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『魔弾の王と……』

 ――それは、いつか、どこかで、あったかもしれない物語。

 あたたかな春の陽射しが、木々の隙間から射しこんでいる。風が運んでくるのはさわやかな若芽の匂いだ。絶好の行楽日和である。
――野盗に出くわすようなことさえなければね。
 哀れみをこめた視線で、リーザは自分を囲む野盗たちを眺めやった。
 森の中だ。街道が延びているからと、馬を進ませたのは失敗だった。さほども進まぬうちに、木の陰に隠れていたらしい男たちが飛びだしてきて、囲まれてしまったのである。
 男たちの数は十人。二十代から三十代というところで、いずれも擦り切れた革鎧を身につけて、鉈や手斧を持っている。
 以前、リーザは疑問に思ったことがあった。この手の野盗は、どこで遭遇しても、どうして同じような出で立ちなのかと。答えを教えてくれたのは、側近を務めるナウムという騎士だ。
「鉈や手斧はたいていの村にあります。革鎧も。つまり手に入りやすいのですよ。人目を避けて忍びこめば、割と簡単に盗めます。そして、山野に潜むような暮らしをしていれば、身だしなみには気を遣わなくなるものです。獲物に見つけられないようにするため、あえて身体を汚す場合もありますから」
 十人のならず者たちは、馬上のリーザを見上げて下卑た笑みを浮かべている。彼らが何を考えているのかは予想がついたが、リーザは確認のために聞いた。
「私をどうするつもりですの?」
 胸を張って、傲然と問いかけたのだが、男たちは虚勢と受けとったらしい。肩を揺らして笑った。首領格らしい男が答える。
「そりゃあ決まってる。素直に名前を教えるなら、身代金をいただく。でなけりゃ奴隷商人に売りとばす。もっとも、その前に楽しませてもらうがな。おまえみたいな上玉が、呑気にひとりで森の中にいるのが悪いんだぜ」
 身代金という言葉から考えて、自分は貴族か、あるいは裕福な家の令嬢と思われているらしい。それも当然だろう。リーザが身につけているのは、紫を基調としてフリルやレースをふんだんに用いた絹のドレスだ。乗っている馬の毛並みもよければ、馬具も立派なものである。
 そのとき、野盗のひとりが声をあげた。
「あんた、よく見ると異彩虹瞳か。親分、こいつは奴隷商人に売った方がいいですぜ」
 リーザの表情が歪む。むろん怒りのためだ。
 野盗が言ったように、リーザの右目は金色で、左目は碧色をしている。このように左右で瞳の色が異なる者を、異彩虹瞳と呼んだ。
 この瞳を持って生まれることについてはさまざまな解釈があり、ある地域では幸福を呼ぶといわれ、また別の地域では災いを招くといわれていた。リーザが生まれた地では――ひどく忌まれていた。この瞳を持って生まれたことをありがたがったことは、リーザにはない。
――どうしてくれようかしら。
 首領の言葉を半ば聞き流しながら、リーザはこの野盗たちをどう片付けるか考えていた。ジスタートの戦姫であり、『雷渦の閃姫』『鞭の舞姫』の二つ名を持つ彼女にしてみれば、野盗など十人が五十人になっても、ものの数ではない。腰に下げている彼女の竜具――ヴァリツァイフの力をもってすれば瞬く間に一掃できるだろう。ヴァリツァイフは一見すると黒い鞭だが、戦姫たるリーザによって振るわれると、稲妻をまき散らし、鋼鉄の甲冑を容易に打ち砕く破壊力を発揮する。
――とりあえず、目の前にいるこの男を叩きのめしてみましょうか。
 そう思ってヴァリツァイフをつかんだときだった。
 空気が震える音を、リーザの耳が捉えた。見れば、風を切って、一本の矢が飛んでくる。その矢はリーザと野盗たちの間に落ちて、地面に突き立った。
――どこから飛んできたの……?
 リーザは視線を巡らせて、矢を放った者をさがした。野盗たちもリーザと同じ疑問を抱いたのだろう、戸惑ったように周囲を見回す。
 リーザが先に見つけたのは、馬上にあって野盗たちより高い視界を持っていたからだろう。三百アルシン(約三百メートル)ほど先に、弓を持った若者が立っていた。慎重にこちらへ歩いてきながら、弓に新たな矢をつがえているのが見える。
――まさか、あの距離から……?
 リーザは驚いた。三百アルシンも離れたところから矢を届かせることができる者など、彼女の治めるルヴーシュ公国にはいない。いや、ジスタート王国全土を見渡してもいないだろう。まして、ここは弓嫌いで有名なブリューヌだというのに。
 くすんだ赤い髪をしたその若者は、足を止めるや第二矢を放った。森の中だというのに、その矢は枝葉をかすめることもなく、見事な曲線を描いて飛んだ。再び、リーザと野盗たちの間に落ちる。
 まさか、とリーザは思った。あの若者は、自分を助けようとしてくれているのだろうか。だが、あの位置からでは状況がつかめないので、威嚇に留めているのか。
 そうだとしたら。
 リーザは竜具から手を離すと、息を吸いこみ、大声で叫んだ。
「助けて! 悪いひとたちに襲われているの!」
 叫んでから、まるで自分らしくないと内心で笑ってしまう。でも、一度くらいはいいでしょうと思った。悪漢に囲まれて助けを求める令嬢などという、まるでおとぎ話に出てきそうな役割が自分に降ってくるなどとは、思ってもみなかったのだから。
 はたして、リーザの声は若者に届いたらしい。若者が放った三本目の矢は、呆気にとられた顔で立っている首領の額に突き立った。驚くべき飛距離であり、正確さだった。


 首領を失って、野盗たちは逃げ散った。リーザは彼らを追うことはせず、若者がここまで来るのを静かに待った。
 間近で見ると、若者はいかにも狩人という格好をしていた。革の胴着も、ズボンも、弓も、土で汚れている。だが、どれもしっかり手入れをしているのだろう、野盗たちと違って汚らしいという印象は受けなかった。
「だいじょうぶですか」
 息を弾ませながら、若者がこちらを見上げる。リーザはにこりと笑った。
「助けてくださってありがとうございます。私はエリザヴェータ=フォミナと申します」
 正式に名のると、若者は首をかしげた。
「フォミナ殿、ですか。私はティグルヴルムド=ヴォルンと申します。無事で何よりです」
「ティグル……」
「ああ、言いにくければティグルでかまいません。よく言われるんです」
 そう言って明るく笑ってみせるティグルに、リーザは好感を抱いた。ティグルはふと真面目な顔になって、リーザの姿をすばやく観察する。
「その、失礼ですが、どちらからおいでになったのでしょうか。お連れの方は?」
 まさか、ドレス姿の娘がたったひとりで森の中に入るはずもない。ティグルはそう考えて聞いてきたのだろう。
 さて、どこまで正直に話したものか。リーザが思案していると、それを迷っていると解釈したのか、ティグルは言った。
「少し休みましょうか。干し肉と炒り豆、水ならありますが」
 リーザは吹きだしそうになったが、かろうじて堪えた。干し肉に炒り豆。こちらを貴族の令嬢だとでも思っているのなら、差しだすべきものではない。
――私でなかったら、蔑まれているところよ。
 リーザは平気である。貴族の生まれとはいえ、色の異なる瞳のせいで素性を隠して寒村に放りこまれ、やはり瞳のせいでいじめられて育った彼女は、平民以下の暮らしというものをよくわかっていたし、慣れてもいた。
 差しだされているのは、ただの干し肉ではない。無償の善意だ。
「ありがとうございます。ちょうどお腹がすいていましたの」
 心からの笑みを浮かべて、リーザはティグルに答えた。


 ティグルは近くの川に、リーザを連れていってくれた。馬に水を飲ませて休ませ、自分たちも川縁に並んで腰を下ろし、干し肉と炒り豆を食べながら、ティグルは自分がこの地――アルサスの領主だと話した。
――そういえば、そんな名だった気がするわ。
 辺境の小さな地だったので、気に留めずにいたのだ。それに、リーザにとってはアルサスを抜けた先にあるライトメリッツ公国の方が、意識せずにはいられない地だった。
「領主というなら、従者はどうしたんですの? はぐれたとか?」
 リーザが聞くと、ティグルは笑って答えた。
「いえ、狩りをするときはだいたいひとりで動いているもので。バートラン……私の側仕えですが、年寄りなのであまり無理をさせたくはないんです」
 まったく領主らしくない。だが、嘘を言っているとは思えなかった。自分に嘘を言う理由がないし、もしも嘘なら、むしろ領主貴族らしく振る舞おうとするはずだからだ。干し肉と炒り豆を食べさせようとはしないだろう。
 ティグルは狩りが好きで、領主としての務めの合間に、領内の森や山に入っては鹿や猪を仕留めたり、さきほどのように野盗を追い払ったりしているということだった。
「最初、あなたが従者たちに自分を守らせているように見えたんですが、どうも雰囲気が違うなと。とにかく間に合ってよかった」
 今度はリーザが話す番だった。
「私はジスタートの貴族、のようなものですの」
 ジスタートにおいて、戦姫は貴族より高い地位にある。だが、戦姫と名のらずにリーザはごまかした。ここぞというところで明かして、驚かせてやろうと思ったのだ。
「ジスタートの方が、どうしてこのようなところに?」
「行きは、船で海を渡ってきたのですが、帰りは別の道を通ろうと思って……。この地を通ればジスタートに帰れるでしょう?」
「それはそうですが……」
 さすがにティグルは呆れた目でリーザを見た。
 リーザは嘘を言っていない。ルヴーシュの戦姫として、友好のためにブリューヌを訪れたのは事実だ。大貴族のガヌロン公爵家をはじめ、有力なブリューヌ貴族と交流を深めておくのは当然のことだった。その目的は、おおむね達成できた。
 帰りに陸路を選んだのは、いくつか理由がある。
 当たり前のことだが、出会ったすべてのブリューヌ貴族にいい印象を抱くことができたわけではない。できれば、この人物とはなるべく距離を置きたいという手合いも存在した。来た道を戻れば、そういう者に遭遇する可能性がある。それは愉快ではなかった。
 また、別の道を行けば、別のものを見ることができる。ブリューヌなど滅多に来られないのだから、できるだけ多くのものを見て、多くの人間に会っておきたい。
 それに、この道を行けば、ごく自然な理由でライトメリッツ公国を通ることができる。ライトメリッツを治めている戦姫エレオノーラ=ヴィルターリアに、リーザは複雑な想いを抱いていた。
 ただし、陸路を選んだなら選んだで、面倒なこともあった。
 従者たちがリーザの身の安全を重視するあまり、片時もそばを離れようとしないのだ。ひとりになれるのは町に入って、宿をとったときだけだった。それが彼らの務めだとはいえ、正直息が詰まる。
 だから今朝、鬱憤晴らしを兼ねて、馬に乗って飛びだした。街道から外れるつもりはなかったし、昼までには戻る予定だったのだが……。
 おおよその事情を聞き終えたティグルは「わかりました」と言った。
「もう少し休んだら、私がそこまで連れていきましょう」
「……怒らないの?」
 そう聞くと、ティグルは首を横に振った。
「それは、あなたの従者や護衛の役目でしょうね。私の務めは、そのひとたちのもとへ、あなたを無事に送り届けることです」
 そこまで言ったとき、ティグルは何かに気づいたように、リーザの顔を見つめる。反射的に、リーザは身を縮こまらせた。こうした動きをとられるときは、自分の目に気づかれたときだ。
 だが、ティグルの口から発せられた言葉は、リーザが恐れていたものではなかった。
「きれいな目ですね。左右で色の異なる目を、何て言うんでしたっけ。以前、見せてもらった猫がそんな目をしていたんですが……」
「……きれい?」
 恐る恐る、問い返す。ティグルはもちろんというふうにうなずいた。


 帰り道で、リーザはティグルに弓のことを聞いた。ティグルは苦笑まじりに答えた。狩りで鍛えたものだと。若者の表情や話しぶりから、その弓の技量がブリューヌでは蔑まれていることを、リーザは察した。
 ふと、リーザは隣を歩くティグルに、かつての自分を重ねた。
 異彩虹瞳を忌み嫌う地に生まれたがために、何もかもを否定され、とある少女に助けだされるまで絶望の底でうずくまっていた小さなころの自分が、脳裏によみがえる。
 ブリューヌという地に生まれたがために、際だった技量を身につけながら蔑まれている若者がいる。自分の目の前に!
「――ティグル」
 ひとつの決意を胸に、リーザは若者に言った。
「私と来なさい。いいものを見せてさしあげますわ」
――あなたの弓の技量を認める世界を。
 何のことだかわからないというふうに、ティグルは不思議そうな顔でリーザを見つめていた。


 愛する領地の管理を、亡き父の親友マスハス=ローダントに頼み、ティグルヴルムド=ヴォルンはエリザヴェータ=フォミナとともにルヴーシュ公国を訪れる。張り巡らされる陰謀、戦乱の予兆、放たれる刺客、助けを求める薄幸の美姫、英雄の伝説、流血、剣戟、暗闘、怪物。
 数々の苦難をくぐり抜けた二人の手にする結末は……。

 物語はここからはじまるはじまりません。

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by tsukasa-kawa | 2019-04-01 03:19 | 日常雑記

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