとも、これほどひどい失敗ならば「嘘をつくのはよくない」と思うひとは意外にいないかもしれません。それ以上に「下手なことしたなあ」という印象が強いからです。もっと上手くやれば、と思うひとはいるのではないでしょうか。
 嘘をつくのは、基本的にはよくないことでしょう。肯定できる嘘は非常に少ない。嘘をつかずにすむ人生を送れるのなら、それはとてもすばらしい。
 ですが、これは嘘をついた方がいい、本当のことを言わない方がいい、という状況に遭遇したことはないでしょうか。また、変則的ながら、嘘をついたことで罪悪感を抱いたり、嘘によって失敗や屈辱的な体験をしたりして、それが成長の糧になったことは。
 嘘や詐欺師に関するエピソードは、紀元前からいくらでもあります。二千年以上前から、人間は嘘と隣り合わせで生きてきたのです。重ねて言いますが、肯定できる嘘は少ない。嘘をつかれて気分のいいひとはいないでしょう。サメや、また白兎のように。
 しかし、嘘と隣り合わせで生きる以上、上手な嘘のつきかたや、嘘の見抜き方は、どこかで多少なりとも学ぶ必要があるのでしょう。やはり、相手に気づかせない嘘こそが最上でしょうか。嘘だけど。



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# by tsukasa-kawa | 2017-09-26 00:48 | 日常雑記

9月24日のお話

 倒産した会社の社長室に入ってみたら、商売繁盛と書かれたおふだが何枚も貼られているたぬきの置物があった……。
 そんな経験はありますか? 僕はありません。幸い。
 九月も終わりに向かいつつあり、ようやく涼しくなってきたと思える今日このごろ、いかがお過ごしでしょうか。それでは「三枚のお札」いってみましょう。おふだ、です。英語でいうならAmulet。ディアブロやスカイリムのユーザーならおなじみですね。おさつ、ではありません。

 昔々ある山寺に、和尚と小坊主が住んでいた。ある日、山の中へ山菜を採りに行く小坊主に、和尚は山姥に気をつけるようにと言って三枚のお札を渡す。
 小坊主はたっぷり山菜を採ったが、いつのまにか日が暮れていた。途方に暮れた小坊主の前に老婆が現れ、家に泊めてくれる。
 夜中に目が覚めた小坊主は、老婆が山姥の本性を現して包丁を研いでいるところを見てしまう。逃げようとしたが見つかってしまい「便所に行きたい」とごまかす。
 山姥は便所の外で待つ。小坊主は一枚の札を便所の壁に貼り「自分の代わりに返事をしてくれ」と頼んで窓から逃げる。
 山姥は便所の外から何度か呼びかけ、札が返事をしていることに気づかず、我慢できなくなって便所に踏みこんでから小坊主が逃げたことを知る。
 山姥はおそろしい速さで小坊主を追いかけ、あっという間に追いつく。小坊主は「川の水、出ろ」と二枚目の札に念じる。すると水が湧きだして洪水が起こる。
 しかし、山姥は川の水をすべて飲み干してしまう。小坊主は「火よ、出ろ」と三枚目の札に念じて業火を出現させるが、山姥は飲んだ水を吐きだして炎を消す。
 ともかく時間を稼ぐことはできたので、小坊主は山寺に逃げきった。和尚が山姥と対面し、言葉巧みにだまして撃退する。
 
 話を聞いてみたら、案外どこかで聞いたことがあるのではないでしょうか。
 しかしもっとさー、おふだの使い方があるんじゃないのぉー? スーパーピンチクラッシャーを呼びだすとかさぁー。
 山姥をだますほどの同じ声を出す、洪水を起こす、火を生みだす。バージョンによっては砂山を出現させることもできるようで、使用者次第でいくらでも化けそうです。GS美神の文殊を思いだしますね。
 この三枚のお札で、どう山姥と渡りあうべきだったでしょうか。生半可な火や水では通じないことは小坊主が実証ずみです。
 山寺に帰りたい、で一枚使い、残り二枚を好きなように使うのが正解な気がします。ほら、和尚さまはめっちゃ強いから。銀英伝を見ればロイエンタールだって、ラインハルトにメルカッツの相手をお願いしたことがあったしね。強敵にはそれに勝てるひとをあてればいいんですよ。
 それにしても、これだけ強力なお札をぽんと三枚も渡せる和尚はただものではありません。熟練者とはかくあるべし、というのがこのお話の主題でしょうか。



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# by tsukasa-kawa | 2017-09-24 23:31 | 日常雑記

9月23日のお話

 転がったおむすびを追っていった先にあったのは地下帝国ネズミーランドでしたー!
 短くまとめてしまうと、だいたいこんな感じのお話なのが「おむすびころりん」です。それにしても雀といい、ねずみといい、害獣であるほど昔話の中では恩義に厚いのはどうしたことでしょうか。おそらく、身近すぎる生物だったからだと思われますが。
 あらためて、物語の流れをざっと追っていきましょうか。とはいえ、有名なものだけあってバージョンが極端に違うのですけれどね。

 山で仕事をしていたお爺さんが、昼時になっておむすびを食べようとするが、誤って地面に落としてしまう。
 おむすびは斜面を転がって、木の根元にある大きな穴に落ちる。すると「おむすびころりん、すっとんとん」という歌声が聞こえる。
 不思議に思って穴を覗きこんだお爺さんは、うっかり落ちてしまう。穴の中にはねずみたちがいて、おむすびのお礼に財宝をくれる。
 帰ってきたお爺さんから話を聞いた近所の欲張りお爺さんは、大量のおむすびを持って山に行き、おむすびを残らず穴に投げこんでから、自分も飛びこむ。
 欲張りお爺さんはねずみを威嚇して財宝を出させようとするが、怒ったねずみに逆襲され、大怪我を負って逃げ帰る。

 欲張りお爺さんが破傷風で息を引き取る未来しか見えないのがつらいところです。
 バージョンによっては、ねずみはお爺さんに歓迎の宴を開いた上で、二種類のつづらを選ばせるという舌切り雀みたいな流れとか、欲張りお爺さんが出てくるくだりは全面カットとか、いろいろあるのですが、上記の話をベースにするとしましょう。
 そもそも、おむすびってそんなに転がるんでしょうか。地面に落ちれば土がつくし、傾斜があってもでこぼこしているし、小石や木の根だってあるでしょう。偶然を装ったように見せかけて、ねずみたちはお爺さんを穴の中に導いたのではないでしょうか。おむすびを失ったお爺さんの反応を見るために。
 穴の中の世界の広さを考えても、この山はねずみのテリトリーです。山ひとつ丸ごととまではいわないまでも、かなりの部分をおさえていると考えていいでしょう。そして、お爺さんはそこに踏みこんできた侵入者ということになります。
 もっとも、お爺さんはおそらく山で長いこと仕事を続けてきたのでしょうし、この段階でねずみが接触してきたと考えると、お爺さんが山の中で仕事場を変えたか、ねずみが徐々に領域を広げてきたか、というあたりだと思われます。ともかく、二人のテリトリーが重なってしまった。そこで、ねずみはお爺さんと共存関係が望めるか、試したのではないでしょうか。
 さらに想像をふくらませるならば、こうしたお爺さんが後々、山の主と対話できる老人、などになるのかもしれません。



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# by tsukasa-kawa | 2017-09-23 23:59 | 日常雑記

9月22日のお話・2

 地獄! 生前に悪行を為した者の魂が送られ、その罪が許されるときまで、ありとあらゆる厳しい責め苦を受ける恐ろしい世界。生きててもしんどいのに死んだらもっとつらいなんて嫌ですねえ。

 とはいえ、これはシリアスな世界における、そこの住人のお話です。ドラゴンボールの世界に迷いこんでしまった両津勘吉が、フリーザのちょっと本気出しちゃった攻撃にも平気でいたように、別の世界のルールを持ちこんでくる相手には地獄でもちょっと荷が重いようで……。
 それでは「地獄の暴れもの」です。これも地域ごとに題名がさまざまで「地獄へいった三人」「山伏と軽業師と医者」「地獄の惣兵衛」などがありまして、それなら知っているという方もいるかもしれないですね。おおもとは江戸時代の上方落語「地獄八景亡者戯」(の後半)ですが、ざっとこんな内容です。

 とある医者が死んで、閻魔大王のもとへ送られる。自分は生前に多くの患者を救ってきたと訴えるも、あくどいやり方で儲けてきただろうと看破されて地獄へ落とされる。
 続いて、死んだ山伏と鍛冶師が同じく閻魔大王のもとへ送られ、ひとをさんざん騙してきただの、できの悪い道具を作ってきただのと言われて地獄へ送られる。
 三人は連れだって地獄に入り、鬼に追い立てられて針の山へ向かう。しかし、鍛冶師がやっとこで針の山をへし折り、さらに加工して鉄のゲタを人数分作って、三人は針の山を難なく越えてしまう。
 次は釜茹での責め苦ということで湯がぐらぐら煮立った大釜に放りこまれるが、山伏が法力で湯をぬるくしてしまう。
 怒った閻魔大王は三人を一呑みにしてしまうが、医者が胃酸で溶けない薬をつくってひとまずの安全を確保し、胃袋の中をかきまわしたあと、下剤を胃袋に流す。三人は閻魔大王の尻から脱出する。
 手に負えないと判断した閻魔大王は、三人を生き返らせる。

 なんと不甲斐ない。へぼ鍛冶師ごときに折られる針の山! えせ山伏ごときにぬるくされる大釜の湯! 鬼たちは何をしているのでしょうか、まったく。閻魔大王の胃袋も、やぶ医者ごときにもてあそばれるようでは普段の職務もまっとうできているのかどうか心配ですよ。
 しかし、責めるのは簡単ですが、本当に不甲斐ないのかというと難しいところです。いままでの亡者に対しては、この環境で苦しめることができていたわけですからね。
 こち亀にも両さんが地獄を征服する話がありましたが、本来適用されるべきルールが適用されない、あるいはルールを超越してしまうような人間が入ってきた世界は、こうなってしまうのでしょう。この医者たちは最後に生き返るわけですが(ものによっては極楽へ送られるという話もある)、知恵と技量で地獄を乗り越えた褒美を医者たちに与えたというよりも、閻魔大王を助けるための苦肉の策という感があります。消し去ることもできない以上、よそへ行ってもらう、あるいはルールの適用される世界へ放りこむしかないんですよね。
 話によっては、彼らが死んだ理由は飢饉が流行ったから、というのもあるのですが、その環境を知った上で生き返らせたのだとしたら、すさまじいバランスといえそうです。



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# by tsukasa-kawa | 2017-09-22 23:49 | 日常雑記