一〇八(仮)

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ライトノベル作家川口士のブログです。「魔弾の王と戦姫」18巻、それから片桐雛太さんの魔弾画集、絶賛発売中です。よろしくお願いします。

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カテゴリ:日常雑記( 667 )

4月9日のお話




 数字が合わないんじゃね?でおなじみの「一年生になったら」ですよ。先週から今週にかけては学生一年生から社会人一年生、はたまたセカンドライフ一年生までさまざまな一年生が生まれたことと思います。
 100人というのはたくさんという意味合いである、というのが妥当なところであとはノリと希望が大事だ、ですませてもいいのですが、あるいはこんな物語があったのかもしれないし、なかったのかもしれません。

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by tsukasa-kawa | 2018-04-09 23:58 | 日常雑記

4月8日のお話




「小さな木の実」ですよ。どこかもの悲しいメロディーを覚えておいでの方もいるのではないでしょうか。いつか自分がいなくなっても、この世界を強く生きていってほしい。そんな思いをこめて作詞されたそうです。
 が、パパがいなくなったあとの孤独感がちょっと強すぎましてなあ。辛さでたとえたら8辛ぐらいかな? こう、やばさに汗がだらだら流れて止まらない感じの。ていうかパパが最後の身内だよね、この感じ。パパがいなくなったら親戚の○○さんを頼りなさい、ってふうじゃねえもの。しかもひとりになったことで否応なしに未知の世界へ乗りだしていく締めくくりですよ。イメージとしては世界崩壊後のFF6ですよ。まずい魚食わせることで形見の船をゲットするあの話ね!(違
 いい詞、いい曲なのは間違いないんだけど、これ聴いて、よし強く生きよう!って感じの曲じゃないよねえ……。なんか悲壮感漂わせながら足音だけを残していく感じ。そういう締めの話も嫌いじゃないけど。

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by tsukasa-kawa | 2018-04-08 23:12 | 日常雑記

4月7日のお話




 ボブネミミッミ(挨拶)
 みんなのうたは正直何を考えてるのかわからないときがあるのが面白いですよね。そんなわけで「おばけでいいからはやくきて」ですよ。玩具売り場に一人で突っ走って迷子になった子供の歌かなとストレートに受けとろうと思ったんですが、もしかしたら人生の迷子になった子供の歌のような気もしてきまして、はい(曲解です)。子供というのはいざ親の気を引かなきゃと決意したら、ほんとおもいきった行動に出るものだと思うのですよ。

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by tsukasa-kawa | 2018-04-07 22:45 | 日常雑記

4月6日のお話




 北風小僧の寒太郎。出だしの、哀愁を感じさせる口笛が印象に残っている曲です。
 寒太郎は寒の入り、つまり冬の到来を擬人化したものだそうですが、冬というよりも時代劇っぽい格好だなあと何となく思っていたら、なんでも「木枯らし紋次郎」のパロディのつもりで作られた子供向け演歌だとか。やはり「あっしには関係のねえこって」と言いながら事件を解決して次の町へ、次の町へと行くのでしょうか。季節限定ヒーローというのはよく考えてみると珍しいかもしれません。

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by tsukasa-kawa | 2018-04-06 21:28 | 日常雑記

4月4日のお話




 パパは何やっとんねんでおなじみの、山口さんちのツトムくんですよ。
 山口さんちのツトムくん、このごろ少しへんよ、どうしたのかな~という女の子の語り口調ではじまるわけですが、絵本を見せる、大事な三輪車といった一節から、ツトム君は小学校に行く前の年齢ではないかと思われるわけですね。
 そのツトム君が遊びに誘われても「あとで」ばっかり。しまいには挨拶すらしなくなる。そのわけはママが田舎に行っていたからで、ママが帰ってきたらツトム君は元気になった……という物語が紡がれるわけです。いや、だからパパ何やっとんねん。
 パパはもちろん働きに出ていたんでしょう。この歌が放送された1976年だと、子供を連れて勤め先に行くなんてハードルが高いなんてもんじゃなかったと思われます。赤ん坊を背負ったサラリーマン金太郎だって1994年だし。でも年齢一ケタ前半の子供を家に置き去りはあかんやろ。ご近所づきあいはまだいまほどぼろぼろではなかったと思うので、隣近所のひとに見てもらっていたのかもしれませんが、それならママが田舎に行っていた理由はもっと早い段階でわかりそうなものです。
 つらつら書きましたが、ママが田舎に帰った理由は、かなりアレな事情だったのではないか、だからパパも動揺して息子どころではなかったのではないか、などと邪推をしてしまうわけですね。そういう歪んだ目で見ると酸っぱいイチゴってフレーズもなんだか隠喩くさいね!

 歌の中におけるパパの不在からもうひとつ考えられるのは、ツトム君が実はママのつくった機械という可能性ですね。ママがいないとエネルギーが足りなくて必要最低限の応対しかしなくなり、三輪車も片付けなくなり、きっと長袖からは機械の腕が覗いて、正体を確かめようとしたら腕がみょいーんて伸びたりするんですよ。妄想です。はい。

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by tsukasa-kawa | 2018-04-04 23:04 | 日常雑記

4月3日のお話





 トレロとは闘牛士のことですね。
 ところによっては、闘牛士というのはもっと真剣に闘牛と向きあうものだ、という批判もあったそうですが、カモミロは五人がかりでやっと連れてくるような牛を片手で転がせるトレロですからねえ。真剣に、五分五分に近い勝負を演じようとするなら、相応の闘牛を連れてくるか、もう闘技場にベッドを持ちこむぐらいしかやりようがないんじゃないでしょうか。
 というか、作中で男の中の男ともいわれるほど人格面では賞賛されていることも考えると、観客もカモミロがどれぐらい余裕かますかを見に来てると思うんですよね。何かとりとめのない話になりましたが、何をやるかにかかわらず、爽快な活躍を望まれるキャラクターというのはたしかにいるのでしょう。

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by tsukasa-kawa | 2018-04-03 23:47 | 日常雑記

4月2日のお話




 そういうわけでコンピューターおばあちゃんですよ。明治生まれのコンピューター。この歌ができたのが1982年でして、明治45年(1912)生まれだとした場合、69歳になりますか。いまも生きてたら106か。夢の宇宙旅行にはちと辛いかもしれん。
 僕としてはおばあちゃんよりもこの孫のノリのよさの方が気になるんですけどね。おばあちゃんを紹介するにあたりウォーウウォーウウォーウウォウウォウォウォーですよ。合法的じゃないハーブでもやっているのではと思う勢いです。イエーイイエーイ僕は大好きさ
 昔話からUFOの話までという一節やバミューダ海域やハワイについて聞きたがるあたりが時代を感じさせて個人的に大変好みですが、坊や、ちょっと聞きたがる範囲が広すぎないかな? いまならOKグーグルってなもんですが、これ博識とかそういうもんじゃないだろう。はたしてお婆ちゃんがどう答えてくれるのか気になるところです。あと、お婆ちゃんが本当にコンピューターだった場合も想像がふくらんでいいですね。人類滅ぼす系のばかでかい箱か、はたまたガワだけ若い娘っ子か。

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by tsukasa-kawa | 2018-04-02 22:35 | 日常雑記

4月1日のお話

 あけおめー

 だいじょうぶ。世界のどこかには4月1日をもって一年のはじまりとする国もあるから。たぶん、きっと。
 で、この3ヵ月何をやっていたかというとさぼってました。すみませんほんと。ツイッターでは毎日なんか呟いたりRTしたりしていたんですけどね……。
 とはいえ、たださぼってたわけじゃなく、引っ越しだとか新しい仕事の仕込みだとかもいろいろやっておりまして。発表できるのは6月? ぐらいになると思うんですけどね。ちょっと実験的なものもありまして、気長に待っていただけるとありがたいです。はい。
 まあ、いくつか目処がついたので、こちらもぼちぼち再開していこうと思います。たぶんまた三ヵ月ぐらいやったら一息いれると思うけど。
 そんな感じで今年もよろしくお願いします(今更感)。

 じゃあ、まずは拍手レスをば。

>地方民の地元の地形に対する評価はだいたいなんか変だったりしますよね。
>ちょっと歩いたところにアレがあるから~→数km先
>今日海凪いでるから釣り日和だよ→めっちゃうねってる(外海)
>しぬかとおもった


 まず、ごめんなさい。いやほんとごめんなさい。この拍手、昨年末にもらったものなんですよね……。
 昨年末、具体的には12/27に「あの坂をのぼれば」のことをいろいろ語ったときのコメントらしいのですね……。
 で、たしかにそうなんですよね。土地勘があるかないか、道を知っているかどうかということもあると思うんですが、現地のひとは近いってよく言う。
 お隣さんが1キロ先にあっても「ちょっとお隣さんに挨拶してくるね。すぐに戻るから」と言ったり。
 ネットでネタにされるものだとン十キロ先のコンビニやマックやらを示す標識があったりね。未知の地での単独行動は気をつけんとあかんですよ。

 あと、瀬尾つかささんの新刊「ニートの少女(17)に時給650円でレベル上げさせているオンライン2」は本日発売です。興味を持ったらぜひー。
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 そういや今朝の挨拶のこれね。


 念のために言っておくけど、嘘だから。

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by tsukasa-kawa | 2018-04-01 21:56 | 日常雑記

12月28日のお話

 今年もあと三日とちょっとですよ。お店は三日前までからがらりと変わって年末年始を彩る数々の商品の宣伝に大忙しという感じです。かくいう僕も、今年は冬コミに参加するので、その宣伝をツイッターでやっていまして、ついでにここでも宣伝しておきますね。
 3日目東7ホールあ49a ウリボックス
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 こちら「折れた聖剣と帝冠の剣姫 異聞」のプレビュー本です。
 いくつかの掌篇小説がついたイラスト集ですね。
 一迅社さんでシリーズ刊行していた「折れた聖剣と帝冠の剣姫」の外伝としての位置づけになるもので、本編4巻で登場した某国の使者二人組を主人公に据えた物語になります。それゆえ「異聞」なんですね。この二人組の為人や日常の断片、いずれお出しする予定の長編の一片などをちりばめた構成になっております。
 また、こちらには美弥月いつかさんの描き下ろしクリアファイルがついてきます。 

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 それから、こちらは僕は参加していないのですが「シルビア神の怒り」と題したアイギス本になります。某所より引用した内容によると「第二兵舎で塩漬けにされたシルヴィアが王子たちに激怒したり、ナナリーに負けじとカノンが天才ちゃんの猛特訓を受ける話とか、ラピス様の脳内妄想劇場垂れ流しだったり、加えてもりたんの愉快だったりエッチだったりな挿絵とか美弥月いつかのこだわりすぎなシルヴィア挿絵満載」とのことです。特典ペーパー付き。こちらもぜひ。
 その他の詳細はこちらから。

 さて、今日はあらすじなんぞ不要といっていい有名な昔話「ごんぎつね」ですよ。狐のごんが首にからまったウナギと格闘している挿絵や、兵十がごんを撃ったあとに「ごん、おまえだったのか」とつぶやくシーンを覚えている方は少なくないだろうと思われます。
 まあ念のためにあらすじを書いておくとしましょう。

 これは「私」が小さい時に村の茂兵というお爺さんから聞いた話だ。
 昔、ごんぎつねというひとりぼっちの小狐がいて、夜でも昼でもあたりの村へ行って、芋を掘り荒らしたり、菜種に火をつけたり、いたずらばかりしていた。
 ある秋のこと、ごんは川で魚をとっていた兵十の隙を突いて、彼のびく(とった魚などを入れる容器)に入っていた魚やウナギを放りだしてしまう。
 十日ほど過ぎた日のこと、ごんは兵十の母が死んだことを知る。そして、兵十の母親はうなぎが食べたいと言ったに違いなく、兵十は母親にうなぎを食べさせようとしていたのだろうと思い、後味の悪い思いを抱える。
 それから、ごんは毎日のように栗やまつたけを兵十の家へ持っていき、気づかれないようにそっと置いていく。
 その日も、ごんは栗を持っていったが、兵十に見つかって撃たれる。そして、兵十は土間に置かれた栗を見て、ごんがそれらを持ってきてくれていたことを悟る。

 ちょっとごん君、想像力が豊かすぎませんかね。
 兵十の母親はうなぎが食べたいと言ったに違いないって、これ、ごん君の想像だかんな。もっと言えば、語り手である茂兵さんか、その話を聞いている「私」が盛った可能性があるかんな。芋を掘り荒らすのも当時の食糧事情を考えると即毛皮化って感じですし、菜種に火をつけるのは狐狩りへの第一歩って感じですよ。
 まあ想像だと決めつけてしまうと話が進まないので、事実であるということにしましょう。
 兵十の母親が亡くなり、兵十がごんと同じひとりぼっちになってから、ごんの「うなぎの償い」の日々がはじまるわけですが、これ、はたして兵十は、ごんが何のために毎日兵十に栗とまつたけばかり食わせるような日々を送らせたのか、気づいているのでしょうか。毎日栗を食べるってけっこうしんどい気がするんだけど、個人的な感想はちょっと横に置いておきましょう。
 兵十が栗やまつたけに感謝しているのは間違いありません。村人に、それは神さまがくださるんだと言われて信じていますからね。気になるのは、ここでも「たった一人になったのを哀れんで」という文が入っていることです。はからずも、村人の考えがごんが以前抱いた思いと一致しているんです。やっぱり茂兵さん、盛ってませんかね。
 このお話には何か教訓めいたものはなく、ひとりぼっちになってしまった二人の話を、その心が触れあった瞬間を語りたいということだったのではないかという気がします。だって、語り手か茂兵さん、だいぶごんに入れこんでいるしね。またはいたずら狐を葬り去るべく計画された狐狩りを止めるための狐の……いや、よしておきましょう。ごんは兵十のために何かをしようとした。兵十が母親のために何かをしようとしたように。そのままにしておく方がいい話も、ものによってはあるのでしょう。



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by tsukasa-kawa | 2017-12-28 23:59 | 日常雑記

12月27日のお話

 クリスマスはいかがでしたか。僕は幾人かと酒を飲んだりチキンやケーキを食べたりしていました。
 昔はクリスマスは友人同士だとか恋人同士だとかでぱーっと騒ぐものなんてイメージがあったのですが、最近はちょっとご馳走に奮発するけどそれほど特別ではない日という扱いらしく、恋人同士の逢瀬もクリスマスではなく曜日や他のスケジュールに合わせるとかで、それはそれでまっとうでござるなとしか言いようがなく。
 イベントとしての定着から、伝統行事、風習的なものへと変わりゆく、あるいは戻っていく時期に、僕たちは身を置いているのかもしれません。5年後、あるいは10年後には、さまざまな記念日などと同列に扱われているのかも。

 さて挨拶を終えたところで、今宵は「あの坂をのぼれば」です。「小さな町の風景」という題の掌篇小説集のひとつですね。「あの坂をのぼれば、海が見える」という一文を覚えている方もいるかもしれません。

 少年が、朝から山道を歩いている。
 小さいころ、祖母から子守唄のように「うちの裏の、あの山を一つ越えれば、海が見えるんだよ」と聞かされていた。 
 あるとき、少年は自分の足で海を見てこようと思いたち、山道を歩きはじめるが、山ひとつというのは言葉の綾だったらしく、行けども行けども海は見えてこない。
 もうやめようと諦めかけたとき、少年は次の峠を越えてゆく海鳥を発見し、再び歩きだす。

 正直、大雑把なあらすじを見るよりも原文をあたってほしい作品だと思います。情景、そして心理描写がこう、ときめくものがあるのですよ。
 そんな僕の感想はさておくとして、せめて地図は見ろや。
 いや、思いたったが吉日っていうのはわかりますよ。若さと勢いに任せて山へ飛びこむのはけっこうですよ。
 でも山を二つ三つ越えている時点でけっこうな難所だよね、ここ。水と食糧と帽子と登山靴ぐらいは必要なんじゃないだろうか。しかもここまでの描写で地元民らしきひとに会っていないあたり、使われていない山道ではないかという疑惑まで出てきますよ。鳥を発見してのくだりは感動するけど、旅人かおまえは。
 僕もいくつか山を登ったことはありますが(もちろんひとりではなくね)、高尾山ぐらいでも迷うときは迷うだろうなあと思うことがありまして。
 いまの時代なら電波さえ届けばスマホやガラケーで何とかなりそうなあたり、文明の利器と地図は大事ですよね。電波が届かなかったら? がんばれ。
 とはいえ、思いたって、その勢いのままで何かに挑戦してみるのはいいことだと思います。あと、地元民の感覚をうかつに信じてはいけない。



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by tsukasa-kawa | 2017-12-27 00:05 | 日常雑記